「隊長っ!失礼しま・・・、」
慌ただしく廊下を駆けた先にある上司の部屋の障子を、許可を得る前にからりと開けた。挨拶の言葉を言い終える前にがそれをとぎらせてしまったのは、目的の人物が畳の上にごろりと横になっていたからである。一見して眠っていると分かるその状況に、障子を開けたままでしばし立ち尽くした。
「・・・・・・えええええ」
そんなばかな。だって急ぎの書類だって言ったのはあなたじゃないですか。
そうが肩を落とすのも無理はなく。昼の見回りが済んだ直後にただちに報告書を出せとの指令を受けたので、こうして急いで仕上げて持ってきたのだ。なのにその当人が寝てるってどうですか、沖田隊長。
ゆっくりと障子を閉じてから、足音を忍ばせてその上司のそばまで寄ってみる。総悟はいつもの昼寝スタイルそのままに、目元をすべて真っ赤なアイマスクで覆い隠し、横を向くように寝ていた。アイマスクに描かれているおかしな目玉はぱっちりと開いているが、肩の辺りが上下するのにあわせて規則正しい寝息が聞こえてくるので、たしかに眠っているのだろう。書類を傍らにある机の上に置いてから、膝を抱え、ゆっくりと総悟の肩をゆすってみた。
「隊長・・・沖田隊長。書類、持ってきましたよ?」
声がなんだかささやくようなものになってしまったのは、こんなに間近で彼の寝顔(半分は隠れてしまっているが)を見たことがないからだ。口はちょっとだけあいていて、ゆするたびに障子越しの光を受けちらちらと変わるキャラメル色の髪の毛だってなかなか見下ろす機会はない。本当はこの距離で、赤味がかった瞳も覗きこめたらよかったけれど、それはこのアイマスクがなかったところでまぶたの裏に隠れてしまっているはずだから、どのみち叶わなかったろう。
「・・・」
指先で総悟の髪の毛にそうっと触れてみても目を覚ます気配がないので、思い切って絡めてみた。彼の性格とは裏腹に、髪の毛は素直にが指を動かしたとおりにさらさらと流れ、やわらかく踊る。それに気を良くしたはしばらく総悟の髪の毛を梳く行為を繰り返した。
(だまってればきれいなのに)
本人に言えば確実に機嫌を損ねるだけでは済まないようなことも、内心で考えるだけなら問題はない。総悟の頭を無言のまま撫でていると、投げ出されている手がぴくりと動いた。それによりの意識は総悟の髪からゆるく握られた手へと移り、自然と、ごくごく自然と彼の手に触れていた。
まずはやっぱり指先だけをすべらせて、起きる様子がないのを確認してから、本格的に手のひらを撫でてみた。すこしかさつき、ごつごつしたマメが目立つのは刀を握るからだ。それはだって同じようなものだけれど、他の隊士たちに比べて小柄な彼が、こうして手を重ねてみるとのそれよりも一回りも大きく、その事実はの気持ちをゆるゆるとくすぐった。手のひら同士を合わせるようにすればまるで手をつないでいるみたいに見えるのが、なんだかちょっと、嬉しい。
こうやって手をにぎるだけで、自分の気持ちが伝わればいいのに。
仕事を押し付けられたって、会いにいく理由になるならこれっぽっちも苦痛じゃないこと。一緒の見回りの日は、どんなに雨が降っていようが心が浮き立って仕方のないこと。ほんのついでに買ってくれた小さな小さなチョコレートが嬉しくて、局長と副長と原田さんに自慢したこと。会議のときは総悟の後ろ頭ばっかり見てしまうこと。どんなに怒っていても悲しんでいても、声を聴けばいつのまにか忘れてしまっていること。顔を見ない日はそわそわして落ち着かないこと。呼び方が「」から「」に変わったら、どきどきして誰かに言いたくて、こっそり山崎さんに自慢したこと。まだまだ名前もつけられないような淡い気持ちだけれど、知ってほしいと胸の奥でうずうずしているのに、いつまでも気づかないふりを続けていられない。
「・・・沖田、隊長」
ささやくように呼び、触れた手にぎゅっと力を込めた。膝を抱えていたもう片方の手を畳に付いてゆっくり体を傾けながら、総悟の顔へと自分の顔を近づける。心臓がばくばくと鳴り始めるのに一度体の動きを止めるが、こんなチャンスはそうないだろうと決意を新たにさらに近づいた。いまさらながら、彼の目が隠れていて良かったなと思う。
目を閉じて、ほんの一瞬、唇を彼の頬に触れさせた。
その瞬間は周囲の音がすっかり消えたように感じていたのが、唇を離し、目を開けるのと同時に廊下の向こうから隊士数名の声が近づいてくるのに気づいたは、我に返り勢いよく身を引いた。いつの間にか完全に握り締めていた総悟の手を離すのはすこし名残惜しかったが、一度我に返ってしまえば自分のしたことが恥ずかしくて仕方なく、一秒だってこの場にいられない。部屋を訪れた目的である書類はそのままに、慌ただしく立ち上がり部屋を飛び出した。
「う、・・・わあ・・・」
障子を閉めてからしばらくその場に立ち尽くしていると、じわじわと耳元まで熱くなった。彼の寝顔のあどけなさや初めての手の体温に浮かれていたのかもしれない、あんなこと、してしまうなんて。もし仮に総悟が起きていて、自分の行動の一部始終を知られたとしたら、恥ずかしさで明日から仕事なんか出来ないに決まっている。良かった。
(体温、高かったな)
さっきまで総悟に触れていた手に残る温度を思い出してみる。ひどく温かくて、自分の体温とちょうど溶けあうのが心地よかった。それが眠っているせいなのかは分からないが、もしも小さい子どもみたいに普段から高い体温なのだとしたら、
(・・・なんか、かわいいな)
廊下を歩く隊士とすれ違いざまに頭を下げながら、こそりと笑った。まだ頬は熱いけれど、なんだか嬉しくて仕方なかった。
「・・・あんにゃろ」
寝ていたはずの総悟もまた耳まで赤くしていたのを、は知るよしもない。
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めいっぱいの感謝をこめて!
(2008.12.31)