「痛っ、」


 ちいさく声をあげたのはだった。自分の席について簡単なデータ整理をおこなっているスザクに背を向けて、棚の中のファイルをがさがさとあさっていた。「あった」とつぶやいたその直後、いたい、なんて言うものだから、当然スザクは驚いたように顔を上げ、ついでに席からも立ち上がった。


「どうしたの」

「うん・・・ううん、・・・あ、痛い」

「どうしたのってば」


 じいっと自分の指先をみつめるばかりで要領を得ないの正面に回りこむと、相手はやっとスザクの存在を思い出したかのように視線をあげ、左手をひらいてみせた。


「トゲ。・・・刺さっちゃった」

「トゲ?」


 まじまじとその指先をみつめると、たしかに点のような異物がある。さっきまでが手をつっこんでいた棚に目を向けて納得した。アッシュフォード学園生徒会室、というか学園自体にあまり似つかわしくない木製のものだ。スザクは積極的に学園全部を見てまわったわけではないけれど、すくなくとも彼が見た校舎内のうち、こんな木製の古びた棚なんてほかではお目にかかっていない。それを不自然に感じていつだったかルルーシュに訊ねてみたところ、「会長が置いたに決まってるだろう」と、なにを言ってるんだという口調で返された。「ちょうどいいサイズのものがないって、購入費をケチったんだよ。そのとき、他に出費が多くて。・・・会長が作るわけないじゃないか。リヴァルが言い含められたんだ」


「その、奥の、カドのところ。そうそこ、ケバだってて」

「うわ、ホントだ。危ないな、これ・・・直すか替えるかしたほうがいいんじゃない?」

「会長がうんって言うかなあ。ううう、指、すっごく違和感があるんだけど」

「あ、触ったらだめだって。ちょっと待って、とげ抜きなかったっけ?」


 反対側のキャビネットへ駆け寄って、普段あまり使わない引き出しを手当たり次第に開けてみる。几帳面なルルーシュが片付けていくその隣で、几帳面とはいえないミレイはじめ生徒会の面々が思い思いの場所に道具をしまってしまうので、最近ではさすがのルルーシュもあきらめ気味だ。けれどこういうときに、ああやっぱり彼の主張は正しいのだなあ、とスザクはしみじみと思うのだった。そもそもとげ抜きはあるのか?


「あ、こんなところに」

「あった?」

「ううん、ごめん、とげ抜きじゃなくて。昨日シャーリーがさんざん探してたじゃない?修正液」

「ああ!そこにあるの?なんだ。あれ?でもたしか・・・」

「うん。新しいの買ってたよね。でもこれももうあんまり残ってないみたいだし、ちょうどよかったんじゃないかな。・・・シャーリー新しいのどこに置いてたっけ?」

「・・・さあ」


 次からはもっとまじめにルルーシュの言うことを聞こう。スザクとが同じような思考に行き着いたところで、今度こそスザクの手がぴたりととまった。あった、と思わず顔がほころぶ。


「これピンセットだけど、そんなに変わらないよね?」

「えっ、どうだろう、ちょっとわからない」

「まあいいや、うん、多分大丈夫。僕、目には自信あるんだ」

「目?」

「あと手先」


 ふうん?と首をかしげるのもとへ戻って、「手貸して?」と自分の左手を差し出す。うん、と重ねられた手は、思いのほかちいさくて、どきりとするほどやわらかかった。予想していなかった感触に、おもわずスザクの動きが数秒とまる。


「どうしたの?」

「え、あ、ああ、ごめん、ちょっとその、ぼうっとしてて」


 いぶかしげなの視線を受け止めきれずに、すぐに目線をまた手元に下げた。自分の肌の色とのそれとの違いは明らかで、そういえばこんなふうに女の子の手を触るなんてこと、ないなあ、と思う。いまここで、この手を突然ぎゅっと握ってみたら、どんな反応を返すだろう。怒るなんてことはないだろうけれど、びっくりして引っ込めるか、それとも。


「スザク?」


 名前を呼ばれて、むしろ自分が身を引きそうになった。なにを考えているんだ僕は。頬にじわじわ熱が集まっていくのがわかって、「ごめん、すぐ、抜くから」とごまかすように口を開いた。絶対耳まで赤くなってる。みられてないといいんだけど。
 の手のひらをすこし横に向けるようにして、薬指の腹、その斜め下のトゲに集中する。がいじってしまったせいなのか、もともとなのか、ちいさなちいさな原因はだいぶ埋まってしまっているように見える。他人のトゲを抜いてやった経験なんてないので、力加減がわからなかった。このまえお前その馬鹿力なんとかしろとルルーシュに言われたのはどうしてだっけか。


「ちょっと荒っぽくなるかもしれない、痛かったら言ってね?」

「ええ、スザクの荒っぽいってほんとに荒そう。でも平気、遠慮なく抜いちゃってください」


 の言葉に肩の力がいくらか抜けて、ピンセットの先をトゲに当てた。一度集中すると周りが見えなくなる。無意識にの手を握る力が強くなっていたことも、それに対しての顔がわずかに赤くなっていたことも、結局スザクは気付かなかった。


「・・・・・・あ、抜けた」


 数分間の格闘の末、トゲはするりと指先から出て行った。ホント?とも覗き込み、先ほどから自分たちを悩ませていた原因の姿がなくなっているのを確認すると、はああ、と大きく息をついた。


「どうもありがとう、スザク。うん、たしかにスザクは器用みたい。わたしには無理そうだったもん」

「どういたしまして。まあ、自分で抜くのは誰でもやりづらいんじゃないか、」


 な、という最後の言葉は発することなく飲み込まれた。顔をあげると息がかかりそうな距離にの顔があって、おまけに自分はその手をさっきよりもずっと強く握ってしまっている。忘れていた緊張感がふたたびスザクを襲って、鼓動は正直に速くなった。喉も渇いていたからごくりと唾を飲み込んだら、その音が頭のなかに鮮明に響いて、に聞こえてしまったんじゃないかと心配になった。


「え・・・っと、」

「あの・・・その、ありがとう、・・・うん」


 す、とスザクの手から自分の手を引き抜こうとしたの動きに反応して、引き止めるようにさらに力をこめていた。驚きに目を瞬かせるをみて自分のほうが驚いて、なにか言わなければと口を開きかけた。


「・・・あら?」


 ドアの開く音と、それに続いて聞こえた声にばっと二人が振り向くと、立っていたのはカレンだった。カレンはスザクとの顔を交互に見て、二人の立ち居地を見て、視線をゆっくりと下にずらして、その手がしっかりと(というようにカレンには見えた)握られているところまで辿り着くと、すぐに目元を赤く染めて、はっきりと狼狽した。


「あ、あの、わたし、ご、ごめんなさい、じゃまするつもりはなかったんだけど、ええと・・・大丈夫、なにも見えてないから、目・・・そう、目がかすんで」

「か、カレン」

「大丈夫、まさかあなたたちがそういう関係だったなんて・・・あ、ううん、こっちの話。わ、わたしなんだか熱がぶり返してきたみたいだから、今日はあの、もう帰るわね。・・・ごゆっくり・・・」


 去っていくカレンになにも言えず、たっぷり時間をとってから顔を見合わせると、思わずどちらともなく笑っていた。「あんなに動揺してるカレン、はじめてみた」と楽しそうにドアのほうを見るに目を細めて、スザクは相変わらず握ったままの彼女の手に視線をおとした。左手の薬指。ここにいつか指輪をはめるのかなあ、なんて考えてしまって、また顔が赤くなった。



























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カレンをかけたのが一番の満足


(2007.6.28)