膳の数の少なさに慣れてきてしまった夕飯は、仕度も片付けもあっという間に済んだ。片付けのあとに近藤らの晩酌につきあうこともあるが、ここ数日のはそんな気にもなれず、挨拶だけすると自室へさがり縫い物を始めた。近藤がのためにわざわざ用意してくれた小さなストーブのおかげで部屋は適度に暖かい。縫い物とは主に隊服の修繕で、外れたボタンの付け直しや、袖口の綻びを繕っていくのだが、今日はその量がすこしばかり多かった。先日の大きな捕り物のせいである。そのときにできた綻びを今になってが直しているのは、どうしてもやる気を起こせなかったからだった。別に縫い物が嫌いなわけではない、寒さのせいで手がかじかんでしまうわけでもない。単純に現在のはなにをするにもやる気が出なくて、そしてその原因はよく分かっていて、けれどその原因は今ここにはいなくて。そこまで考えて、もう本日何度目かも分からないため息を吐き出した。
重たいため息がストーブの温かな風と混じって部屋の中にすっかり溶けてしまうと、廊下の向こうがざわついているのに気づいた。玄関のほうから聞こえてくる隊士たちの声には反射的に腰を浮かせたが、はっとしてすぐに元に戻す。そ知らぬ顔をして縫い物を再開させたが、正直な心臓は簡単にその鼓動を速めてしまった。あのざわめきは、遠征に出ていた隊士たちが帰ってきたものに違いない。のやる気のなさの原因はきっとその中にまぎれて、この屯所の廊下を5日ぶりに歩いているのだろう。その姿を思い浮かべればそわそわと落ち着かなくて、針を持つ指先もちいさくふるえた。これは期待かそれとも恐怖か、考える間もなく廊下のきしむ音がすぐそこで聞こえて、暖まった部屋に背後からぴゅうと冷気が入り込んできた。びくり、と体が動いたのはその冷気と、かけられた声のせいだ。
「出迎えもナシたァいい度胸でさァ」
声の主はその姿を見なくたってすぐに分かる。の目にじわりと涙がにじみ、それでも振り返ることはしなかった。ばちばちばち、と必要以上にまばたきをして涙を無理やり押し込めると、とめてしまっていた裁縫の手を再び動かす。その一連の動きの中で一言も発することはなく、すると障子戸のところに立っているのであろう彼がため息をつくのが分かった。それにまた涙が出てくるが、ぬぐえばその動作で泣いていることが分かってしまうので、やっぱり瞬きで押し込めた。
「だんまりかィ」
たん、とちいさな音を立て障子戸が閉められた。これできっとすぐにまた部屋は暖まるだろう。それは確かにを安心させたが、彼―総悟の存在が、のそのささやかな安心感をあっさりと取り払ってしまうのだった。総悟はわざとらしくゆっくりと向かいにやってきて、ゆっくりと腰を下ろし、ゆっくりと顔を上げを見る。こうなってしまえばなおさら涙は流せない、は気づかれない程度にきゅっと表情を強張らせ、針を進める手に力を込めた。
「携帯。」
告げられるのが単語だけでも、その意味するところは充分に伝わった。一度ぐいと口を引き結んでから、できるだけ平淡な声を出した。
「・・・・・・電源、いれてない」
部屋の片隅に投げ出された携帯電話。それは総悟が遠征に出発した日に使われたっきり、ずっと眠らされたままだった。の言葉に総悟もその小さな機械に目を向けたが、それもほんの一瞬で、すぐにまた視線をへと戻した。電源を切ったままにしておいたのはのささやかな怒りと反抗心の表れだったが、こうしていざ総悟を目の前にすると数日前の行動に後悔ばかりがつのる。確実に彼を怒らせるであろうと分かりきっていたことだったが、あのときはヤケにもなっていたから怒らせたってかまうもんかと思えたことが、実際にその怒りが触れられるくらい近くにあると、そうしたくなくても体は恐怖にふるえてしまう。それを寒さのせいだとごまかしたくても、部屋はゆっくりと確かに暖まりつつあるのだった。
総悟はふうん、と、負けないくらいの平淡な声で返し、はそれにますますうつむいた。空気は重く、部屋が暖まるにつれて体は、心は冷えていくようだった。あぐらをかいて身じろぎせずにいた総悟は再び大きくため息をつき、腕を後ろにつくと体をわずかに傾かせながらに言う。
「電話してきたと思ったら一人で怒って切るし、それから一切連絡よこさないしさせねェで、帰ってきても出てこねェからこっちから出向いてみりゃァろくに顔も見ねェってか」
決して荒げてはいなかったが、明らかに苛立ち、怒っているその声音に鼻の奥がつんとする。それでもの意地でかろうじて手は止めずにいたのに、総悟がその手から針を奪いとった。ぶち、と糸が切れる音に今度こその肩が大きくゆれた。
「なんとか言ったらどうなんでィ。意地張るのもいい加減に、」
「そ、れはっ!わたしの、せいな、の?」
突然張り上げられた声に、総悟がわずかに目を見開いた。ぶわ、と溢れ出た涙は瞬きすればこぼれ落ち、一度流れてしまえばもう止められなかった。手にした誰かの隊服をぐしゃ、としわになるのも構わずに握りしめ、しぼりだすようにふるえる声をあげた。
