マスカットグリーン
腕の中にいるの髪の毛をゆっくりと梳いてやっていた刹那の手が、ぴたりと止まった。ベッドのシーツの感触と、刹那の体温の心地よさにうとうとしかけていたが目を開け、見上げてくるのに、刹那も視線を合わせる。
「、すまない、そろそろ時間だ」
「あ・・・そっか、うん」
枕もとの時計を見て、眠気を覚ますべくが目をこする。起き上がろうとする彼女を制して、刹那だけがベッドから出た。
「まだ休んでいろ。疲れたろう」
「え、うーん・・・まあ、少しは。・・・わたしより刹那でしょ?バイト前なのに・・・」
「俺なら問題ない。の顔も声も充分堪能したからな」
「な、なに言って」
かあ、と赤くなった顔を掛け布団で隠しつつ、刹那を睨みつける。こちらに背を向けながら着替えている彼の表情は伺えないが、ふ、と息を漏らすのに笑っていることが分かる。くそう、からかわれた。いつからこうもすっかり立場が逆転してしまったのだろう、むすりとするの頬は、でもやっぱり赤い。
互いに小さいころからよく知る仲だが、昔は主導権を握るのはもっぱらだった。無口な刹那が冗談を言うことなどなかったし、あまり主張をするような性格でもなかったので、誤解されたり謂れのない非難を受けたりもしたけれど、そのたびにがかばってやっていた。刹那を分かってあげられるのは自分だけだからという妙な責任感を持ち、あちこちに連れまわしたりもして。
(なのにいつの間に、こんなになっちゃった)
高校を過ぎたころからぐんと成長した刹那はすっかり男らしくなって、今ではむしろのほうがいろいろと助けられている。こんな関係になってからは余計にその男らしさを意識してしまい、刹那に頼ることを覚えてしまった気もする。普段はあまり考えないが、ふと昔の自分たちのことを思い出すとそれがなんだかおかしく悔しくて、はぼそりとつぶやいた。
「・・・昔はもっとかわいかったのに」
「何?」
「刹那が。刹那にはわたしがいなきゃ、守らなくちゃって、いろいろがんばって、でもそれがけっこう嬉しかったのになあ」
天井を見上げながらため息をつくの傍ら、ベッドの端に着替え終えた刹那が腰掛ける。指先での髪の毛に触れ、見下ろしてくるのに、天井へ向けていた視線を刹那へと動かした。その顔がやわらかく微笑んでいるのに、の頬がまた熱くなる。
「俺は、今でもがいないと駄目だ」
「・・・」
「だが、守られてばかりじゃ情けないと思っていたから、もしが今は俺に守られていると思うなら、それは嬉しい」
「・・・おもう」
言った自分が恥ずかしくてそっぽを向くの額に、刹那が唇を寄せた。ちゅ、とかわいらしい音が響けば、がちらとこちらを見る。待ちかねたように今度は唇にキスをした。
「・・・今日、バイト終わるの、遅いんだった?」
「ああ、閉店までいると思う」
「そっか・・・」
「寂しいか?」
「べ、べつに」
即座に否定するの顔は、けれど変わらず赤く、それに刹那がまた笑う。が顔をしかめるのさえ可愛く見える、もう病気みたいなものだ。
「なら、足りない?」
「へ!?」
「安心しろ、俺も足りない」
なにいって、驚くの口をもう一度キスでふさぐと、その耳元で「待ってろ」と囁いた。ぴたりと大人しくなったは口をぱくぱくとさせ、思いきり目を丸くしている。その顔をしっかりと目に焼き付けて、「行ってくる」と言い残すと、刹那は部屋を出た。ぽかんとするは行ってらっしゃいを言うどころではない。
がちゃり、玄関のドアを閉める音が聞こえ、ようやくの金縛りがとける。今日一番に顔を赤くして、がばりと布団を頭までかぶった。
「〜〜〜、も・・・っ!」
昔はもっと、かわいかったのに!
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(2009.3.30)