がまともだったことなんて数えるほどしかないが、その日、夕飯の買い物から帰ってきた彼女の様子は特に不自然だった。隊士たちが「おかえり」と労いの言葉をかけても生返事をするだけだし、料理をしていてもどこか上の空、夕飯は食べられるものだったが、沖田にはどこか物足りなく、おそらくは他の連中にとってもそうだったろう。近藤は首をかしげていたが特に責めるふうでもなく、ただ物言いたげな沖田の視線に「疲れてるのかもな」と笑うだけだった。ので、

「お前、具合でも悪ィんですかィ」

 食事の片づけを終えて自室に戻ったところを見計らい、の部屋をたずねた。小さな文机に向かってなにやらノートを広げていたはばしんとそれを閉じて、沖田の登場に目を丸くする。

「びっ、・・・くりした、どうしたの総悟」
「聞いてんのはこっちでさァ。夕方頃から様子がおかしいって、近藤さんが心配してたぜィ」

 心配していたことにして、部屋の中央あたりを陣取るようにあぐらをかいた。はノートを引き出しにしまいこむと、沖田に向き直る。

「心配?してたの、近藤さん?」
「疲れてんのかもなって。そりゃあ、あんな気の抜けた夕飯出されりゃ誰だって気にならァ」
「えっ、おいしくなかった?・・・あー・・・ごめんね」

 食事に文句をつけようものならば、毎日作っているこちらの身にもなれ、だのとの説教がとんでくるのが常なのだが、素直に謝ってくるあたり、今日はやはり様子がおかしい。

「・・・で?マジで体調よくねェの?」
「ううん、そんなことはないよ。・・・ただ、ちょっと。」
「ちょっと?」
「・・・・・」

 それだけ言って続く言葉を発しないをしばらく眺めていたが、もともと気の長いほうではない。にじりよってその身体の横からばしりと文机に片手をかけた。ぎょっとしたように沖田を見ると目を合わせたまま口を開く。

「さっき書こうとしてたの、あれ、日記だろィ」
「えっ、・・・・・・や、あれは、えっと・・・お、お小遣い帳」
「へええええ、そりゃ初耳だなァ。ちょっくら興味があるんで見せてくだせェ」
「だめ!プライバシー!開、け、な、い、で、ったら・・・!」
「なら『ちょっと』の続きをさっさと吐け」

 引き出しに手をかけた状態で凄んでやるとはうう、とうめいてから観念したように息を吐いた。「話すから手どけて」との言葉に従い身体を離すと、信用しきっていないのか引き出しの前を遮るように座りなおしてから口を開く。

「・・・今日・・・買い物終わって、屯所に戻ろうとしたときに、声、かけられて・・・」
「誰に?」
「・・・知らない人なんだけど・・・な、なんというか、その、」

 言いにくそうに言葉を濁して結局黙るので、ほんのすこし手を浮かすと、それに過剰に反応したは慌てたように続けた。

「こっ、告白!されたの!」
「・・・・・・・・・は?」

 全くの予想外の単語に、今度は沖田が目を丸くする番だった。決まり悪そうにそっぽを向くをまじまじと眺めてから「・・・マジで?」とつぶやく。が小さくうなずいた。

「スーパーの近くに住んでるんだって。わたし大体同じ時間に買い物行くでしょ、それで顔を憶えたらしくって・・・よければお友達から、と・・・」

 ぼそぼそ喋るを見ながら初めこそ驚いていたものの、話が進むにつれてその耳元が赤く染まっていく過程を目の当たりにすると、どうしようもない苛立ちがふつふつふつふつ湧き上がってくるのを感じた。まさかそんな話になるなんて思わないではないか。体調でも崩したのかと心配した自分がばからしくなって、なおぶつぶつぼそぼそ話し続けるには無性に腹が立って、もう一度ばしんと机を叩くとぴたりとの口がとまった。

