ふ、と目が醒めた。今の今まで見ていたような夢の内容は完全に頭の中から消え去り、枕元の時計に目を向けるともう正午をまわっている。まだ眠っていたい気分だが、今日はいろいろとやらなければならないことがある。シンは無理やり体を起こすと、ううん、と大きくのびをした。


 が仕事で地球へ行って一週間、今日の夜に帰国する予定だ。
 リビングのテーブルに出しっぱなしだったパソコンの電源を入れて、何時間か前に完成したばかりのレポートのデータを呼び出す。が帰ってくるまでに学校にこれを提出しに行って、夕飯の買い物をすませて、一週間で見事に溜まってしまった洗濯物を片付けて、掃除して、夕飯の支度をして、を迎えに行かなきゃならない。迎えに行くと言ってあったわけではないけれど、もう自分が完全に限界に達している。この日をどれだけ待ちわびたことか!わくわくする気持ちは自然とシンの口元をほころばせた。一秒でも早く会いたくて会いたくて仕方がないのだ。


(なに作ろう)


 レポートを確認しつつ、慣れない料理のことを考えてみる。と暮らし始めてそろそろ2年だが、シンが食事を担当することはほとんどなかった。嫌いというわけではないけれど、のように予算やら栄養やらバランスやらを考慮して、が出来ない。そしてなによりあまりおいしくない。だから大抵は食事をが作ってシンが後片付けをする、のパターンなのだが、今日ばかりは疲れて帰ってくるはずのに夕飯まで作らせるわけにはいかないので、自分がなにかしなくては。


(・・・どうしよう)


 パソコンからデータの入ったディスクを抜き出して、電源をオフにする。ディスクをソファの上に放り出してあったバッグの中に放り込むと、とりあえずあたりに散らばった洋服たちをかき集めた。洗濯しながら夕飯のメニューを決めよう、じゃなきゃ買い物に行けない。外に出るには着替えもしなくてはいけないし。のろのろと服を抱えて立ち上がって洗濯機のところへ向かおうと廊下に出ると、ピピ、と玄関のロックの開く音がした。え?


「あっ、シン!」


 ばさ、と手から洗濯物が全部落ちた。開いたドアの向こうにいるのは今夜自分が迎えに行くはずので、・・・あれ?それで自分はなんでのん気にこんな洗濯とか、ていうかさっき起きたばっかりで、え?


「、え、えええっ、さ、えっ?だって帰ってくるの夜だって、だから俺迎えに・・・っ」

「うん、それが予定がだいぶ早まって。ルナ、シンいるよ?」

「る、ルナ?」


 が背後に呼びかけると、ドアの向こうにさらに見知った顔がもうひとつ加わった。昨日も会ったばかりの友人は、不機嫌そうにシンを睨みつける。


「あんたねえ・・・起きてるんなら電話出なさいよ。昼までにはレポート出しに行きたいな〜とか言ってたくせに電話もメールもなんの反応もよこさないんだから」

「あ・・・え、電話したの?」

「・・・これですよ、さん。一週間ずっとこんな感じなんです」


 ルナマリアが口を尖らせて訴え、それを受けたは困ったように笑って首をかしげる。それに一瞬で見惚れたシンはようやくが帰ってきたことを実感し始めた。出かけていったときとは違う服装で、シンも荷物をつめるのを手伝ったワインレッドのスーツケースの中身はたぶんすこし変わっているんだろう。見送るときはシンが空港まで運んだのだったが、けっこう重かった。これをもって一人でここまで帰ってくるのは大変だったろう。ああ、ほんとに迎えに行きたかった、


「シン、ちゃんとゴハン食べてた?」

「え、」

「買ったものばっかり、だったんじゃないの?わたしが作っておいたの、食べた?」

「あ・・・えっとあれは、・・・一日目にぜんぶ・・・」

「どうして!あれ、三日分は作ったつもりだったのに!」


 心底驚いたようにが言って、ルナマリアも呆れたといわんばかりにため息をついている。仕方ないじゃんか。一週間も会えないのかと思うと本当につらくて寂しくて、が自分のために作ってくれた料理を見るだけで切なくてたまらなくて、こんなんじゃ絶対にもたないと思ってぜんぶ片付けてしまったのだ。まあそんなことしなくたって、の持ち物を見るたびに毎回似たような状態になっていたのだけれど。


「足元の、それ、洗濯物でしょ?もしかしてこれから洗うの?」

「・・・あ!いや、これはその!」

「・・・これだけじゃないよね?部屋にもあるんでしょ?あ、ルナいつまでもこんなところでごめん、上がって!」

「はーい、おじゃまします」


 シンの落とした洋服を拾って部屋の中に入っていくと、そのあとについて同じく部屋にあがるルナマリアの後ろでシンはおろおろとし、ひとまず置かれたままののスーツケースを運ぶことにした。うん、重たい。ドアを開けると床の上に散乱した服やらタオルやらを拾い集めるの姿があって、シンはあわてて駆け寄る。


「い、いいよさん俺がやるって!散らかしたの俺だし!」

「でもわたしのも一緒に洗っちゃうから。それよりシン、ルナにお茶出してあげて?途中で会ったんだけど、すっごく心配してたんだよ。シンが朝から全然電話に出ないんです、って」


