「総悟!見てこれ!」

 朝食を終えたばかりの沖田の背後から、弾むようなの声がかかった。振り返りざまに目の前に差し出されたその小さな紙に焦点を合わせる。

「・・・なんでィ、そのぼろっちィ紙切れ」
「これ、ずっと前に総悟が作ってくれたのなんだけど。憶えてない?」
「俺が?」

 小さなそれを受け取って、半分以上掠れ消えてしまっている文字をひとつひとつ拾った。「なんでもいうこときくけん」とヘタクソな字で書いてある下に、「沖田そうご」の署名もある。ああそういえば、となんとなしに記憶が蘇ってきた。

「あれですかィ、お前の誕生日に作ってやったやつ。そういやァあったなあ、こんなん」
「総悟がプレゼントくれなかったって拗ねてたら急いで作ってくれたんだよね。あの頃の総悟は素直でかわいかったよ〜」
「うるせェや。けどこれ相当古ィだろ、武州からわざわざ持ってきてたんか」
「うん。昨日押入れの整理してたら見つけたの。もったいなくて使えなかったんだなあ・・・」

 また紙切れを手の中に収めると、は懐かしげにそれを見つめた。その様子を見ている沖田は、当時の自分を思い出してらしくもなく恥ずかしさにおそわれる。近藤や土方が誕生日プレゼントとしてそれなりに良いものをに贈るのを、まだまだ幼かった沖田はただ見ているしか出来ず、勝手にふてくされて何も用意せずにいたら想像以上にに落ち込まれ、慌てて即席で作ったのだった。あの頃は事あるごとに土方らと自分を比べてはに幻滅されまいと肩肘を張っていたが、そんな沖田の手作りのプレゼントはその幼なじみを心から喜ばせ、それからすこし変な意地を張ることをやめたのだったかなと、ぼんやりと思い出した。
 沖田が昔のことに思いを馳せている傍ら、しばらく裏返したり日に透かしたりなどとしてそのプレゼントを眺めていただったが、やがて「えーと、でね、」とためらいがちに沖田を見上げた。

「これ、今使ってもいい?」
「はああァ?お前それ何年前のだと思って、」
「でも有効期限なんて書いてないよ!せっかくの総悟からのプレゼントだし、やっぱり使わないのも失礼だと思うの」

 調子の良いことを。思い切り顔をしかめてみせても、はきらきらと目を輝かせながら期待に満ち溢れた視線を向けてくる。ささやかな抵抗として盛大にため息をついてから、しぶりつつ口を開いた。

「今回だけですぜ。昔のピュアな俺に免じて」
「うん、ありがとう!じゃあ総悟、今日一日わたしの、犬になってください!」

 沖田の表情がぴしりと固まった。








 気候は良いし大きなトラブルもなくて、本来ならばこんなに楽な見回りはないだろうと鼻歌でも歌いだしそうな日だった。けれど先ほどからがその正反対の心境にあるのは、数歩前を行く沖田の背中からこれでもかというくらいに不機嫌なオーラが発せられているからである。

 原因は分かりきっている。数時間前の「犬になってください」発言。それを聞いた直後の沖田はしばし無表情だったが、あと数秒もすれば背筋が凍ってしまうほどの笑みを浮かべ、地獄の底から発するような声で「調子のんのも大概にしなせェ朝っぱらからヤられたいんですかィ」とでも言っていたかもしれない。幸いにもちょうど通りがかった土方が「お前ら見回りだろ、さっさと行ってこい」とせっついてくれたおかげで事なきを得たが、その見回り中、沖田はろくに口もきいてくれなかった。が何を話しかけても「ああ」とか「あっそう」とかしまいには無言、数回の後の心は折れ、隣に並ぶのもやめてしまった。

 失敗したかな。したよね。怒ってるもんね。でもそういうつもりじゃなかったんだけどな。

 いろいろと反省しつつも謝るタイミングをつかめず、ただ沖田のあとをのろのろと追うだけ。表情が伺えないので、今彼が何を考えているのか、平たくいえば怒っているのかいないのかも判断ができない。もう何回目だか分からないため息をこそりとつこうとしたそのとき、突如くるりと沖田が振り返った。反射的に背筋が伸びる。予想していたよりもいつもどおりに見える表情の沖田が口を開いた。

「腹が減った」
「は、え、あ、はい!お腹ね、うん空いたね!」
「つーワケで奢ってくだせェ。ペットのエサ用意すんのは飼い主の役目ですぜ」
「ペット!?」

 出てきた単語に目を丸くして沖田を見る。ペットって、ペットなんてそんなこと一言も言ってないだろうに・・・!
 事態が確実に悪い方向へむかっていることにおろおろし出すを尻目に、さっさとしろと言いながら沖田は手近な店の戸を開け中に入ってしまう。自分で自分のことをペットだなんて称するあたり、あれは完全に頭にきているに違いない。ますますどうしたらいいのか分からなくなるが重たい足を引きずるようにして沖田の消えた店の戸を開けると、相手はもう席につき、を見るとばしばしと机の上を叩いた。

