朝からスザクの姿が見えないのはどうしてだろう。

 本から顔を上げて眺めた窓外の太陽は、もうその円形を半分ほど建物の陰に隠してしまっている。朱色と紫色の混ざった空は、が本を読み始めてからだいぶ時間が経ったことを証明していた。部屋の明かりもつけずにいたことを反省したが、そもそもにはあまり自分で電灯のスイッチを入れた記憶がない。いつもならばスザクがつけてくれるから。

(・・・どこに行ってるんだろう)

 本をぽんとテーブルの上に置くと、窓際に近づく。じわじわと広がっていく紫色は、ルルーシュの瞳の色を思い起こさせた。かの腹違いの兄弟の心配性は筋金入りで、しかしそのことを知っていながら昼間には彼にスザクの居場所を知らないかと連絡してしまった。ルルーシュとスザクの仲の良さは幼いころからのものだから、彼のところにいるか、そうでなくともルルーシュならば知っている可能性が高いのではと考えたのだった。

「スザク?いや、今日は来ていない。・・・どうしてそんなことを俺に聞くんだ、あいつはの騎士だろう」
「えっ、あ、うん、そうなんだけど・・・。・・・・・うん、知らないんなら良いの、忙しかったよね、ごめんね?それじゃあ」
「ちょっと待て、こんなことは良くあるのか?主人であるお前に何も言わずにどこかに行くなんて、・・・兄上あたりに知れれば解任されかねないぞ」
「ないない、いつもはそんなことないよ、よく分からないんだけど今日が初めて!・・・・・・お兄様には絶対言わないでね?」
「・・・、お前はスザクを甘やかしすぎだ。そもそもあいつが騎士になったのだって半ば強引に、・・・いや、今はそんな話はいいか、とにかく」
「大丈夫だから!たぶんすぐ帰ってくると思うし!それじゃあね!」

 と一方的に通信を切ってからだいぶ経つ。あれからルルーシュが折り返し連絡してくることはないが、おそらくはやきもきしているに違いない。訊ねる相手を間違えたかな、と思うのは、彼に余計な心労を増やしてしまったことも理由のうちだが、スザクがきっとあとでこっぴどく叱られるであろうことが容易に想像できてしまうからだ。

(・・・ヒマだなあ)

 公務がなければ大してすることもなく、普段ならばユーフェミアやナナリーとお茶をすることもあるのだが、今日のナナリーは友人の演奏会に出席するために午前中から外出、ユーフェミアに至ってはどこぞのエリア視察だとかで2日前からブリタニア本国にすらいない。皇族内外に親しい存在が極端に少ないにとって相手をしてくれる可能性のある残すところはルルーシュくらいなものだったが、その彼は良く分からないが常に忙しそうだ。

(勉強熱心だからなあ)

 の部屋の本棚にある書物はどれも、先ほど読んでいたものも含め、すべてが世界各国から取り寄せた物語をはじめとする娯楽小説ばかり。ルルーシュには「もっと身になるものにも目を通したほうがいい」と何度か諭されているものの、家庭教師との勉強でいっぱいいっぱいのには気が進まず、「これなら読みやすいから」と彼が貸してくれた本もはじめの数ページを読んだだけで書物の隅っこに追いやられている。でもスザクは、のコレクションに「すごいね」といって感心してくれた。

「ああ、これ、知ってるよ。・・・懐かしいな」

 旧日本の昔話を集めた本を手にとったスザクの横顔をきっと忘れることはないだろう。けれどそれから物語収集の趣味にさらに拍車がかかったという自覚は、未だにはなかった。




 窓から離れて、部屋の外に出る。いつもだったら暇なときにはスザクを連れて外出したりもするが、彼のいない今はせいぜい廊下に出るが許される程度。ルルーシュに負けず劣らず心配性の彼は、自身が側にいないときにが離宮の庭はおろか、テラスに出ることすら良しとしていなかった。どうせすこしくらい出たって調べようのないことだけれど、なんとなくそれはスザクを裏切る気がして出来ない。そんなところが、がスザクに対して甘い、といわれる所以でもある。

(・・・というか)

 廊下を歩きながら思った。すれ違う使用人たちが礼をするのに笑顔を向ける。この小さな離宮に勤める使用人たちは誰も皆人柄が好く、ここほど居心地のいい場所もないだろうとはひそかに自負していた。

(あんなに口をすっぱくして言うくせに、自分は勝手にどこかに行くなんて)