 ルナマリアを見ると、そのとおり、と言いたげにシンを見返してきた。心配をかけたのは事実だろう。けれどもう一度、でも、と言いかけると、お願い、とかるく叩かれた。それだけで気分がふにゃっとなって、結局言うとおりにしてしまう。
 学校に行くって決めたときもそうだった。が軍人を続けると聞いて、自分も今さら学生なんてと思ったから、そのまま軍に所属し続けるつもりでいたのだ。けれどが、シンには学校に行ってほしいなって言ったから。目をまっすぐに見つめて、お願い、って言われて、それで断れるわけがなかったんだ。もちろん今はそれなりに楽しんでいるし、行ってよかったって思えるけれど、早く自分がちゃんとを守れるようになりたいと焦る気持ちもやっぱりあるので。


 すっかりくつろいだ様子でソファに座っているルナマリアにインスタントのコーヒーを出してやって、さあを手伝おうと身を翻しかけると、ルナマリアがぐいと腕を引っ張って無理やりソファに座らされる。なんだよ、と文句を言ってやると、それ以上の意をこめて睨まれた。


「不精者」

「・・・う・・・」

「帰ってきたばっかりのさんに洗濯なんかさせて。このまま掃除もするわよ、絶対。そりゃあ元々帰ってくるのは夜のはずだったわけだけど、それにしたって今日までにある程度片付けておくべきだわ。さんが見たら自分でやるの、わかりきってるじゃない」

「そ、そうだけど・・・ホントにやる気出なかったんだ、ここ何日か。なんていうか、・・・・・・・・・でもごめん」

「わかってるけどさあ」


 あたしに謝ったってしょうがないでしょ。言いながらコーヒーに口をつけるルナマリアの仰るとおりだ。なんとも居心地の悪い思いをしていると、洗濯機がごうんごうんと回る音がし始めて、が部屋に顔を出した。


「ルナ、まだいるよね?渡したいものがあって・・・」

「あー・・・ごめんなさい、あたし、コレ飲んだらお暇します。シンの様子見に来ただけだし、レポート出しに行かなきゃ。ついでにシンのも出してきてあげるわよ」

「えっ!」


 思いがけない言葉に俯かせていた顔をいきおいよく上げると、ルナマリアが肩をすくめて笑っているところだった。「どうせあんた、学校なんか行ってられないでしょ?」と言われて大きくうなずく。さすがに長年の付き合いなだけあって、元同僚で現同級生の彼女は自分のことをよくわかっている。ルナマリアはぐぐっとカップの中身を一気に片付けてしまうと、言葉通りにすぐに立ち上がった。


「で、シン、レポートどこ?まさか完成させてないなんて言わないわよね」

「あっ、こ、ここ!これ!・・・ほんとにいいの?」

「よかったわね、今日のあたしは機嫌が良くて。その代わり今度なにか奢んなさいよ」

「わかった!」


 素直に返事をするシンを見て、今日だけだからね、と念を押したもののルナマリアも満足気だ。ここ一週間のシンの無気力さを一番近くで見ていた身としては、まあこれくらいはいいかと思うのだった。ルナマリアが玄関に向かうと、スーツケースを開けて中をがさがさとやっていたが近寄ってくる。


「はい、ルナ、これ持っていって。おみやげ。メイリンと食べてね」

「わあ、ありがとうございます!嬉しい。それじゃさん、今度お休みのときにでも、またお茶付き合ってくださいね。いろいろ聞いてもらいたいこともあるし」

「うん、楽しみにしてる」

「あの、ルナ、ほんとありがとう」

「どーいたしまして。じゃあ、失礼します」


 ルナマリアが立ち去ると共にドアが閉まって、家の中がとたんに静かになった。それでが一週間ぶりに隣にいることを強く意識したシンは、はじめに指先でその腕にそうっと触れてみて、相手がぴくりと反応したのを感じると一気に引き寄せて思いっきり抱きしめた。体はの感触をすぐに思い出して、胸がいっぱいになる。


「ごめん、迎えに行かなくて」

「ううん」

「でも荷物、重かったよね?・・・連絡くれたら飛んでったのに」

「・・・・・・電話したよ」

「えええええ!」


 反射的に腕をのばしての顔を見ると、すこしばかり拗ねている。穏やかだったはずの気持ちが一瞬でひっくり返った。電話に気づかないほど寝てしまっていたのだ、おそらく。まさかからの電話を無視してしまうなんて一体自分は何を考えているんだか!


「ご・・・ごめんなさい・・・」

「あ、ううん、怒ってないよ。連絡もろくにとれなかったから、その間になにかあったんじゃないかってちょっと心配したけど、ルナからたぶんレポートのせいだって聞いたし」


 シンの沈みようにむしろは慌てたようで、首を振って否定した。それから話題を変えるように、そうだ、とつぶやく。


「買い物に行こうか!夕飯、なにが食べたい?わたし作るよ」

「え、ま、待って、それは俺がやる!なんかさっきから全部さんがやってるし・・・」

「でもシン、あんまりちゃんとしたもの食べてないんでしょ?だから・・・」

「あー、うーん、俺だってさんの料理食べたいけど。・・・うーん」

「なら、一緒に作ろう。それならいいよね。それじゃあまずは買い物に、」

「待った!あ、いや、一緒に作るんでいいけど、・・・もうちょっと、えっと、・・・このまま」


 もう一度を抱きしめると、すこし困ったように身じろいだけれどすぐに同じように腕を回してきた。たぶんしばらくはこのまま動けないに決まってる。
















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(2008.3.31)