「沖田くんってさ、」
日誌に走らせていたペンの先をとめて、は口を開いた。それだと大げさなような気がして、すぐにまた文字を書き込む。今日の天気、くもり、のち、晴れ。くもり、の字に自信がない。
「うん?」
「えっと・・・噂で聞いたんだけど」
切り出し方がわからなくて、ペン先をちょいちょいとつつくように振った。くもり。雲、じゃあなかったような。前に誰か書いてないかな、とページをめくろうとすると、沖田がの前の席から立ち上がって、きれいに消された黒板に大きく、曇り、の字を書いた。
「・・・あ、どうも・・・」
「で?」
「・・ええ、と・・・」
そういえば黒板をきれいにするのも日直の仕事なんだっけか。はやたらと筆圧が高いような黒板の字をちょっとだけ憂鬱に眺めた。あれもちゃんと消さないといけないかなあ。でももう、そこまでは、見なかったことにしたっていいよね。ひとりで結論付けて、教卓にもたれてこちらをみている沖田をやっと思い出した。
「D組の、さ・・・テニス部の、あの子とつきあってるって、ほんとう?」
一息にいうと、また手がとまっていたことに気付いて、あわてて目線を紙の上に戻した。くもり。黒板にでかでかと書かれたその字を見るふりをして、沖田のことを観察する。相手はすこしだけ意外そうな顔をしたけれど、にやり、という表現がぴったりくるような笑顔をみせた。
「どう思いやす?」
「へ?い、いや、わからないから訊いてるんだけど、うん」
「ふうん。まさかまで興味持ってるとはなァ、意外意外」
「・・・からかわないでよ」
やっと曇りの字を書き終えて、次は今日の時間割をつづっていく。英語、化学、数学、体育・・・。ああ、そういえば今日の数学の小テストはやっぱりできなかった。
「不思議なんだよなァ。俺、それ聞くまでそいつのこと全然知らなかったんですぜ。なのにどーやったらそんな噂たつんだと思う?」
「えっ、てことは、うそなの?」
「付き合ってんだったら、いつまでもぐずぐずしてねェで、とっくに彼女と帰ってら」
そういわれればそうなのかもしれない。今日の授業が終わってから、時計の針はもうずいぶんと回った。窓からみえる校庭には、部活帰りの生徒たちの姿もちらほらと、ある。日直のパートナーが今日はどうしても部活をぬけられないと言うので、放課後の仕事をほとんど全部請け負うことになってしまったのだ。どうせ早く帰ってもすることがないし、とだらだらと仕事をしていたらいつの間にかこんな時間になっていて、そんなときにひょこりと教室に顔を出したのが沖田だった。
「俺だって迷惑してんですぜィ、いっつも監視されてるようで気分悪ィし」
「でも、それだけみんな、沖田くんのそういうことに注目してる、ってことだよね」
やっと訊けて、気が楽になったはちいさく笑みを浮かべた。べつに深い意味はなくて、あまりに噂になってるから、なんとなく気になっただけ。それだけそれだけ。でも、もやもやとした気持ちはこれで晴れてきたようだ。「わたしなんか噂にもならないだろうし」とつぶやきながらペンを動かして、ふと前を見ると、沖田がまた黒板になにやら書いていた。曇り、の隣にこれまたでかでかと。
「なにかいてる、の・・・」
ずず、とペン先が枠からずれてしまった。でもそんなことはどうでもいい。コン、とチョークを置いて満足げに振り返った沖田の肩越しには、「沖田総悟」と「」の名前が書かれた相合い傘、がみえる。
「コレ明日まで残してたら、と噂になりやすかね」
「・・・え、ええええ!お、沖田くん、ふざけるのやめてよ」
噂が流れたのも自分のせいじゃないか?そんなことが一瞬よぎって、はちくりと痛みをおぼえる。なにか、いやだと思った。楽しんでいるような沖田が?しょせん自分は彼の「遊び」の中までしか入り込めないのだと、わかってしまったことが?
「けっこう本気だけど」
だから沖田の言葉の意味がすぐにはよくわからなかった。ピンク色のチョークで傘の先にぐいぐいとハートマークを書いている沖田は、ほんとうにいつもの沖田総悟くんでしょうか?
「でなきゃいつまでも、のこと待ってねェや」
そう、なぜかずっと教室に居座っていた理由をさらりと口にして、沖田は教卓に頬杖をついた。目はまっすぐにをみて、「で?」と首をかしげてくる。
「・・・で、って」
「噂になるんだったら、最後までつきあってもらわねェと?」
噂で終わらせるつもりはねェですぜ、という沖田に、思わずわたしも!と言ってしまったのは、絶対にこのときの雰囲気のせいだけじゃないと思う。
くもりのちはれ
「コレ本気で残すの!?」「だってせっかくうまく書けたし。まぁまぁ、こっちの曇りは消しまさァ」
(2006.1.24)