中学に上がってから二度目の夏を迎えようとしている。桜の季節なんてとうに過ぎて、気づけば木々は青々と茂り、初夏特有の爽やかな風に軽やかにその身を揺らしていた。
自分はといえば、「切原先輩」と呼ばれることにも慣れてきて、それなりに先輩面するということを覚え、しかしいまだに三年生に進級した彼らには歯が立たず、それなりに変化したようなしていないような毎日を送っているわけなのだったが、やはりどうしても、一年以上も経った今でも慣れないことはあるもので。
「あ、」
部室のドアをがちゃりと開けると、まっさきにマネージャーの姿が視界に飛び込んできた。今まさに内側からドアを開けて外へ出ようとしていたらしい彼女は、手を宙ぶらりんにさせたまま「赤也」とつぶやき驚いたように数回まばたきをして、それからわれに返ったようにちょっとばかり顔をしかめる。の口からは、その表情のままに不機嫌そうな声が発せられた。
「・・・?」
ほらきた。
「・・・、センパイ」
「よろしい」
あっさりと満足げに笑って、「早く着替えてきなさいね」と余計な一言を残していくとは部室を後にする。入れ違いにドアを閉めて、なんとなしにため息をついた。
彼女、との付き合いは長い。
小学校に入る前からよく遊んでいた仲で、中学生となった現在も同じ学校に通っている。彼女のほうがひとつ年上ではあるが、小学生の頃まではそんなことを意識してはいなかった。それが中学に入学したとたん、先ほどの通り、「先輩って呼びなさい」、だ。自分たちが所属しているのが全国大会常連の強豪男子テニス部であり、部内の上下関係に厳しいことが大きな理由なのだろうが、それ以外にもちょくちょくと、行動や言葉の端々に先輩ぶりたいの気持ちが見受けられた。自身も先輩になってみて、その気持ちが理解できないわけではない。が、あれほど日が暮れるまで一緒に外を駆け回ったというのに、今さら「先輩、お疲れさまっす」なんてどうして言えるというのだ。何年経とうが、きっと慣れない。慣れたくない、というのが本音かもしれないが。
制服から部活用ジャージへそれなりにてきぱきと着替えてコートへ向かうと、が早く来いと言っていたわりには、全体的にのんびりとしたムードだった。それが部長や副部長がまだ顔を出していないからだと分かると気が抜けて、文句でも言ってやろうかとの姿を探す。ぐるりとコートを見渡すと、お目当ての少女はすぐに見つかった。
「ー・・・」
声を張り上げて名前を呼んでやるつもりがなんだか尻すぼみになってしまったのは、が丸井や仁王といった同学年の部員と話している最中だったから。
(・・・なに話してんだろ)
内容までは聞き取れない。けれど彼らの表情から、大したものではないのだろうという想像はついた。仁王が例のごとくにほらを吹いて、丸井がそれにつっこんで、が笑う、といった感じ。混ぜてもらおうかとも思ったが、の笑顔になんだか気が引けた。
あんなふうには、笑っていなかったと思う。昔は。大口を開けて、顔をくしゃくしゃにして、ばかみたいに笑っていた、ような。それが今のはちょっと違って、本当に楽しそうに笑っているのだけれど、もっと大人びているというか、
(女の子、・・・てかんじに)
そうだ、女の子だ。急に先輩ぶってみせたり、大人っぽく笑ってみたり、女の子は成長が早いからねえ、なんて母親が言っていたのを唐突に思い出す。
今もたぶん無性にを小さくてか弱い存在にみせるのは、隣にいる先輩たちだろう。彼らに比べてのなんと頼りないことか。部内では決して背の高いほうではない自分でもあっさりと追い越してしまった身長に、ジャージの隙間からみえる細い手首。すこし前まではちっとも意識しなかったの女性らしさというのが、周りに男子ばかりがいるテニス部に所属することで際立って、ときどき無性に、なんだか、焦るような気持ちになるのだ。
「!」
内心のためらいを出してしまわないように不機嫌そうに名前を呼ぶと、すぐにこちらを向いてくれた。でも相手も負けず劣らずな表情で、口をぱくぱくと動かす。近づくと、訳知り顔な丸井に仁王と目が合って、あまりいい気分ではない。
「、せ・ん・ぱ・い!」
「・・・つーか俺すっげえ急いで着替えたんだけど。まだ始まってねえじゃん。嘘つき」
「だって、いつ幸村くんたちが来るか分からないじゃない。そうじゃなくっても赤也は部室からなかなか出てこないんだから」
「・・・・・・のバーカ」
言うだけ言って背を向けると、後ろから「先輩でしょ!」と憤慨するような声がする。「お前そっちかよ」との丸井のつっこみも耳にしながらずんずんとその場から離れるように歩いていく。逃げ出しているみたいだ。
のバカ。そんなふうに変わっていくなんて聞いてなかった。わかっていればもっと、今、違った関係になれていたかも、しれないのに。
(・・・!!なに考えて)
とっさに口元を手で覆って、左右にすばやく目を走らせる。特別誰かが注目しているわけではないことを確認すると、そっと、ちいさく息をついた。
聞いてなかった、なんて、のせいみたいに言ったところで、結局、見抜けなかった自分が一番ばかなんだ。気づける時間はじゅうぶんにあったのに、こんなこと、思いもよらなかったから。焦る、あせる。なにかに焦る。早くしないとがもっともっと、
・・・ほんとに、聞いてない。そんなにかわいくなるなんて。
そんな大事なこと
06.知らなかった一面
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(2008.4.11)