「あ、いけない」
冬のある日の市中見廻りは、総悟とのペアで行われていた。ふわふわの毛糸で編まれたマフラーを口元にまで巻きつけて寒い寒いを繰り返していたが、とある店の前で足をぴたりと止め、つぶやく。半歩遅れて立ち止まった総悟が振り返り、後ろの部下に目を向けた。
「あ?」
「チョコレート、まだ買ってないんです。・・・すっかり忘れてた」
そういうの視線の先には、セント・バレンタインデーの文字とハートマークがたくさん描かれたピンク色のポスターが貼られる、一軒の菓子店。イベント日間近ということもあり、店内にはチョコレートを物色する女性客の姿が多く見られる。
二月に入って早々にあの類のポスターは街のあちこちに貼られるようになっており、それにすぐに気が付いたはいつ買いに行こうと気にかけていたわけだが、バレンタインというイベントが自身の中にいまいち根付いていない総悟は、視界にそのポスターなどが入り込んだところで全く意識することもなく、今初めて見たといわんばかりに「ああ、」とつぶやいた。
「そんな時期かィ」
「そうですよ。隊長、興味ありませんか?」
「興味ないっつーか。田舎にいたころは誰もやってなかったし、こっち出て来てからもあんまり女とは縁がないんでね」
「・・・わたし、女ですけど」
「あり?そーでしたっけ」
そう返してきた総悟の足がふらりと菓子店へと向かうので、問いただしてやるよりもまず追いかけなくてはならなかった。近づいて文句を言ってやろうと開きかけたの口は、けれど店先の大きなバスケットに詰めこまれたチョコレートたちに気を取られ、「わあ」と別の言葉をつむぐ。店内にもさまざまにディスプレイされた商品をガラスのドア越しに見、寒さのせいで動きにくくなっていた口元も自然と微笑んだ。
「たくさん種類があるんですね。こんなにあると、選ぶのも楽しそう」
「俺にはどれも同じに見えら」
「えええ、どれにするかってすっごく悩むんですよ。でもなかなか・・・あ!そうだ!」
ぽん、と手を叩き、が総悟を見上げる。総悟はその鼻の先が赤いのを、トナカイっぽい、といささか時期はずれに思った。
「隊長、選ぶの手伝ってくれませんか」
「今どれも同じに見えるっつったばっかなんですけど」
「そうですけど!でもほら、局長たちの好みは隊長のほうがよくご存知かなって!わたしじゃどれにしようか悩んじゃって全然選べないんです」
お願いします、両手をあわせてそう頼んでみるが、総悟の反応はにぶい。「面倒くせェ」とか、「一応仕事中だし」なんて柄にもないことを言い出すので、は無理やり総悟の袖をひいてチョコレートたちの目の前に引っ張っていった。
「たとえば!たとえば副長だったら、こういう、お酒が入ってるのがいいかな、とか。ね?」
「・・・ああ?土方?」
「あ、これ煙草の形してるんだ。これがいいかなあ・・・煙草の代わりにこれにして、ちょっと本数減らしてくださいって、あ」
箱を手に取りぶつぶつと考え込んでいたから、総悟がそのチョコレートを取り上げてしまった。抗議するより前にそれを元の場所に戻しながら、「やめとけィ」なんて言う。
「あの人、甘いもん食わねェだろ。そもそもこういう行事は浮っついてるって嫌ってるし」
「え、ああ・・・うーん、でも普段からお世話になってると思うとやっぱり、」
「世話になってるヤツなら他にもいんだろィ」
煙草チョコに未練のあるがそれにまた手をのばそうとしても、ぴしりと腕にチョップされて阻まれる。口を尖らせて総悟を見上げた。
「分かってますよ。もちろん皆にだって買います。じゃあ・・・局長にはどれがいいと思いますか?」
「近藤さんは姐さんからのチョコ狙いだから。いらねェだろ」
「えええ・・・。あ、あのたくさん入ってるの、みんなに配るのにちょうど良くないですか?」
