季節は冬に入って、道行く人々の装いもすっかり冬のそれになった。隊服の上からコートを羽織るわけにもいかない真選組隊士たちは、下に数枚着込むなり、手袋をするなり、マフラーを巻くなり、と各自工夫して、来るべき更なる寒さをどう乗り切るか試行錯誤している。夏にも暑くて着ていられない制服だが、冬も冬で過ごしにくいトレードマークのその黒を、しかし今日のは纏っていなかった。休日でも滅多に着ることのない、彼女の着物の中では一番高価なよそゆきに身を包み、いささか緊張の面持ちですれ違う隊士に会釈をしながら屯所を出て行く。沖田が夢の世界から目を覚ます、数時間前のことだった。







「沖田君か?珍しいな、君がこんなところまでやって来るとは」

 廊下を歩いている沖田に襖越しに声がかけられ、わずかに肩をすくめながら目の前のそれを開けた。部屋の中で読書をしていたらしい伊東が、栞をはさんで本を閉じ、こちらに顔を向ける。沖田は頭をかいた。

「すいやせん、邪魔しちまったみたいですねィ。さっさと通り過ぎるつもりだったんですが」
「構わないよ、一息つこうとしていたところだ。こちらまで一体何の用なのか、訊いてみても良いかね?」
「あー・・・」

 伊東が普段から自室として使っている一角は、大広間や会議室など皆の集まりやすい部屋から離れたところにあり、彼直属の部下以外はあまり訪れることがない。沖田もまた然り。伊東がこう訊ねるのは当然のことといえた。
 沖田は襖を開けたものの部屋の中に入るわけではなく、廊下に立ったままでしばらく視線を泳がせている。先を言わない沖田に、「ふむ、」とつぶやいてから伊東が先に口を開いた。

「僕の記憶が正しければ、午後の見回りは君の率いる一番隊に任されているはずだ。隊長である君がここにいるのは、それに関わる理由なのか?」
「・・・人が悪ィや、伊東さん。んなワケねえじゃねェですかィ。ただちょっと・・・・・・探し物を」
「探し物?普段ここまで訪れることのない君が?何を目当てに?」
「・・・・・・」

 沖田はわずかに目を細め、面倒くさそうに小さく息を吐いた。頭をかいたり、とぶらぶらさせていた手を両のポケットにつっこむと、開き直ったかのごとく、部屋の奥に座っている伊東を見下ろすような視線で言った。

でさァ、。ちょっくら姿が見えねェんで。見かけやせんでした?」
君?・・・ああ・・・。・・・そういう君こそ、朝から姿を見なかったが」
「寝てやした。で、昼前に起きて、見回りに出ようとしたらアイツがいねェんで探してやってんでさァ。・・・で、ご存知じゃありやせんか?さっきの口ぶりだと、思い当たる節がある、て感じでしたぜ」

 伊東の口元がすこし上がった。よく見ている、といったところだろうか。けれど、に関しての情報を自分ではなくて目の前のこの男が持っているのかもしれないと分かると、その笑顔(と呼べるほどのものでもないが)が勝ち誇ったもののように見えてきて、沖田の目がさらに細められた。大抵の相手ならこれで怯むが、今の相手はそれを全く気にしていないかのように返してくる。

「僕に言わせれば、君が知らないことのほうが意外だが・・・そうか、寝ていたのなら無理もない。近藤局長も君に伝える暇が無かったのだろうな」
「どうやら思い当たるどころじゃないみたいですねィ。ちょっくら教えてくれやせんか、部下の行動は把握しとかねェと、なんで」
「特別任務だよ」

 彼の口からさらりと飛び出た言葉に、沖田は思わず細めていた目を丸くした。しかしすぐに訝しげな顔に戻って首を傾ける。

「こう言っちゃァ、なんですがねェ。は特別任務なんて任されるほど優秀じゃありやせんぜ。勘違いじゃ、」
「君こそ何を言っているのかね。彼女は隊内唯一の女性隊士だぞ?」
「・・・それが?」
「・・・彼女にしか出来ない任務も、あるということさ」

 流れるように話していた伊東が言いよどみ、わずかな間が出来た。それに沖田は眉をよせ、意味するところを探ろうとする。沖田の表情を見、伊東は一度閉じた口を再び開いた。

「要は、・・・こんな言い方は好きではないが・・・彼女の性別を生かした任務、と言えば通じるか?」
「・・・それ、って」
「まあ、そういうことだ」

 視線を外しながらのその言葉に、沖田の体から一瞬、血の気が引いた。けれどまさか、と思う。確かには女性であるが、自分達は警察だ。真選組を結成してから今までに、に特別な仕事の話が来たことなど一切無い。そもそもあいつに色気など皆無ではないか。動揺してしまった自分を隠すように大きく息を吐き出すと、伊東をはっきりと睨みつけた。

