が突然部屋を訪れるのは、なにも今に始まったことじゃない。
夜であってもときたま、リビングのテレビを家族に占領されているからといって、シンの部屋に個人的に備え付けられているそれを見にやってきたりする。そしてシンは自分のテレビがあるといっても、正直ゲームをするときくらいしか電源をオンにしないので、素直にに提供することにしていた。だからいまも、がドラマを見ている後ろで、自分のベッドに寝転がって、漫画を読むことに専念していた。こんな行き来が気楽に出来るのも、ふたりの家が隣同士で、幼いころから家族ぐるみの付き合いをしている、いわゆる幼なじみの関係にあるからに他ならない。
「シンってさあ、」
「ん」
画面から目を離さずに、がぽつりと口を開いた。シンも漫画を読むのをとめることなく、返事をする。
「誰か好きなひと、いないの?」
「・・・・・はあ!?」
まったくの予想外なの言葉に、シンは目を丸くして起き上がった。の身体は変わらずテレビに向いたままだ。
「な、なんだよいきなり」
「うん、まあ・・・。いるの?いないの?」
「い・・・ないよ、そんなの」
そんなの、ってさあ。雰囲気でがちいさく笑ったのがわかった。それほど真剣に話しているわけでもなさそうだ、と判断したシンは、漫画を閉じての背中に声をかける。
「なんかあったの?」
「やっぱりさ、まだわかんないよね。好きとか付き合いたいとか、そういうの」
「・・・?」
質問にはっきり答えることはせず、自分を納得させるようにただ言葉をつむいでいるようなの様子は、どこか沈んでいるようにも見えた。学校にいる間は、いつもどおりだったはずなのだけれど。シンはもう一度相手の名前を呼んで、話の先を促した。
「・・・告白・・・されたの、今日」
「え、こ・・・こくはく、って、あの告白?」
「他になにかあるの?」
そこではようやく少しだけ振り返ってシンを見た。その仕草になぜか、心臓がどくんと鳴った。
「放課後ね、部活のひとなんだけど。・・・でもあたし、その人のこと好きとか、そういうふうに、思ったことなくて」
「え、で・・・え、断った?」
「うん」
の言葉に、今度はほっとする。いちいち反応してしまう自分に妙なものをおぼえながら、シンはの話を聴いていた。
「ルナと帰る予定だったから、そのあといろいろ訊かれたのもあって、そのこと言ったんだけど・・・そしたら、でも彼のこと嫌いではないんでしょ?って言われて、それは、まあ、そうだけどって」
「・・・うん」
「だから気付かなくても、はもしかしてその人のこと好きなのかもしれないわよって、そういう可能性もあるんじゃない、って・・・」
「え、だから、つまり、・・・なに?」
ルナのやつめ、いろいろ訳のわからないことを。テレビ画面では、登場人物たちがなにかでもめているようなシーンが映っていた。おそらく見せ場のひとつなのだろうけれど、もほとんど目で追っているだけのようだ。
「すぐにはわからなくても、付き合っていくうちに自覚するってこともあるかもしれないから、告白受けてもよかったんじゃない、だめだったら別れてもいいんだから、って・・・そういう感じ」
「じゃあ、う、受けなおしたのか?」
「まさか、そんなことしないよ」
あ、だよな、と返事はしたが、シンはどこか落ち着かなかった。幼なじみから突然、恋愛相談を受けているからだろうか。そういえばと、そういう類の話をしたことはない。とは、誰が好きとか嫌いとか、そういうものとほとんど無縁な関係だったのだ。もちろん、シンはシンの友人と、はの友人と、それぞれ異性に関する話をしたことはある。でも、との会話にだけは、どうしてかそれが持ち出されたことはなかった。
あたしはそんな、器用なことできないからね。の声に、ふと我に返ってシンは相手を見る。
「・・・でも、シン、好きだって気付かないことって、本当にあるのかな」
ドラマはもう、スタッフロールに移っていた。どうやらさっきのが今回の一番の見せ場だったようだ。
「だったらあたしは、受けるべきだったのかな。ねえ、シンは、どう思う?」
