「あ、っ、ちょっとっ」
「え?」

 すこしだけ開いた障子の隙間から顔を出した近藤に手招かれるままに、局長室に入っていった。が入ると近藤は廊下の左右に何度も目を走らせてから障子をゆっくりと慎重に閉めを振り返る。どこか切羽詰った様子の局長に、首をかしげた。

「どうしたんですか。何かまずいことでも・・・」
「いやっ、まずいっていうかなんていうか・・・。あーまあ座って座って、そこのせんべい食べていいからな」
「はあ、ありがとうございます」

 が腰を下ろして居住まいを正している間に近藤は机の角をはさんだ隣に座った。すすめられたものの、煎餅に手をのばすのを躊躇しているの横でやけにそわそわそわそわしている近藤は、らしいといえば彼らしいが、いつもとすこし違うそわそわのような、気もする。近藤がなかなか話を切り出さないので、代わりにが口を開いた。

「で、その、お話があるんですか?」
「えっ、あ、ああ、そうそう、そうな。にちょっとな、聞きたいことというか、確認したいことというか、頼みたいことというか・・・」
「頼み?」
「うーん、その、なんだ。言いにくいな、こういうのは」
「・・・?」

 歯切れの悪い様子に、悪い話だろうか、という考えが頭をよぎった。なにか至らない点があって、それを叱責されるとか。なんにせよ優しい近藤であるので、彼にとって言いにくいということは、おそらくあまり良い話ではないのだろうことは予想が出来た。

「近藤さん。わたしがなにか失敗したんなら、言ってくれれば・・・」
「え?ああああ、いやいや、そんなことないぞ。そういうことじゃあないんだ。ええとな・・・、・・・・・・要するに・・・総悟のことなんだが」
「総悟?」

 飛び出してきた名前はの幼なじみ兼同僚の少年のものだった。ますます話の流れがわからなくなったがとまどいつつ近藤を見ていると、相手はがしがしと頭を掻いてから息をつく。

「いや、その、・・・は昔から、あいつと仲が良かったろ。なんだかんだで、総悟のこと一番わかってやれるのはだと思うんだよ」
「それは・・・どうだろう・・・。わたしよりも近藤さんや土方さんのほうが仲良しじゃないですか?」
「いやいやいや。まあそりゃ、俺たちもあいつのことを仲間というか、友人というか、息子というか、とにかく大事には思ってるけどな、そういうんじゃなくて・・・総悟のそばにいてやらなきゃならない相手、というか・・・」
「・・・保護者的存在?」
「そうじゃなくてっ」

 近藤さん、意味がわからない。正直にそう言って眉を寄せると、局長も困ったように眉を寄せた。「まあせんべいを食べろ」と器を寄せてくるのでとりあえずひとつ手に取りはしたが、どうにも食べづらい空気で口に運ぶことは出来なかった。しかしじい、とひたすらに近藤を見ていても何か言い出すように見えないので仕方なく一口だけ食べてみる。しばらくなにも口にしていなかった喉に、煎餅のかすがはりついてすこしだけ気持ち悪かった。が口の中の煎餅に気をとられていると、近藤は意を決したようにひとつ咳払いをし、背筋をのばしてを見た。

「よし、単刀直入に言おう!、総悟を好きになってくれ!」
「ぶへっ!?」

 煎餅をふき出しそうになり慌てて手で口をおおうと、は何度か咳き込んだ。ごほんげふんごふん、咳き込みながら近藤を見たが冗談を言っている様子はなくて、なんとか煎餅を飲み込んでからやっと口を開く。

「ど・・・どうしたんですか近藤さん・・・」
「俺はお前たちを小さいころから見てきた。総悟の隣にいるんならだと思ってる。いや、こんなこと強制するもんでもないってことは承知の上だが、けどだって総悟のこと、決して嫌いじゃないだろう?」
「そ、そりゃあ、そんなことはないけど・・・でもそんな、え?何かあったんですか?」
「何か・・・・・・あった。」

 重々しくそうつぶやいた近藤は顔を手で覆って、ああもう俺どうしよう!と嘆きだした。もはや完全に話の方向性を見失ったはとりあえず近藤をなだめるべく、背中をさすってやる。

「落ち着いてください、ほら、おせんべいたくさんありますよ。あ、お茶持ってきましょうか?」
「・・・いや、大丈夫だ。すまんな、急にこんなこと言い出して・・・」
「いえ、・・・ええと、差し支えなければ理由を教えていただきたいんですけど・・・」