「伊東さん。冗談はよしてくだせェ。そんなこと今までウチはして来なかったし、・・・仮に、そうだとしても、上司の俺に無断でなんてあり得やせんぜ」
「急だったんだよ。松平公からのお達しでね。幕府上層部が絡んでいるわけだから蔑ろには出来ない、近藤局長が許可を出したんだ」

 伊東の口調に嘘をついている様子はない。ようやく沖田の背を嫌な汗がつたい、鼓動が速くなった。が見知らぬ親父と二人きりでいると考えるだけでも気分が悪くて腹立たしいのに、もしかするとその汚い手で体を弄られているのかもしれない。自分が昼まで眠ってなんかいなければ何が何でも行かせなかったのに、怒りと後悔から黙ってうつむき、何も言えないでいる沖田を見ていた伊東が、静かに告げた。

「彼女が出かけてから数時間は経つ。そろそろ帰ってくる頃だと思うが、」

 それを聞いた沖田は顔を上げると、何も言わないままにその場を後にした。ひどく寒気がする。






 屯所の玄関付近まで行くと、「おかえりなさい」と言う声がいくつか聞こえた。見れば近藤と土方、そしてその後ろにいつもと雰囲気をがらりと変えたがいる。着物に見覚えはあるが、実際にそれを着ている姿を見たことはなく、すこし紅もひいているようだ。寒さのためなのか興奮しているのか頬は上気し、前を行く二人にしきりに話しかけている。沖田の予想していた様子とはいささか異なったが、なんにせよ今日のことを問いたださなくてはならない。彼らの前まで歩いていった。

「おお、総悟」

 真っ先に気づいたのは一番前にいた近藤だった。それに、彼の背後にいるが「え、隊長?」と顔を覗かせる。

「沖田隊長!おはようございます・・・は、もうおかしいですね」

 にこ、とこちらを見て微笑むのが沖田には理解できない。眉をひそめ、まず近藤を見た。

「お帰りなせェ、近藤さん。聞きたいことがあるんですが、先にコイツ、返してもらいまさァ」
「返す、て?ああそうか、はは、一番隊士だもんな。いやあ悪かったな総悟、黙って借りちまって。も疲れただろう、今日はもう休んでいいぞ」
「はい。ありがとうございます、」
「休む前に話があらァ。こっち来い」
「あ、はあ・・・」

 言いながら沖田はの手を引いた。その強い力に驚きながらも、は近藤と土方に「お疲れ様でした」と頭を下げる。見送りつつ、土方が近藤に向かってぼそりと言った。

「総悟のやつ、やけに機嫌が悪くないか?」
「え、そうか?ああ、だから、黙ってを借りてったことに怒ってるんじゃ・・・」
「・・・なら、いいんだけどよ」









「隊長、沖田隊長!ちょっと速っ、わたし今日は着物なのであんまり速く歩けないんです、がわっ」

 手を引かれるままにだいぶ歩いて、ようやく立ち止まった沖田の背にの鼻がぶつかった。引かれている反対の手で鼻をさすりながら見回せば彼の部屋の前、あたりに人の気配はない。

「・・・ずいぶんめかしこんでんじゃねェか」

 沖田が口を開いた。は自分の服装を見下ろしながら答える。

「あ、はい、仕方ないです。隊服のままで行くわけにもいかなかったので」
「断ろうとは思わなかったんですかィ」
「自信はなかったんですけど、でも松平公がどうしてもと仰いましたし、やっぱりわたしが適任なんだろうな、って・・・」
「俺にも何の断りもなく?」
「あの、相談しようかなって思ったんです。でも隊長、寝てたから。急いでたし、なんとか自分ひとりでも大丈夫かな、と、」
「ふざけんな」

 ぎり、の手首を握る力が強くなり、顔をしかめ痛みを訴えても緩む気配はなかった。聞こえた声もひどく低く、そこでようやく彼がずいぶんと怒っているのだということに気が付いたは、情けなくも掴まれたところから手がちいさく震えだす。こうもはっきりと沖田から怒りの感情を向けられるのは初めてだった。震えは当然伝わってしまって、そこへちらりと視線を投げた沖田はそのまま目線を上へと走らせ、を見る。ぞっとするくらいに冷たい瞳だった。