の問いに、シンは言葉をつまらせた。そんなこと、訊かれたってなにもわからない。誰かを好きだと思ったことも、誰かに好きだと言われたことも、まったく経験したことがないのに。
だから、ルナマリアが言ったことを、当たってるとか、そうじゃないとか、きちんと判断してもっともらしい答えを返すことは、シンにはできない。そういうことには、彼女のほうがずっと精通していることは明らかだ。けれどひとつだけ、たったひとつだけ、はっきり言えることがある。
「・・・・・いいと、思う、そんなことしなくて。てか、してほしくない、そういうの」
シンの言葉にすこし目をまるくしたを見て、慌てて付け加える。
「えーとさ、だからもし、本当にす・・・きって思ってたら、言われたら嬉しいもんなんじゃないの?そういうのが、なかったんなら・・・なかったんだよね?」
「え、あ、う・・・ん、なかった、かな」
「なら、いいよ。しなくていい、にそんな、がまんとか、似合わない。・・・と、俺はおもう、けど」
最後はぼそぼそとほとんどつぶやくように言って、シンはうつむきかけていた視線をへと戻した。もうドラマが終わったのでテレビ画面から完全に視線をはずし、シンのほうを見ていたは、やっと笑顔を見せた。
「わかった、シンがそう言うならね。幼なじみの忠告は、ありがたく受け取ることにします」
「な・・・んだよそれ、こっちはまじめに言ってやってるのに」
でも、安心した。がそういうふうに、わざといくらかちゃかすように言ってくれなければ、このままずんむりと押し黙って、指先ひとつも動かせなかったかもしれない。
「うん、ありがとうね。やっぱりシンに相談すると、とっても楽になる」
の言葉は、シンにもとても嬉しいものだった。でも、当然だろう、とも思ってしまう。だって、俺とは幼なじみなのだから。一番理解できて、当たり前なのだ。
幼なじみだから。
「もう帰んの?」
「うん、いつまでも長居しちゃ、あれだしね。シンの勉強のじゃまになるし?」
「・・・なんだよソレ、嫌味?」
むすっとして訊き返すと、は楽しそうに笑った。すぐ隣の家が帰る先といっても、さすがにもう夜遅いし、玄関内ではいさよなら、というわけにもいかない。の家の玄関先まで、シンはついていくことにした。
「まあ、でも・・・元気、出しなよ。べつに、が悪いことした、ってわけじゃないんだから」
「・・・うん、今日はありがと。今度もし、シンに・・・」
そこまで言って、ははたと言葉を止める。シンが不思議そうにを見ると、なんでもない、と首を振った。
「じゃあね、また明日」
「うん」
が家の中に入るのを見届けて、シンもきびすを返した。にがまんは似合わない、と言ったけれど、本当は目の前で他の誰かのものになろうとしているを止めたい気持ちが大部分だった。
今までそんなふうに考えたことは、これっぽっちもなかったのに。が遠くに行きそうで、それはとても嫌だと思った。他のやつのところへ行くというのなら、意地でも止めてやる。そこまで考えてしまう自分にとても驚いて、幼なじみの少女を想った。彼女があんなに儚く見えたのは、きっと初めてだ。
自分の部屋へ戻ってから、は大きく息をついた。今日一日で、正確にいえば今日の放課後から、いろんなものが大きく動いてしまった気がする。
告白を受けたとき、なにより先にシンの顔が浮かんだ。ひどく会いたいと思った。家でだって見られたドラマを、わざわざシンの部屋を訪れて見ることにして、話をして。そうしたらやっと、もやもやしていたものが晴れたように感じた。
本当はね、「今度もしシンに、好きな人ができたりしたら。そしたら相談に乗るからね」って言おうとしたんだよ。でもその言葉は喉のあたりで引っかかって、外に出てくることはなかった。シンに好きな人ができたなんて言われたら、泣いて泣いて、相談どころじゃない。そう思うのは初めてだったけれど、確信にも似たなにかがあった。
だから、気付かない好きも、きっとあるんだよ。
07.触れるか触れないか
ラブ・ポーション
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(2006.4.16)