 近藤が落ち着いたのを見計らって言うと、そうだな、とうなずく。なんとか話が進みそうだと、こそりと安堵の息をついた。

「実はな、ちょっと前に行った会合のあと、お偉いさんの一人に珍しく話しかけられたんだよ。普段は俺たちのことなんざ眼中にねえ、って感じなんだけどな。・・・そしたらその人には娘さんがいるらしくて、その娘さんが総悟を気に入ったって言う」
「・・・はあ・・・」
「街で見かけたんだか、そのあたりのことは詳しく聞いてないんだが、とにかく一度娘さんと総悟を会わせたいって言うんだ。要するに見合いだな。それで色々日取りの都合だのなんだのを聞かれて・・・」

 そこまではわかった。沖田はあんな性癖だけれど見た目はたしかに整っているから、実際に会って話したことがなければ“気に入って”もおかしくはないだろう。けれど、と思う。

「それでどうしてわたしに、」
「だってっ!さっきも言ったけど俺は総悟にはだと思ってるんだもん!そんな、どこの誰かも知らない・・・いや、身元ははっきりしてるがそういうことじゃなくて、俺の全然知らないような相手じゃなく、俺も心から応援できる相手と一緒になってほしいっていうかっ」
「こ、近藤さん、おちついて」
「俺は総悟の親代わりだと思ってるし!あいつには幸せになってほしいんだよ!もちろんにもな!?だからだから、」
「わかった、わかったから。でもそんなに反対するなら断っちゃっても」
「断ったよ!いやあそれはちょっとわかりかねます、て感じで!でもそしたら向こうがけっこう食い下がってきて、一度会うくらい問題ないだろうそれともそれすら出来ない理由があるのかね、とか訊いてくんのっ、だから俺言っちゃったんだ!」
「え、なんて」
「総悟には将来を約束した相手がいるんですって」

 ・・・。しばらく呆気に取られながらも、は頭をフル回転させた。要するに近藤は自分の息子のようにも思っている沖田と、その娘さんに見合いをさせたくなくて、そのために沖田には許婚がいるんだと嘘をついたと。

「ええと・・・で、相手はなんて?」
「ちょっと疑ってる様子で、ならその相手にも会わせろ、て言うんだよ。しつっこいんだよ!なあだから、頼むから総悟のことを、」
「あーあーあーちょっと待って、つまり総悟の許婚のフリをしてくれってことですよね?近藤さんがそこまで言うならわたしは協力したっていいんだけど、でも総悟はなんて言ってるんですか?」
「いや、総悟にはまだ・・・。こういう話をされてるって時点であいつは嫌がるだろうし、俺が一人で解決できるんならその方が良いだろうってな。まあ結局はにこうして話してるわけだが」
「でも、意外と総悟は乗り気になるかもしれないですよ?近藤さんの気持ちはわかったし、そうやってわたしのことを信頼してくれてるのも嬉しいけど、案外総悟の気に入る女の人かも・・・」
「それはない!」

 ぴしゃりと言い切った近藤には目を丸くした。ここまで断言するからにはなにか確信でもあるのだろうか。

「その娘さん、総悟と合わなさそうなの?」
「いや、どんな方かは知らないが、総悟は絶対気に入ったりしない。なぜなら!総悟が昔っから好きなのは、」
「近藤さん」

 近藤の話を遮ったのはの声ではない。ぎょっとした二人が振り返ると、先ほどまで閉まっていたはずの押入れのふすまが開いていて、そこからひょこりと顔を出している、

「そっ、総悟オオオォォォ!えっ、な、どっ、」
「すいやせん、昼寝の場所探してたらここになりやした」
「なぜに!?いやいやいや、え!?ま・・・お前話聞いてたのか!?」
「あー、まあ」

 のそのそ押入れから這い出してきた沖田は近藤の向かい、の近くまで来てあぐらをかいた。近藤はもちろんのこともなんだか気まずくて、まともに顔も見られない。だがしかし沖田の機嫌が決して良くはないだろうということは容易に読み取れた。

「あー・・・その・・・悪い!俺がきちんと断れればこんな、ややこしいことにはならなかったんだが」
「別に、それはどうでもいいですぜ。や、めんどくせェけど。なんなら俺が自分で行って断りまさァ」

 言いながら沖田は机の上の煎餅に手をのばすと、ぼりぼりと食べ始める。意外とあっさりとした態度にも顔を上げた。目が合ったがすぐにそらされたので、代わりに近藤に目を向けると、こちらもとまどっている。