「ずいぶん調子に乗ってんじゃねェか。なんつって返したんでィ」
「調子になんか乗ってないよ!・・えーっと、へ、返事しようと思ったらその、ばーって帰っちゃって・・・」

 距離をとろうと座ったまま後ずさるの背後にはしかし当然机があるので、すぐに背中がぶつかりそれ以上の後退は不可能だった。両の手を机のふちに置いて、を机と身体とで挟み込むように近づいていく沖田に「そ総悟ちょっと近くない?」と最後の手段でその胸に手をおいて押し返そうとするのだが、それくらいの力に負ける一番隊隊長ではない。の抵抗をもろともせず、顔も、身体も、密着するくらいに近づいた沖田が口を開くと、鼻の先に吐息があたった。かあ、と頬に熱が集まるのがわかる。

「じゃあなんて返事する気なんで?」
「そ、それはだって、今まで話したこともない人だもん、・・・断るつもりだけど」
「・・・へえ」

 それに沖田がわずかに身体を離すのにすこし気が緩んで、うるさいくらいに鳴っていた心臓のあたりに手をやった。いくら幼いころからの仲とはいえ、急にこんなに接近されては動揺もするだろう、そんな状況で責められたら全部隠さずに話してしまうに決まっている。そういうところが総悟はずるい、とは常々感じていた。

「あ。ちなみに」
「えっ」

 断る、と聞いて苛立ちはだいぶおさまったが、あからさまに安堵するをまだいじめてやりたくなって、単純に離れがたくもなって、離しかけた腕でもう一度を挟み込んだ。瞬時に身体を硬くするのがなんだか面白い。

「どこのどいつでィ、それ。その変わり者の顔を拝んでやらァ」
「ええっ、やめてよ、変なこと言うに決まってるんだから。それに総悟、失礼なことも言いそうだし」

 だめだめ、と首を振るにかちんときた。なに庇ってんだ。おさまったはずの苛立ちがまた戻ってきて、すこしばかり声を低くしながら睨みつけた。はその視線にびくりと身をすくませる。

「なんでィお前、その男のこと気に入ってんじゃねェの?」
「まさか!や、まさかっていうか・・・そういうんじゃなくて、だって総悟の被害に遭うのが分かりきってるのに黙っているわけには」
「心外ですぜ、俺ァただ純粋に好奇心で」
「総悟ほど純粋って言葉が似合わない人もいないんですけど」

 必死に距離をとろうとしながら言葉をつむぐの顔を無理に覗き込むと、先ほどよりもずっと赤くなっていた。何に対してそこまで顔を赤らめているのかまでは判断できないが、すくなくとも自分のせいで動揺している彼女を見るのはひどく気持ちがよかった。が、あえて咎めるように「」と呼んでやる。相手はそれに悔しそうに唇をかむと、ようやくすこしだけ顔を上げた。

「・・・だ、だいたい、総悟、気にしすぎだよ。関係ないでしょ、そんな、誰がどうとか。どうせ断るんだし」
「そういうワケにもいかねェんでね。アンタのことはちゃんと知っておかねェと、なにしでかすか分かったもんじゃねェんだから」
「そ、それならこ、近藤さんに言うよ。近藤さんは保護者代わりだから。それでいいでしょ?」
「だめ」
「どうして」

 どうして、て。知りたいからだ、ただ単に。のことを好きだと言ったその男のことを考えると、なんだかむしゃくしゃして、なぜか悔しくて、不思議と負けたような気になるから。今こうして目いっぱい近づいたまま、自分の腕の中で身を硬くしてうつむいている少女のことを見ている男がいるなんて考えたこともなくて、どこか焦燥感にも似たものがあった。一刻も早くその男よりも、自分のほうが優れているのだと証明してやりたくなる。その男に、自分に。・・・に?

「・・・・・・・・・・・・・どうしても」
「・・・・・・・・・・・・・意味わかんない」

 どうしてかなんて、こっちが聞きたい。









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(2008.7.23)