「早くしてくだせェ、俺の腹はもう限界ですぜ、ご主人様」

 わざとらしく強調された最後の言葉に店内にいる人の目がいっせいにに向けられた。ちがいますそんな趣味じゃありません。恥ずかしさに泣き出しそうな気持ちで急ぎ沖田の向かいの席に座ると、彼の誤解を解くべくはすぐに口を開いた。これ以上は自分の身がもたない。

「あの総悟、わたし・・・」
「すいやせーん、俺、うな重特盛で」
「うなっ!?」

 そしてこれ以上は財布の中身ももたない。






 昼食のあとは甘味処にも立ち寄り、沖田に餡蜜と団子を奢らされた。帰ったら帰ったで「犬は書類とか書けないんで」などと言い捨ててさっさとどこかへ行ってしまう。必死に書類と格闘していればあっという間に日は暮れて、夕飯時に顔を合わせた沖田は「ご主人様ァ、俺の分の食事運んでくだせェ」などとまた「ご主人様」を連発。はそのたびにいちいち周囲の隊士たちに「ちがいますふざけてるだけですすみません気にしないでください」と弁解しなくてはならなかった。
 食事を終え一気に脱力しながら部屋に戻っても、なぜかさらに大量の書類を抱えた沖田があらわれ「ご主人、たまっちまった書類片付けてくれやせんか〜。ペットの不始末は飼い主の責任ですぜ〜」とすべて押し付けられる。あげく沖田はの部屋でアイマスクをお供に寝てしまい。いつの書類ですか、と思われるものまで含まれるそれらをたっぷり時間をかけてようやく終わらせたは、終わったよと沖田に告げるのもなんだかはばかられ、傍らでいびきをかいて寝ている彼を起こさないようにそっと出るとひとり大浴場へ向かった。女性隊士であるのために風呂を空けておく時間が設けられているので、今行っておいたほうが良い。ちょうど疲れもピークだし、沖田のことを考えるのはそれからでもいいだろう。

「・・・ふう・・・」

 湯船の中で大きく伸びをしながら、朝からの出来事を思い出しては反省し、を繰り返す。自分でまいた種とはいえ、「犬」呼ばわりされたことですっかり頭にきているであろう沖田の言葉すべてが今日は刺々しく、大規模な捕り物でもあったときのように疲れてしまっていた。

「・・・どうしようかなあ」

 口元まで湯につかって独り言をつぶやく。誰もいない浴室に反響した声はひどく沈んで聞こえて、余計に落ち込んでしまった。こんなつもりじゃなかったのに。怒らせたかったんじゃない。けれど取り付く島もない沖田にどう説明して、どう謝ればいいのかもよく分からず、結局こうしてずるずると夜になり、このままで明日の朝を迎えるのだろう。せっかくの幼いころの彼からのプレゼント、もっとうまく使いたかったな。

 そんなことばかり考えれば情けないんだか寂しいんだかで泣けてきて、涙のにじむ目元ごと顔をぱしゃりと湯船につけた。ぶくぶくぶくと口から息を吹き出して自分の涙を自分にごまかしていると、ぶくぶく、の音のほかに、明らかに違うものが混じる。がらり、と。あれ、それは、浴室のドアの音では、ない、か?

「ペットを洗うのも飼い主の役目じゃねェんですかィ」
「!!!!!」

 開けられたドアの先に立つ半裸の沖田を目にした瞬間、反射的には逃げていた。どうやって身体を隠して、着替えて、部屋まで戻ってきたのか憶えていないほど混乱する頭が気づいた頃には、部屋に敷いてある布団につっぷしてその混乱を沈めている最中で。大雑把に結ばれている浴衣の帯をといてまた結びなおすなどして無理やり気持ちを落ち着けると、風呂場に引き続き言いようのない後悔がこれでもかというくらいにを襲ったのだった。

 逃げなくても!なにも逃げなくても!こんなことしたら余計に総悟を怒らせるだけなのに・・・!

 けれど男所帯の真選組屯所で暮らしているは、沖田と一緒に風呂になんて入ったことがない。いくら恋人同士であるとはいったって、ここには自分たち以外にも何十人と隊士たちがいるのだ、いつ誰に見られるかも分からない大浴場に沖田と共に入れるほど、の肝は据わっていなかった。

「・・・・・・」

 それに、と思う。いつもなら沖田もそんなの気持ちを汲んでくれているのか、こんなふうにの入浴中に風呂場に来ることはないのだ。それなのにあんなふうに顔を出して、これはあれだろうか、彼のドS心に火をつけてしまったのだろうか。なんだか取り返しのつかないところまで来てしまっているようでは本格的に頭を抱えた。どうしよう。どうしたらいいんだろう。