「・・・た、いちょう」
「人の気も知らねェで、さっきからずいぶんへらへらしてんじゃねェか。まさか惚れた女がそんな簡単に自分の体を差し出すようなやつだとは思いやせんでしたぜ、
「え、」

 が何か言う間もなく、部屋の襖を開けると、沖田はその中にを放り込んだ。どし、と派手にしりもちをついた痛みに反応できないでいるうちに組み敷くように押し倒され、ほんの一瞬だが忘れていた恐怖がぶり返してくる。沖田はのおびえた顔を楽しんでいるのか、口角をあげながらいつもより赤い唇を指先でなぞり、見下ろしてきた。

「だったら俺も相手してもらいたいもんでさァ、上司の命令なら聞くんだろィ?今日してきたのと同じように頼みやすぜ」
「た・・・あ・・・で、でも・・・っ、本当にわたしお話してきた、だけで、あの、う、歌でも歌いましょうかってい、言ったんですけど、話してくれるだけでいいって、姫様が、」
「・・・・・・は?」

 の途切れがちな言葉に眉をよせ、彼女を畳の上に押し付けていた力をゆるめた。が詰めていた息を吐き出すのをしばし無言で見つめたのち、沖田はぽつりと口を開く。

「・・・。・・・
「はい」
「・・・お前・・・どこに何しに行ってたんでィ」
「?・・・どこって、ですから、お城です。そよ姫様のお話し相手に・・・」

 きょと、としながら言うに負けないくらい、沖田の顔も呆気にとられていた。を押し倒した体勢そのままに猛スピードで状況と情報を整理し、最終的には伊東の顔が浮かんだ。

 騙された。
 なにが「彼女の性別を生かした任務」だ、紛らわしい言い方しやがってあのメガネ。

 ふつふつと湧き上がってくる怒りに黙り込んでいたが、の「隊長、もしかしてご存じなかったんですか?」の声に我に返ると、むんず、とその頬を思い切りつねってやった。

「ひだっ!」
「うっせえっつーの大体そもそも誰のせいで俺がこんなややこしい思いしたと思ってんでさァ全部お前のせいじゃねェか違いやすかい?」
「痛っ、ひだだっ、えええ、わ、わらひのせ、いたいいい!」
「ったく伊東も伊東でィ面白がりやがってメガネ野郎、つーかお前もそんな紛らわしい格好すんじゃねェよ勝手に色気づきやがって、え?、お前の上司は一体誰でさァ」
「お、おひたたいちょです」
「なんでィ分かってんじゃねェか、今後一切俺に無断で勝手にどっか行くんじゃねェぞ」
「れも今日は局長にいわれて」
「口答えすんな」
「はい!」

 その返事にとりあえずは満足したらしい沖田はようやくの上から体を離し、部屋を出るべく立ち上がった。「え、隊長どちらに?」ひりひりする頬を撫ぜながら訊ねてくるので「近藤さんと、あとメガネのとこ」と答えてから彼女に背を向けるが、もう一度声がかけられる。

「あ!待ってください!」
「なんだよ」
「え、いえ、その・・・隊長、さっき・・・」
「さっき?」

 言葉そのままに返してくる沖田にはどうやら本当に思い当たる節がないらしい。いきおいで言っていたようだし、もしかしたら聞き間違えたのかも。そう思ったは「いいえ、なんでもないです」とだけ言った。沖田はいぶかしげに首をかしげたが、すぐにもとの表情に戻って「ああ、あと」と襖を開けながら口を開く。

「さっさと着替えなせェ。そんな格好でうろつかれたら落ち着かねェや」
「あ、はい。・・・あの、隊長!」
「・・・だから、なんだよ」

 部屋を出ようとすればまたひきとめられ、すこし苛立った様子で沖田が振り返る。それにもひるんでしまったが、すぐに頭を下げた。

「ご心配・・・おかけして、すみませんでした」
「・・・べつに」

 どうせ、自分がなにをどれだけ心配したのか、分かっちゃいないのだろうけど。それを事細かに説明してやる気はないので、沖田は今度こそ部屋を出た。今すぐにでも伊東に文句を言いに行ってやりたいが、それをしたところで適当なことを言ってかわされる気もするし、そもそもそれこそヤツの術中にはまっている気もする。仕方ないのでこのむしゃくしゃは土方にでもぶつけに行くことにした。
 なんだかものすごく重大なことを言ってしまったような気が、しなくもないのだけれど。














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(2008.12.12)