一日中オフをもらえたのは久しぶりだった。出かけてもよかったけれど、あいにく今日の天気は雨。窓の外にしとしとと降る雨を見ながら、沖田は自室で寝てすごすことに決めた。まあ、こういう日も悪くないんじゃないかな、とか思ったり。ばたばたばたと、耳慣れた足音が部屋の前に訪れるまでは。
「総悟!今日オフなんでしょ、だったら稽古につきあって!」
雨でも雪でも、出かけときゃよかった。と、後悔してももう遅い。
「次にオフが重なったら稽古につきあってくれるって、この前約束したよね」
にこにこと笑いながらすでに竹刀を二本もかかえて立っているのは、沖田のいわば幼なじみにあたる、だった。寝そべっている沖田を見下ろして、ほらほら、と竹刀の先でつついてくる。沖田は心底うざったそうに、それを手で押しやった。
「ちょいと落ち着きなせェ、。こんな雨の日に稽古だなんて、お前頭大丈夫か」
「なにそれ、雨とかそんなの、関係ないでしょ?」
「大有りだね。俺は雨が降るとメランコリーな気分になるんでさァ、刀とか握りたくない」
「初耳なんですけど、それ」
いいからほら、立って!とは今度は竹刀で沖田の背中といい肩といい、ところかまわずばしばしと叩きだす。それから逃れるために、とりあえず沖田は上半身だけ起こして、を見た。
「大体、稽古ならしょっちゅうやってんじゃねェか。俺じゃなくたっていいだろ」
「そういうけど、総悟ここ何ヶ月か、ぜんぜん相手になってくれないじゃない。いつもそんなふうに逃げちゃってさ、もしかして、あたしに勝てる自信がないんだ」
「ばかですかィ」
「だったら相手してよ、そもそも約束破るなんて真選組じゃないよ!」
妙な理屈を言うと、は沖田の腕をひっぱって、無理やり立たせにかかる。沖田はその手をしばらく黙って眺めていたが、しばらくしてあきらめたように息をついた。自分とのオフが重なるなんてそうそうないと思って、あまり考えずに言ってしまったことが逆にアダになったようだ。
「すこしだけだからな」
はじめは、ほんのわずかな変化だった。
小さいころは実力や、体格にもそれほど差がなかったなのに、気付いたら自分のほうがすこしだけ背が高くなってるとか、声も低くなってるような気がするとか、自分の指はなんだか骨ばっていくのにの指はいつまでもやわらかくてまるっこいだとか、自分を立ち上がらせようと強く引いたって、実はびくともしてないだとか、そんなことがどんどんと増えていく。
(ああ、ホラ、今も)
のひと太刀を受け止めながら、沖田は思った。の剣は軽い。他の隊士たちや、自分たちが戦う攘夷派の武士らに比べると。そういうところを指摘してやらないと、本当なら稽古の意味もないのかもしれない。けれど沖田には、どうもそれが言えなかった。に隙を見つけても、強く打ち込むことをためらってしまうのと、同じような気持ちがする。こんな隙を敵にみつかったらどうするんだろうと、らしくもなく焦ってしまったり。頭の休まる暇がないのだ。
だからいやなんだ、こいつと稽古するのは。
「ふう、ちょっと、休・・・憩、してもいい?」
「・・・なんだ、もうバテたんですかィ」
「バテ・・・っ、だって、なかなか決着、つかないんだもん。土方さんなんかだと、ばしーん!ってやられて、終わっちゃったりするんだけど」
床にぺたりと座り込んで、が大きく息をつく。俺だって、本当はそれくらいできる。沖田は内心でつぶやいた。
けれどそんなことをすれば、は確実に傷つくだろうと思った。土方さんとか、近藤さんとか、あの人たちではなくて、自分に簡単に負けてしまったとしたら、は否が応でも、それを意識してしまうにちがいない。自分だってまだ考えたくなくて、ずっと目をそらしている、それ。
「雨、やまないね」
の隣に座って、沖田もつられて窓の外を見た。
その視界の端にいるの頬にかかる髪の毛に、自分とは違ってひどくやわらかそうな胸元に、触ってみたいと思うのは一度や二度ではなかった。こんなことを考えるのはに対する裏切りだと思って、本人にはもちろん誰にだって言えるわけがない。ずっと自分ひとりの胸にとどめておこうとしても、ときたま、急に、頭をもたげてくることがある。気付かないフリなんか、きっと長くはもたないだろう。
「総悟は最近、強くなったよね」
沖田のほうは見ないでが言った。その言葉にぎくりとして、雨にむけていた視線をすこしにずらす。
「あんまり手合わせはしてなかったけど、外で戦ってるのを見てればなんとなくわかるよ。うーん、なんかちょっと、悔しいなあ」
「・・・・・・・・・」
そういうといくらか拗ねたように、はごろんと仰向けに寝転がった。沖田は喉がつまっているような気がして、声を出せない。のほうを見たくても、どうしても見られなかった。
「この間近藤さんにそんなこと言ったら、も強いから心配すんな!って言われたけど・・・・・・・でもやっぱり、総悟は男の子だもんね」
当たり前のことのようにがいうから、沖田は一瞬耳を疑った。自分はずっと、考えないようにしてきたこと。一度口にすれば、それだけで自分たちのいままでがぐるりとひっくり返ってしまいそうな、事実。
はきちんと考えて、理解していたんだろうか。自分があえて言わなかった、意識しようとしなかったことを。そのうえでは、自分と稽古をしたがったり、いままでと同じように振舞って。それともにとって、そんなことは大した問題ではないのかもしれない。
「・・・・・・・・・・・」
沖田のなかを、急速にさびしさが襲った。よくわからない。でもと自分との間に、相手に望むことへの差があるのは、なんとなく理解できた。男とか女とか、そんなのと関係ないところで、これからもと、ばかやってすごしたい。だけどやっぱり、に触れたい。そんなことを思ってしまう自分はきっとひどく子どもで、わがままなのだ。
沖田は手をのばして、横たわっているの手首をつかんだ。ひさしぶりに触れたそこは、沖田の予想以上に細くて華奢だった。
「・・・・・・・・お前、脈速いんじゃねェの。やっぱりバテバテじゃねェか」
「えー・・・そうかな」
触れた瞬間、が息を止めたように感じたのは、気のせいかもしれない。
ああ、だからやっぱり、雨は嫌いだ。に似合いすぎて、のことばかり考えてしまうから。
でも、やまないで雨
04.鈍色ディスタンス
手首だけじゃ満足できない自分を、このまま流してくれないかな
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(2006.6.18)