江戸にバレンタインデーの習慣が入ってきてからまだそれほど経ってはいないはずだけれど、それは瞬く間に浸透した。男所帯で荒くれもの集団の真選組には一見関係のない行事ではあったが、意外と、毎年チョコレートを大量にもらっていたりするのだ。
「土方さんっ、近藤さん、まだ帰ってきませんか?」
「まーだだっつってんだろ、お前、5分・・・3分?前に聞いてきたばっかだぞ」
「だって待ちきれないんです。今年はいくつあるかなあ、どう思いますか?」
「知るか」
副長室に何度も顔を出して、土方にそっけない態度をとられてもまったくめげていないが心待ちにしているのは、近藤が持ち帰ってくるはずのチョコレートたち。彼は今、真選組のいわば上司である松平のもとに赴いている。普段から大江戸中のスナックやらキャバクラに顔を出すことが多い松平は、その顔の広さと金に糸目をつけない性格とでどこの店でも上客扱いされており、そんな彼がバレンタインデー頃に店に行くと、店の女性たちが揃ってチョコレートを渡してくる。数年前、大量にもらったそれを、たまたまバレンタインデー翌日に松平のもとを訪れた近藤が屯所に持ち帰ってきてから、毎年、バレンタインデーには松平のおこぼれのチョコレートをいただく、という妙な習慣が出来上がったのだった。
「。近藤さん、戻ってきやしたぜ」
「ホント!」
障子を開けて沖田が顔を出し、はじかれるようにが部屋を飛び出した。玄関あたりで近藤と話している声を遠くに聞きながら、沖田も部屋に入る。近藤が持ち帰ったチョコレートを一番に受け取ったがそれを広げるのは、毎年なぜかこの副長室なのだ。机の前に座りこむと、ぱたぱたと足音がふたつ近づいてきた。それはもちろん土方の耳にも届いたようで、面倒くさそうにため息をついている。
「見てください!今年は袋がふたつもありますよ!」
「おーすげェ。とっつぁん、ずいぶん大漁だったんですねィ」
「去年より行く店増やしたらしいぞ。うらやましいよなあ、同じ男として」
「つーか仕事してんのかよ、あの人は」
それぞれの感想を述べたところで、近藤と土方は次の捕り物の話へと移っていった。はその隣で机の上に紙袋をひっくり返し、ばさばさと広がるチョコレートの山に満足そうに笑って、沖田もそれに付き合うように机に肘をつく。
「総悟、どれがいい?一番に選んでいいよ」
「なんでィ、偉そうに。が用意したモンじゃねえだろ」
「でも近藤さんが、分けるのはお前に任せるって言ったもん。あ、わたしこのハート型のがいいな」
結局さっさと自分が好きなものを選ぶので、沖田はふんと鼻を鳴らしてが手にしたそれをひったくる。ああ、という抗議の声を無視して箱の裏側の原材料表示を確認し、はい残念、と楽しげにつぶやいた。
「なにが?」
「酒入ってる。去年もその前も酒入りのやつ、ちょっと食べただけでべろんべろんになっただろ」
「・・・・・・・今年は平気」
「いい加減学習しなせェ。つーワケでこれは俺が食う」
から離れたところにその包みを置いてやると、当然悔しそうに沖田をにらみつけて、けれど言い返せないらしくあきらめたように他のチョコレートを漁りだした。しかしもともと、店の女性たちが松平に贈ったものだ。アルコール入りのものがほとんどだから、一番楽しみにしているのもとに残るのは、なんだかんだで毎年ほんの少しだけなのだった。
「・・・つーかさぁ」
無事確保したチョコレートの包みをさっそく開きだすの傍らで、チョコレートをひとつしか手にしなかった沖田は、興味なさげにそれをいじりながら口を開く。
「他の女が用意したヤツを我が物顔で食おうとしてっけど」
「え?なに?わたし?」
「お前に決まってんだろ。・・・で、は用意してねえんですかィ」
「え?なに?わたしが?」
「・・・・・・土方さんコレあげまさァ」
「あああああだめだってばダメです、それは貴重なわたしの分のチョコ・・・!」
「いらねえよ。そんでお前らウルセーから他所でやれ、オラ出てけ」
土方に追いやられるまま、再び紙袋に戻された大量のチョコレートと共に部屋の外に出た二人はしばらく突っ立って、それから沖田が疲れたように息をついて歩き出すので、もなんとなしにそれについていった。先ほどの話の続きも気になる。
「ねえ総悟」
「・・・」
「毎年近藤さんがいっぱいチョコもらってきてくれるから、わざわざわたしがあげることもないかなって思ってるんだけど・・・。総悟はもっとチョコがほしいってこと?だったらまだこの中にたくさん」
ねえ?と紙袋をこちらに向けて差し出してくるの頭を壁にでもぶつけてやりたい。そういう問題じゃないだろ、なんて、思うのだけれど。西洋文化に踊らされるのもしゃくだが、その文化を妙な方向で利用して、自分じゃなんにもしないでいるにはなんだか腹が立つのだ。
「そうじゃなくて、本来ならお前はチョコレートを用意する側だろィ。普通に食ってんのがなんかムカつく」
「だから、わたしがあげなくってもみんなチョコ食べられるんだからいいでしょってことだってば。そんなに増やしてもきっと食べきれないよ?」
不機嫌さ丸出しで歩く速度が増す沖田になんとかついて行きながらそう言ってやれば、がつん、と額になにかがぶつかった。反射的に痛みを訴えるそこを抑えたが、一瞬にして涙がじわりと目を覆う。目を丸くして沖田を見ると、さっきのチョコレートの箱を変なふうに持っていた。あ、それで、殴った?
「痛・・・カド・・・?」
「なんで全員に配ること前提なんだよ。お前のチョコレートなんか欲しがるヤツがいるわけねえだろィ。うぬぼれんのも大概にしなせェ」
「えええ・・・。総悟意味わかんな、」
「だからお前は俺にだけ用意すりゃいいんでィ。わかったらとっととなんか買って来い」
言うだけ言って、コレもいらねえ、とぽんと箱を投げてきた。とっさに手を開いて受け止めてから、立ち去っていく沖田をぽかんとしながら見送る。そんなこと、今まで一度も口にしたことはなかった。彼の言葉が足りないのはいつものことだけれど、言ってくれなくちゃわからないことだって、ほら、いっぱいあるんだよ。
「・・・えええ」
投げつけられたハート型のチョコレートを見て、なんだか頬が熱くなる。からのチョコレートしかいらないんだって言われていると捕らえていいのだろうか。
気づいたら身体はくるりと後戻りしていた。まずは副長室に、この大量のチョコレートを置いてこなくてはいけない。それから自室に戻って、財布をつかんで、街に行かなきゃ。知らない誰かからのものじゃなくて、自分が沖田のためにチョコレートを選ぶのだ。お酒が入ってるのは一緒に食べられないから、それ以外で。さっきからうるさいくらいに鳴っている心臓は、きっと嬉しいって叫んでる。
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ちょっと遅くなったけど
(2008.2.19)