「あんなちっこいの一つもらったってなんも嬉しくねェや」
「・・・。・・・じゃあこの拳銃型のチョコを松平さんに」
「とっつぁんは毎年キャバクラで腐るほどもらってる」
「・・・・・・。これ、万事屋さん」
「旦那は糖尿だろィ」
チョコ選びを手伝ってくれるどころかことごとく否定され、の手にとられたチョコレートは瞬時に次々元の場所へと返されていく。隊長、と、すこしだけ睨むように相手を見た。
「一緒に選んでくれてないですよ」
「選ぶなんて一言もいってないですぜ」
まあ確かに。でもたまにはちょっとくらい、部下の手助けをしてやろうっていう気を起こしてくれてもいいと思う。しかしそもそもそんな期待を抱くことが間違っていたのだと思い直すことにして、はちいさくため息をついた。
「・・・いいです、やっぱり買わない。見廻りに戻ります」
引き止めちゃってすみませんでした、と付け加えて歩き出したのマフラーが、後ろからぐいと引っ張られた。驚いて振り返れば、当然マフラーのはしを握っているのは総悟で、しかも目いっぱい不機嫌な顔になっている。足を止め、「隊長?」と呼びかけた。
「どうしたんですか」
「忘れてねェ?」
「え?なにを?」
「・・・一番世話になってるヤツ」
非常に不本意といった様子でそうちいさく言う総悟を見ても、すぐには何のことやら分からなかった。「ええと・・・」とつぶやきながら首をかしげ、本気で考えるに、しびれを切らしたらしい総悟は無遠慮にチョップを繰り出してくる。
「毎日、」
「いたっ」
「おまえの、」
「いたい」
「面倒を、」
「痛いっ」
「みてやってる、」
「たいちょ」
「上司の、」
「隊、」
「ことだろう、」
「ちょっ」
「が」
「ほんとに痛い!」
ピンポイントで同じ箇所に連続七回もチョップされたは今度こそ文句を言おうと大きく口を開いたが、チョップの合間に告げられた総悟の言葉をつなぎあわせ、口を開けたまましばし動きを止めた。彼の言いたいことをようやく理解し、「あ、・・・ええと」、と、勢いなく声を出す。
忘れていたわけじゃない。今さらなことを聞かれたから、すぐに分からなかっただけだ。
「・・・ええと」
そう言って俯いてしまったを、総悟は未だ不機嫌な顔で見下ろした。の口から出てくるのは自分以外の隊士のことばかり、おまけに最後の彼は隊士ですらない。バレンタインのことを憶えていたわけでも、期待していたわけでもないのに、いざこうしてが他の誰かに渡すチョコレートを選ぶ姿を目の当たりにすれば、非常に気分が悪くなった。ていうか真っ先に考えなきゃならない相手じゃないのか、こうやってさんざん一緒にいるっていうのに。・・・別にだから、期待しているわけではなく。
そんなことを考えていると、黙り込んでいたがぱっと顔を上げた。その頬が赤く染まっているのに、総悟もなんだかどきりとする。
「・・・隊長のはもう、買いました」
「は?」
「ずっと前に一番に買いましたっ!だからいいんです!」
言いながらは総悟の後ろに回りこむと、「もう行きましょう!」とその背中を押した。無理に進まされながら、なんとか首だけ振り返ってを見る。怒ったように背中を押し続ける彼女と目は合わなかったが、耳元まで真っ赤になっているのはきっと怒りからではないだろう。総悟もいまさら自分が言ったことがなんだか恥ずかしくなって、ごまかすように口を開いた。
「手作りじゃねェんですかィ」
「・・・屯所の台所じゃ、ちょっと」
「そりゃそーだ」
びっくりさせようと思ったのに。ちいさくちいさくつぶやくの声が聞こえて、思わず笑ってしまった。
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一日遅れの
(2009.2.15)