 さすがに昼を過ぎたころには何かあったのではと心配もしたが、あの人間離れした能力をもつスザクがそう簡単に窮地に陥るとも思えず、そうなると不満とも怒りともつかないものがこみ上げてくるのは仕方のないことではないだろうか。よし、今日の夕飯はスザク抜きで始めてしまおう。帰ってきてもパンとスープくらいしかあげない。夕飯抜き、という考えが浮かんでこないあたりも、がスザクに対して甘い、といわれる所以。

 そうと決まれば、と当てのない行き先を調理場に決定したが廊下を曲がりかけたところで、にわかにその先がざわついていることに気がつく。あちらは玄関だ。何かあったのだろうかと足を速めると、その場にいた使用人のひとりがの姿をみとめてこちらを向いた。

「姫様、枢木卿がお戻りになられましたよ!」
「・・・え?」

 さっきまでさんざん胸中で文句を垂れていた相手の名前がとび出してきたためがぴたりと足をとめるのと、使用人たちの輪の向こうから「姫様?」と彼がつぶやいてこちらに駆け寄ってくるのとはほぼ同時だった。そのスザクはの前まで来ると心底嬉しそうに微笑み、そんな能天気な笑顔にの機嫌は悪くなる。けれど彼がそれに気づいた様子はなく、「っ、・・・さま」と周囲に使用人たちがいなければ手でも握ってきそうな勢いで話しかけてきた。

「勝手にお側を離れて申し訳ありません。あの、それで姫様にお見せしたいものが、」
「・・・・・・」

 スザクはそこでようやくの様子が普段と違うことに気がついたらしい。俯き気味の顔を覗き込むようにして「姫様?」と困惑した声を出す。その声にのもやもやとした気持ちが深くなった。

「・・・自分が留守の間に、なにかお困りのことでも・・・」

 か、との頬が怒りに染まり、きっとスザクを睨みつけた。スザクはそんな主人の態度に思わずひるんで、次の言葉に呆気に取られる。

「スザクのばかっ、知らない!」

 え、ようやくスザクが一言だけ搾り出したときには、もうは自室に向けて走り出していた。あれは本気で怒っていた。とまどいから手にした荷物の取っ手をぐっと握りなおすと、横にいたメイドがぽそりと口を開く。主の世話係の経歴も長い彼女は、やはりのことをよく分かっていた。

「・・・ずいぶんと不安に思われていたようです。枢木卿がこんなにお側を離れたこと、今までありませんでしたから」

 の姿が見えなくなった廊下の先を眺めながら思うのは、ああ、自分は本当にばかだったと。




 部屋のドアはロックされておらず、それに安堵したスザクはノックをしてからの自室に入った。窓際に佇んでいた主人は近づいていくにつれてこちらを振り返ったが、その表情は相変わらず固い。どう声をかけたらいいのか悩むスザクよりも先に、が口を開いた。

「なにか、言うことは」
「・・・申し訳ありませんでした」
「なにに謝ってるの」
「その、・・・を一人に、させたこと」

 ためらいがちに言えばは目を伏せ何も言わず、とりあえずはこの返事が間違いではないらしいことに内心でほっとする。からはさっきまでの怒りのオーラをそれほど感じられないが、それ以上の哀愁がひしと伝わってくるのでスザクの胸は罪悪感でしめつけられるようだ。いくら彼女のためだったとはいえ、やはりこんな、ほぼ丸一日ここを離れるのではなかった。

「・・・どこに行ってたの?」

 俯いたままがそうこぼすので、スザクは思考を中断させて背筋を伸ばした。身体の横に提げたままだった袋をすいとの前に差し出す。はそちらに目をやってから、不思議そうにスザクを見上げた。

「これを、買いに」
「・・・?なに?」
「花火だよ。・・・が見たいって、言ったから」

 その言葉には目を丸くして、差し出されるままに袋を受け取った。中を開いてみれば細長くて色とりどりの棒のようなものがたくさん入っている。驚きにぽかんとしたままもう一度スザクを見ると、緊張気味にを見返してくる瞳があった。

 確かに言った、それも昨日。日本で書かれた小説の中に聞いたことのないものが出てきて、ちょうど側にいたスザクに訊ねたのだ。

「テモチハナビ?」
「うん。さすがに本国じゃ売ってなくて、エリア11まで行ってきちゃった」
「!? あんなに遠くまで!?これだけのために!?」
「だっての願いはなんでも叶えるって決めてるから」

 さらりと言って屈託なく笑うスザクの姿が、騎士の誓いをしてくれたあの日と重なった。恥ずかしさに視線をそらして「どうやってやればいいの?」とつぶやくと、スザクは外を指差した。