「オイ」
「ひえええええ!」

 そしてまたもやなんの前触れもなく現れる沖田。いきおいよく背後のふすまを振り返ると、風呂上りらしき姿で立っていた。お風呂あがるの、早くないですか。

「なにぼさっとしてんでさァ、大事なペットが濡れっぱなしで来てんですぜ。することあんだろーが」
「えっ、あ・・・ああ!髪の毛、拭きます!からどうぞこ、こちらにお座りを・・・!」
「おー」

 慌てて引き寄せた座布団の上に沖田が座ると、すぐに後ろに回って彼が肩にかけていたタオルを受け取り頭にかぶせた。身体はともかくとしても、髪はほぼ風呂上りの濡れたままの状態で、が逃げ出してからすぐに風呂を済ませ、この部屋まで直行したのだろうということが手に取るように分かる。

 よかった。

 怒って本格的に口をきいてもらえなくなったらどうしようかと思っていたから、まだなにひとつ解決していないけれど、こそりと胸をなでおろした。キャラメル色の髪の毛を撫でるようにやさしく拭いてやりながら、謝るなら今しかないと思う。ちゃんと説明して謝って、許してもらわなくては。

「総、」
「で、満足したんですかィ」
「え?」

 が口を開くより前に沖田が言うので、問い返せば相手も振り返った。その視線が思いがけず鋭くて、が息を呑むのと同時に手首をぐっと掴まれる。

「今日一日俺を犬扱いして、満足したかって聞いてんでィ」

 当たり前だけどそうじゃないかなあと思ってたけどやっぱり怒ってた!ものすごく怒ってた!
 内心で、言うほど犬扱いなんかしてないような、とは思ってしまうもののさすがにそれは思うにとどめて、慌てて首を横に振る。沖田は怪訝な顔をした。

「してない!してないっていうか、そもそもそんな、そういうつもりで言ったんじゃなくって・・・っ」
「へェ、ならなんだってんでさァ。普段の仕返しでもしたかったんじゃねえんかィ」
「違うの、ホントにそんなんじゃないの!確かにその、言い方はまずかったなって思うんだけど、わたしただ、あの、総悟にわ、わがまま言いたくっ、て・・・」
「・・・は?」

 ぽかんとする沖田の、手首を掴む力が弱まる。勢いに任せては続けた。

「あのプレゼント見つけて、でも総悟にしてもらいたいことたくさんあるからひとつに決められなくって、だったら一日総悟になんでも言うこと聞いてもらえるようにしたらいいかなって、そしたらなんか、とっさに出てきたのが犬で・・・」

 だけどよく考えなくても失礼だったよね。本当にごめんなさい。しゅんと俯き謝るに、沖田は深くため息をついた。突然妙なことを言い出すからなにかおかしいとは思っていたけれど、の真意をただすよりも先に自分が犬扱いされる側に回されたことにひどく憤りを感じ、プライドを傷つけられ、結果的にずいぶん大人気ない態度をとってしまった。もちろんが、犬だなんて紛らわしい言い方をしなければ良かった話ではあるが、そういえば自分に対してはあまり甘えたことがない。そんな彼女が考えに考えぬいた計画だったのだろう。最終的に自分のほうが悪いような気になってきて、数回頭をかくと沖田は身体の向きを変え、の手を引き自分と同じ目線になるように座らせた。おびえたように目を合わせない相手に困惑し、「あー・・・」と意味もなくつぶやく。がすこしだけ視線をあげた。

「まァ、なんだ、今日のところはお咎めなし、てことで」
「・・・え、いいの?」
「なんでィ、あったほうが良いんですかィ」
「ううん!・・・ありがとう総悟、ごめんね」

 掴まれていた手を動かし、は沖田の骨ばった手をきゅっと握った。どこか不機嫌そうな顔をする沖田の目元が、けれどわずかに赤くなったように見えた気がしたが、瞬きをする間にそれは消えていつもどおりの、本当にいつもどおりの沖田の笑顔がそこにあった。あれ、と今度はの顔が引きつる。

「けどまだ日付は変わってねェんで、俺は今もの犬ってワケだ」
「も、もういいよ、それ」
「いやいやそうはいかねェや。つーことでご主人、発情期のペットに付き合ってくだせェ」
「はつっ!?」

 言うが早いか傍らの布団にあっさりと押し倒される。目の前には本日一番に輝いている沖田がいて、は自分のおかれる状況がまたもや危険なものになったことを理解した。

「本当にもう、もういいです!撤回!犬撤回・・・!」
「まァそー言わず。その代わり明日はちゃんとお前のわがままに付き合ってやりまさァ」

 ぴたりとの抵抗が止んだ。本当?、疑わしげに訊ねてくるが、期待に口元がゆるんでしまっているのを見逃す沖田ではない。もちろん、と頷きながら顔を近づけ、ぺろりとの唇をなめた。

「だから今夜は俺にきっちり付き合ってもらいやすぜ、ご主人様」














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親愛なる「白いシッポ」の眞嶋愛南さまへ、相互リンクお礼とお誕生日のお祝いに贈らせていただきました!

(2008.9.12)