普段は滅多にない甘ったるい香りが屯所内を充満している。香りの原因をたどっていた総悟が台所をのぞきこむと、さまざまな調理器具と、いろいろな食材の中心に、がいた。
「。お前、なにしてんでィ」
「あ、総ちゃん。なにって、今日はバレンタインだよ」
バレンタイン?とつぶやきながらに近づくと、大き目のボウルの中にはチョコレート色をした生地のようなものが入っていて、はそれをゆったりと混ぜている。ボウルの傍らに放ってある銀紙は、総悟もよく知る菓子メーカーの板チョコのものだ。ふうん、と、の手元を物珍しそうに眺めながら、口を開いた。
「手作りなんて珍しくねェ?」
「うん、たまにはいいかなあって。本屋さんでレシピ本立ち読みしてたら、意外と簡単そうなのも載ってたから」
言いながらがちょいと指し示した先に、チョコレートケーキの写真がでかでかと使われた本があった。初心者のため、の一文もある。閉じているそれの一箇所にしおりが挟まっているので、総悟はそこのページをめくってみた。
「今作ってんの、コレ?」
「ん?あ、うん、そうそう。あとはもうちょっと混ぜて焼くだけ。・・・あれ、オーブンあっためておかなくちゃいけないんだっけ?」
「180度って書いてある」
「うわわわ!ね、総ちゃん、このオーブン予熱どうするの?」
「俺が知るかィ」
急に慌しくなったを横目に、総悟は本を眺める。が今せっせと作っているページを過ぎ、さらにぱらぱらとめくってみた。あらゆるお菓子が並ぶ中には総悟がこれまでに見たことも聞いたことも味わったこともないものもたくさんあって、そのうちのひとつがふと目に留まった。
「やった、予熱できそう!これであったまるのを待てば・・・」
「なァ、、これ」
「え?」
オーブンの前でガッツポーズをしているの背をつつき、続けて開いた本のページを示す。
「俺、これ食いてェ」
「ええっ、だって総ちゃんの分はもう作っちゃったよ!」
「これから焼くんだろィ、今から変えられねェの?」
「ううん、そうじゃなくて、総ちゃんのはもう別に作り終わってるの。今作ってるのは他のみんなの分」
の言葉に、ぴたりと総悟の動きが止まった。ぱちぱち何度かまばたきをすると、急にぶすりと口を尖らせる。その表情を見たもつられて眉を寄せた。
「だって、そんな、今言われたって・・・それともそっちも作る?これ作り終わったあとに材料買ってからになるから、だいぶ遅くなるけど・・・」
「・・・・・」
総悟はの提案を聞いても特になにも言わずに、本をもとあった場所にぽんと置くと、なにやら戸棚を漁り始めた。「総ちゃん?」とが呼びかけても、こちらを見もしない。
「総ちゃん、そこには置いてないよ。作ったのならわたしの部屋に、」
「そーじゃなくて。たしかこのへんに・・・あったあった」
「何探して・・・って」
ようやくこちらを振り向いた総悟の手には、真っ赤な瓶。
「・・・?それ、タバスコ?どうするの?」
「こうする」
そう言うとタバスコの蓋を開け、作りかけの生地が入ったボウルに中身をぶちまけた。
「あああええええええ!?」
「すげえ、真っ赤。あーこりゃ食えねぇなァ」
「当たり前だよ!ひーどーいいぃ」
慌てて総悟の前からボウルを奪い取るが、後の祭り。さっきまで甘く幸せな香りを放っていたチョコレート色の生地は、タバスコの赤で覆われた、目と鼻につんとくる嫌な生地になってしまっていた。
「・・・せっかくみんなにあげようと思ったのに」
ボウルを見つめながらぽつりとこぼしたに、総悟はふんと鼻をならした。
「つーワケで、今年は俺にだけよこしな」
それだけ言って台所を出て行く総悟の後姿をぽかんとしながら見送ったあと、はちいさく「なんだ、」とつぶやいた。
「ヤキモチか」
「えええっ、ないの!?今年!俺、からのチョコ毎年楽しみにしてるのにっ」
「ごめんね、総ちゃんがじゃましてきたから」
「・・・あの人ってたまにほんっと子どもっぽいよなぁ、」
「土方さーん山崎が副長クソくらえって」
「ぎゃああああ沖田隊長おああああ!」
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(2010.2.14)