「いや、まあ、お前がそう言ってくれるんならそれでもいいんだが・・・けど俺が許婚がいるって言っちゃったしなあ」
「そのへんは適当にごまかすってことで。それに惚れた女がいるってのは間違ってねェし」

 え、思いがけない言葉にが目を丸くするのと、沖田が煎餅を食べ終わるのとはほぼ同時だった。沖田は立ち上がると、何事もなかったかのように部屋の障子を開けた。

「じゃあ、日程決まったら知らせてくだせェ。それと近藤さん、そういうことは自分で言うんで、気遣いは結構でさァ」
「お・・・おう、わかった・・・」

 どうやら近藤も呆気にとられたらしく、ぽかんとしたまま沖田を見ている。ぱすんと障子が閉まった音には我に返って、思わず沖田を追いかけた。自分でもよくわからないが、とにかく沖田と話がしたい。慌てていたので、近藤が「余計なおせっかいだったかあ・・・」とつぶやくのは聞こえなかった。
 廊下に出ると沖田はまだ近くにいて、「総悟」と呼びかければすぐにこちらを向いた。今さらながら、食べかけの煎餅を持ったままだったことに気づく。

「どうしたィ」
「あ、えっと・・・近藤さんのこと許してあげてね?コソコソしてたんじゃなくて、総悟のこと大事に思ってのことだと思うし」
「だからべつに、あの人のこと怒ってるとか、そういうんじゃねェよ。めんどくせェけど」
「そ、そうだよね。・・・えーと・・・よければその、わたし、一緒に行こうか?ほら、そのほうが、近藤さんが嘘ついたってことにならないし、向こうの人も納得してくれるかも、」
「それは、近藤さんのためなんかィ」

 沖田に言葉を遮られ、泳がせていた視線を相手にあわせると、思いがけず真剣な眼差しとぶつかってどきりとした。それはの本心を問いただそうとする目で、とたんに自分の気持ちがわからなくなる。は慎重に口を開いた。

「それ、も・・・ある。だってお偉いさんだって言ってたし、これからも付き合っていかなくちゃならないんだから」
「他には?」
「・・・わかんない」

 何かが変だ、さっきから。胸のあたりがざわざわする。それに肝心の一言がどうしてもいえなかった。好きなひとがいるなんて、聞いてないよ、と。いつもみたいに冗談めかして、弱みでも握ったように言ってやればいいのに、なぜだかそれが出来ない。うつむいて黙り込むをしばらく見ていた沖田はやがて小さく息をつき、それにの肩がびくりと震えた。

「嘘つくのは俺のポリシーに反するんでさァ」
「・・・そう、だっけ」
「お前はなんも考えないで許婚のフリをしてもいいって言ったのかもしれねェが、正直腹立ちやした」
「ご、ごめん」

 そう言われたら確かに失礼な話なのかもしれない。けれど、本当に近藤が困っていたから助けたいと思ったのだし、それにちっとも、悪い気はしなかった。・・・しなかった、のだ。近藤が沖田には自分だけだと言い切ってくれたことも、親のように兄のように慕ってきた彼が自分を気に入ってくれているということとは別のところで、ひどく嬉しかった。けれど。

「ごめんね、わたしほんとに考えなしだった。そんな、嫌だよね、総悟、・・・・・・好きなひとが、いるんなら」
「だから」

 言うと沖田がの手から煎餅を取り去った。それにつられて沖田の顔を見ると、ばりっと煎餅に噛み付きながら言った。

「本気なら来てもいいですぜ」
「・・・ほん、き?」
「嘘とかフリとかじゃなくて、マジで俺の許婚だって紹介されてもいいんなら来てみろっつってんでィ」

 言い終えると沖田はに背を向けて歩き出す。とっさに名前を呼んで引き止めた。ゆっくりと振り返る沖田の表情はいつもと変わらないように見えて、全然、ちっとも、なんにも、わからない。喉のあたりがきゅっと締め付けられるようで、声が震えそうで、出来るだけこちらもいつもと変わらなく言えるように、一度大きく息を吸い込んだ。

「それ、どういう、意味」
「続きが聞きてェんなら、覚悟決めな」

 そこで初めて沖田が笑った。瞬間はじかれたように鳴りはじめる鼓動は、自分の中で答えが出ている証かもしれない。







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(2008.7.27)