わずかな期待もむなしく、灰色の空からはぽつり、ぽ、と、雨が降り出した。あっという間に勢いを増したそれは、地面の色も瞬時に変えてしまう。沖田はちいさく舌打ちをすると、すぐ近くにあった甘味処のドアを開けた。
めずらしく外出した日に限って、これだ。オフとはいえ屯所内でだらだらと過ごすことも多い自分が、今日はなんとなしに街へ出ることにしたのだったが、それは午前中の天気のよさに後押しされたといえなくもない。これといって目的があるわけではないけれど、たまには散歩でもしてみるのも良いかもしれないと思わせる空だったというのに。
甘味処には沖田と同じように、突然の雨を凌ごうと入ってくる者が何人かみられた。品書きから適当に品物を注文して、格子のはめられた窓から薄暗い空を見上げる。夕立ならばそのうち止むだろうが、どうもそんな具合でもなさそうだ。雨に濡れながら屯所に帰るのはごめんだが、どこかで傘を買うのも不本意だし、ましてや誰かに連絡を入れて迎えに来てもらうなんてことは絶対にしたくない。けれどまあ、そのうちなんとかなるだろう。運ばれた熱い湯飲みに手をのばして、そう気楽に考えてみた。
懐にしまった携帯電話が鳴ったのは、店に入ってから1時間になろうとしていたときだった。
注文した汁粉はとっくに食べ終わっていた。空は相変わらず泣いていて、しかも弱まる気配をみせない。むしろ雨脚が強くなったか、とこれはもうずぶぬれで帰る覚悟を決めるべきかとうんざりしていたときに光ったディスプレイには、部下の名前があった。ぴ、と通話ボタンを押す。
「おう」
「あ、沖田隊長?お休みのところすみません、です」
めったなことでは部下と私用で電話を使うことはない。一番隊所属のがわざわざ休暇中の自分に電話をかけてくるならば、まず思い当たるのは仕事のことだった。
「なんかトラブルですかィ」
「え?・・あ、いえ、違います。今日の一番隊はいたって平和です、はい」
「おー、そりゃ優秀で結構だなァ。で?」
「ええ、と。・・・」
受話器の向こうでためらうように息をするに、傘でも持ってこさせようか。しかしなんと言うのだ。傘を持たずに街へ出て雨に降られた上司に傘を届けろ?カッコ悪い。そもそも自分は確かに休みだが、部下であるは勤務中のはず。いちおう上司として、余計な仕事を増やしてやるべきではない、か、なんて、俺が言うかって話だけど。
「なんなんでィ用がねえんなら切りやすぜ」
「あっ、そのた、隊長、いま、どちらですか?」
「あ?」
「ど、どちらに、いらっしゃいますか?」
沖田は首をかしげた。緊急の用事ではないようなのに、居場所を訊ねてくる。不思議に思いながらも店の名前を告げると、ちょっと遠いな、とちいさくつぶやく声が聞こえた。
「あれか?土方さんにでも探し出せって言われたんか」
「そうじゃ、なくって・・・。えっと、その、と、とにかく隊長そこで待っててくださいお願いします!」
「は、」
ぶち、と通話が切れた。待ってろ、てことは今からあいつが来るのだろうか。なんのために。とりあえず一方的に切られた電話は多少憎らしかったが、待てもなにも雨が降りつづけるかぎり、濡れることを厭う自分はここから動かざるを得ないのだ。
店員が汁粉の器をさげてしまい、テーブルの上には湯飲みだけが残る。それがなんだか寂しげで、端に追いやった品書きにもう一度手をのばした。
「隊長!」
が店に到着したのはそれからおよそ30分後だった。雨はまだ降っていて、車も使わず走ってきたのか、隊服の裾には泥が跳ねている。そばによってきて注文をたずねた店員に「すぐに出ますので」と断りを入れるので、思わず訊いた。
「なにしに来たんだ、お前」
すぐに済む用事ならば、電話で済ませたらよかったのに。そんなつもりで言ったのだったが、はたと視線を向けたの手元に、目が、釘付けになる。
「その、えっと・・・・・・、傘、を、とどけに」
の手に握られていた2本の傘。一本は先からぽたぽたと雫がたれていて、今まさに彼女が使っていたのだろうことがすぐに分かるが、もう一本、きっちりとたたまれたままのそれは、見慣れた自身のものだった。しばらく傘を見たあと、無言でと目を合わせる。それをなぜか責められていると勘違いしたのか、あわてたように空いた手を振った。
「あのっ、たまたま今日、隊長がちょうど屯所を出るところを見かけたんです。そのときに手ぶらだったなって、雨が降ってから思い出して。もしかして今ごろ困ってるんじゃないかなって思って、それで、その、なんていうか、・・・おせっかいだったらすみません」
最後のほうはだんだんと小声になってきて、ちらりと伺うように視線を向けてきた。今度は黙ったまま話を聞いていた沖田が口を開いた。
「一人で来たんか」
「はい、誰かに言ったら隊長、いやだろうなと思って」
「俺が途中で傘、買ってたかもしれねえのに?」
「・・・考えましたけど、でも、隊長の性格からして、それはないかなあって。傘を買うくらいだったら濡れて帰りそうな」
結果的にの読みはだいたい当たっていたわけだ。けれどアバウトなその行動に呆れもし、またその一方で、なんだか。
「・・・仕事はまだ残ってんだろィ」
「い、いいえ!ちゃんと終わらせてきました!というか、今日はたまたま報告書の作成だけだったので、」
「けどさっき、すぐに帰るっつってたじゃねえか」
「ああ、だっていつまでもいたら、お休み中の隊長のじゃまになるじゃないですか?」
なんのためらいもなくそう言うになんだかちょっとばかし腹が立って、沖田はびしと向かいの席を指差した。は、とが疑問の声を上げる。
「座れ」
「ええ?」
「座れっつってんでィ早くしろ。そんでこれ食え。お前が待てっつうから追加注文しちまったんでさァ、でも俺ァもう腹がいっぱいだ」
「・・・いいんですか?休みの日に部下の顔なんか見たくないんじゃ」
「俺がいいっつってんだからいいんだよ」
の態度にいらいらする。自分のことを考えて傘を届けに来ておきながら、じゃまになるから帰るとか顔を見たくないんじゃないかとか。なんだいまさら。よくわからない。自分がなにを不満に思っているのかも。
「それ食ったら出るぜィ」
「あ、はい」
「そんでそのまま俺に付き合ってもらいまさァ。今日はもうヒマってことだろィ?」
「えええ、でもわたし隊服ですよ?」
「いいっつってんだろだから」
とりあえず今日はもう離してやるもんかと思った。
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(2008.5.14)