しめきったカーテンの隙間から、ほそく月の光が差し込んでいる。ぼんやりと照らされる窓際のベッドには二人が横たわっていた。ベッドの外に投げ出した腕で、床に脱ぎ捨てた自分の服のなかを探り、銀色の時計を取り出したシンは、月明かりで文字盤を確認し、むくりと身体を起こす。ずれたシーツから隣で寝ているのむきだしの肩が見えて、そっと掛けなおしてやった。
 黒いズボンに足を通し、白いシャツを着て、黒のベストを羽織ったところで、シンの気配に気付いたらしいが目を開け、小さい声で訊いた。


「もう行く?」
「うん。今日はレイが朝早いんだ。起きて、俺がいなかったら、まずいだろ?」
「・・・そうだね」


 もゆっくりと身体を起こして、シーツを手繰り寄せながらシンを見た。身支度を整えてすっかり執事の姿に戻ったシンは、の視線に気付いてほほえむ。


も服、着ておきなよ?風邪でもひかれたら、」
「そしたら、シンが看病してくれる?」


 真摯なの視線に、内心で苦笑した。お互いに、ほんのすこしでも、自然に傍にいられる機会を探している。シンの、表情や仕草のほんのわずかな変化をも見逃すまいとするようにこわばっているの頬をやさしく撫でて、幼い子をなだめるような気分で口をひらく。


「そうしたいのはやまやまだけど、どうかな、ルナがやるってきかないかも。お嬢さまのお世話はあたしの仕事よって、睨まれたばっかりだから」


 言いながらベッドに腰掛けると、ほしいのはそんな答えじゃないと、不満げに眉をひそめる。予想通りの反応に、思わずふっと頬が緩んだ。「わかってるよ。お嬢さまの仰るとおりにいたします」からかうような口調でそう告げると、今度はその言葉にの表情がくもるので、自分よりもひと回りも小さいその身体を引き寄せて、そっと抱きしめてやる。


「ごめんって、大丈夫。ちょっとふざけただけだよ」
「・・・二人のときは、お嬢さまって、」
「言わない約束。忘れてないから」


 の額に唇を落として、その耳元に、相手にだけ届けるように囁けば、安心したようにちいさく笑みを見せて、それがかわいくて今度は唇にキスをした。名残惜しげに応えてくるのが愛おしくて、離したくはなかったけれど、いつまでもこの部屋にもいられない。サイドテーブルに置いていたネグリジェをに手渡してやると、立ち上がった。が見上げる。


「じゃあ、おやすみ」


 つぶやくように言ってドアまで歩く。慌てて寝間着を上からかぶったが駆け寄ってきた。シンの裾をとる手は引きとめるような強い力ではなかったけれど、その力の弱さがむしろ辛くて、なにも口にしなくたって、の言いたいことは充分に伝わってくる。やさしく手をとって、服から放して、安心させるように笑いかけてやりながら、そっとドアを開けた。ひんやりとして静かな廊下に、誰かがいる気配はない。それをも確認したのか、ちいさく開けたドアの隙間から身体をすべるように廊下へ出すシンにむけて、口を開いた。


「・・・また、あとでね?」


 じっとシンから目を離さないを見ていると、また部屋のなかに戻ってしまいそうになるので、うん、と小さくうなずくだけにして、できるだけ静寂を破らないようにドアを閉めた。この隔たりが、きっと今の自分たちの距離だ。










 身寄りのないシンがここの主人に引き取られてから、もう10年は経つだろうか。引き取られたといっても、養子という形ではなく、幼い娘の、つまりの、遊び相手として、衣食住を約束されたようなものだった。けれど主人をはじめとするこの屋敷に暮らす人々は皆シンを温かく迎え入れ、きちんと使用人として働きたいと言い出したのもシン自身だった。すこしでも恩を返したいと思ったからだ。


 なのに。自分が歩くわずかな靴音以外にはなんの音も聞こえない廊下で、気分が沈んでいく。恩返しどころか、今の自分との関係は、彼らに対して裏切り以外のなにものでもないだろう。シンにとっても、こうして夜中にこっそりとの部屋をおとずれるのは、毎日ではないにしろ、リスクが大きい。部屋になにか忘れ物はしていないだろうかとか、こうして廊下を歩いているところを誰かに見られていたらとか、夜中のうちに部屋を抜け出していることを、同室のレイが気付いているのではないかとか、いざというときの言い訳は一応考えているにせよ(たとえば、昼間に頼まれた仕事にやり残しがあったことを思い出した、とか、物音がしたから泥棒でも入ったのかもと見回っていただとか)、考え出したらきりがない。もちろん、そんな心配をなくすための一番いい方法は、こんなふうにに会うのをやめることに決まっているけれど、それができれば悩んだりしない。お嬢さまと使用人という関係では、昼間、他の人たちの目のある中で、手を握ることだってかなわないのだ。


 とひそかに二人だけで会っているときは、楽しい。自分と相手の立場も忘れて言葉も交わせるし、触れられるし、抱き合ってキスもできる。だからこそ身体を起こして、部屋を出るときの寂しさが大きすぎる。けれどシンには、この状況を抜け出す良い考えなんて、これっぽっちも思いつかない。


 自室の前まで来て、ドアを開けようと取っ手に手をのばしかけると、シンが触れるより前にそれはがちゃりと動き、開いた。びくりと肩を震わせた先に立っているのは、レイだ。一瞬で、さっと血の気が引いたのが自分でもよく分かった。


「・・・戻ったのか」
「え、あ、やっ、その、・・も、物音、が」


 もうレイが起きてしまう時間だったのだろうか。もっと早くに出てくるべきだった?心臓が早鐘のように鳴り出して、一気に喉がカラカラに乾いた。あれほど何回も練習したはずの言い訳の言葉も出てこない。どっと冷や汗がふきだして、その場に呆然と突っ立ちなにも言えないでいるシンを一瞥すると、レイは廊下に出て、すれ違いざまにつぶやいた。


「・・・あまり、溺れすぎるな」
「・・・!」
「ルナマリアも心配していた」


 レイの足音が遠ざかっていくのを遠くで聞きながら、無意識に部屋の中に入り、ベッドに倒れこんだ。頭のなかがぐるぐるして、なにも考えたくない。もう、寝てしまおう。朝になれば、なにか、変わっているかも、しれない。


「・・・


 目を閉じて思うのは彼女のことばかりだ。














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趣味です


(2008.1.19)