「わ、わたしだって、たしかに、怒ったよ!電源も切って・・・っ、でもそれ、総悟が遠征いく、の、おしえてくれないで、いつのまにいな、くなって、だから電話したのにすご、ぜんぜん、そっけなくて」
涙と一緒にためこんでいた思いもぽろぽろ、次から次へとこぼれ落ちてくる。そのときのことを思い出せば、感じた気持ちが全部よみがえってきた。
たしかに、遠征は慌ただしく決まった。大きな捕り物、その中心であった攘夷志士が西へ逃亡したというので急遽十数名の隊士が送られたのだったが、その頭として総悟が選ばれたのだ。それはなにも初めてでないし、理解もできるが、隊士ではないがそれを知ったのは彼らが出発してしまってからだった。それも数日かかるだろうというから驚いて電話したのに、当の総悟はあっさりとしていて、なぜ知らせてくれなかったのかの問いにも「必要ないかと思って」というあまりの返答。いいよもう知らない、そう怒鳴りつけて電源を切ったまま今日に至った。
「だってこんな、近くにい、から、ちょっと探、してくれたら、会える・・・のに、なのに、だまって、行って、それで、だって、あした、クリスマス、だよ?」
本当は電話でその話もしたかった。期待をしていたわけではないけれど、一緒にはいられるだろうと思っていたから、それまでに戻ってくるのか、それだけでもさりげなく尋ねようとしたのだ。けれど話がそこに至るまでには電話を切ってしまって、ただただ日がすぎていって。携帯の電源を切ってしまえば総悟からの連絡が来ないことは分かりきっていた。わざわざ他の誰かを介してまで連絡をとろうとするような性格ではない。しかしだからといって電源を入れれば自分が折れてしまうような気がして嫌だった。ゆずれなかった。
けれど本当になんの音沙汰もなく日を重ねれば、もしかしてもうこのまま会えないんじゃないかって、そんな想像までしてしまった。せっかくのクリスマスなのにあんな意地なんて張らないですぐに引き下がっていれば、こんな思いはしなくて済んだのかも、今からでも遅くないのかも、何度も何度も電源を入れかけた指先はでもやっぱりボタンを押せなかった。それだけ本気で悲しかったから。自分と離れることをなんとも感じていないような彼の態度が、腹立たしくて、そしてそれ以上に悲しかったのだ。
「クリスマス、いっしょにいられるって、おもって、たから、さび・・・さびしく、て、でもそういう、ふうにおもってるのはわた、し、だけなんだって、だから、」
「あんなァ」
遮るように口を開いた総悟は、から奪った針をぷすり、と裁縫箱の中の針山に刺しこんだ。目線をしばらくそこへ向けたまま、静かに続ける。
「・・・。・・・そんな、かかんねェと思ったんでィ」
「・・・・・?」
ず、と鼻をすすり上げる。総悟はそれに一瞬だけを見たが、また逸らした。
「近藤さんは何日かかかるって言ったけど、すぐに仕留めりゃその日のうちにでも帰れるだろうし、だからに言うまでもない、って。けど行けばやっぱ近藤さんの言うとおりでなんかすげェ腹立って、そういうときに限ってお前、電話よこすし」
タイミング悪ぃんでさァ、そっぽを向きながらの言葉はさっきよりもずっと柔らかかった。それにつれての涙も徐々におさまっていく。総悟はどこか不貞腐れた顔をしてはいたが、それでもようやくを見て、ぽつりと言った。
「・・・間に合ったろィ」
「え?」
「クリスマスだよ。どうせのことだしそれで電話してきたんだろうって思ったから、未だかつてないくらいに真面目に働いてきたんだぜィ、この俺が。だから土産はなしですぜ、選ぶ暇なんてなかった」
開き直ったように文句あるか、と付け加える総悟を見て、先ほどまでとは違う涙がじわりと瞳をおおった。こぼれるまでには至らなかったそれだが、の口元に笑みを浮かべさせるには充分で、それを見れば総悟もようやく胸を撫で下ろす。なんだかんだ言って、彼も後悔していたのだ。根拠のない自信で遠征へと出発すれば自分の読みはあっさりと外れ、けれどそれを正直にに告げることなんて出来るわけがなく、結果これほど思いつめるまでに悩ませてしまった。謝罪の意をこめて頬に浮かぶ涙のあとを指先でぬぐってやると、がわずかに身をすくめた。
「総悟、手、冷たい」
「当然でさァ、さっきまで寒空の下にいたんですぜ。ぬっくい部屋にいたとは違うんで」
「さむい?」
「ん」
「・・・あっためてほしい?」
「・・・ん」
が総悟の手をきゅうと握ってそこへ唇をよせるのに、けれど総悟は逆らった。温めてほしいのはこの手じゃなくて、に会えなかった間にすっかり冷えてしまった身体の奥と、心のほうだ。だから代わりに吸いついた唇は、想像以上に熱かった。
――――――――――
メリーメリーメリーメリークリスマス!
(2008.12.25)