「日も落ちたし、テラスに出よう。中にマッチとロウソクが入ってるから、それで火をつけるんだ」




 水を張った容器と火をつけたロウソクを準備したスザクは、袋の中から花火を一本取り出してに手渡した。なかなか受け取ろうとしないを不思議に思って名前を呼ぶと、困ったように眉を寄せる。

「・・・火、つけるんでしょ?危なくない?」
「平気だよ。火薬が入ってるのはこっち側だけだから、ここを持ってれば大丈夫。ほら」

 もう一度差し出せばようやくはそれを手にする。それに笑いかけてロウソクに近づけるように促した。必要以上にロウソクから離れて腕をいっぱいに伸ばしながら火をつけるの姿は、生まれて初めて花火をする幼子そのまま。無性にほほえましく思いながら見守っていると、ぶしっと花火の先から火が噴き出した。

「わ、す、すざくっ、火!でたっ」
「ああ、だめだめ、放しちゃ!しっかり持たないと」

 逃げ腰になるの後ろから花火を持つ手を包み込むように押さえてやる。それにすぐにおとなしくなったに「きれいだろ?」と笑いかけると、花火の先を見つめたままでちいさくうなずいた。

「きれい。なんだか、想像してたのと全然違うね。・・・小さいし」
「そりゃあ、打ち上げ花火と比べたら・・・。けど種類は色々あるんだよ。そんなに集めてこられなかったけど」

 言いながら袋を取ろうとの身体から離れかけるスザクの裾を、花火を持っていない手でがぱっと握った。動きをとめるスザクに、花火を見たままで言う。

「・・・ここ、いて。・・・爆発するかもしれないから」
「・・・しないよ、爆発なんか」

 でも、と触れる手に力を込めると、安心したように肩の力を抜いたが「きれいだね」と笑った。




 スザクの「最後はこれ」という言葉で手渡された線香花火には、他の花火ほどの派手さはないものの、美しくて儚くて、すぐにのお気に入りになった。中心の火種もはじめはすぐに落としてしまっていたが、数本のうちに保てる時間も長くなり、それを見たスザクは「さすがだ」と心底嬉しそうに笑った。

「・・・スザク、あんまりやらなかったけど、いいの?」
「うん。僕は昔によくやったから。今日はのために用意したんだし」

 ぱちぱちとはじける火花がスザクの瞳に映りこんできらきらしている。それになんだかどきりとして、目が合いそうになるとすぐに逸らした。まさかスザクが同じように感じているなんて、これっぽっちも思わずに。

「スザク、・・・どうもありがとう。でもごめんね、怒ったりして。ばかって言ったし」
「いいよ。それより、僕のほうがごめん。驚かせたかったから黙って出たんだけど、心配するよね。怒られても仕方ない」

 本当にごめん、といつになく沈んだ声で言うスザクに慌てたがもういいの、と首を横にふると、その振動が伝わったのか線香花火の先がぽとりと落ちた。ああ、と残念そうな声をあげるに次の一本を渡してやろうと袋を覗き込んだスザクだったが、ごめん、とまた同じ言葉を口にする。

「今ので最後だった。これで終わりだ」
「えっ、・・・・・そう、なんだ」
「今日は終わりだけど、また買って来るよ。売ってる場所も憶えたし次はもっと種類もたくさん、」
「い、いい!」
「え」

 予想外の否定の言葉にスザクが目を丸くして「楽しくなかった?」と眉根を下げると、はさらに強く否定した。

「そんなことない、楽しかったよ!・・・でも」
「でも?」
「・・・・・・これ買いに行くの、また、時間かかるでしょ?」

 また朝からずっと、帰ってこないでしょ?屈んだ膝をぎゅっと抱きしめてそうこぼすに、なんといえばいいのか分からない。花火を持ったままの手に自分のそれを重ねて、スザクは笑った。ひどく嬉しかった。

「じゃあ、他の方法、探すよ。・・・もう今日みたいなことはしない」
「・・・うん」

 それに安堵したように微笑んだのおなかが突如ぐうと鳴った。そういえば夕飯を食べていない。瞬時に顔を赤くした主人にスザクが思わず笑って、そのあまりの恥ずかしさからはぱっと立ち上がった。

「ゆ、夕飯っ、スザクはパンとスープだけだからね!」
「ええっ!?僕も昼からなんにも食べてないんだけど、」
「もう決めてたの!」

 言いながら部屋の中へと走るを「転ぶって!」と慌てたスザクが追いかける。ロウソクの火が夜の風にふっと消えた。











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(2008.7.15)