最近、総悟の様子が以前よりもすこしばかり違うことには気がついていた。
具体的にどこが、と訊かれたら困ってしまうけれど、長い長い付き合いのはずの彼が、すこし前からなんだかよそよそしいというか、とにかく違うのだ。
だから、なんとなく寝付けなくて起き出してしまったその夜、同じように廊下をふらふらしていた総悟に会ったとき、これは今夜問い詰めてやろう、と思った。
「お茶淹れてきたらよかった?」
廊下は寒いから、との理由で言いくるめて総悟を自分の部屋につれてきたは、座布団を出してやりながら訊ねた。さっきまでそこで眠っていた布団の上に座るをちらと見てから、総悟は「いらねェ」とだけ答える。
ほらやっぱり、目を見ない。
じい、と睨むように総悟を見つめているの視線にどことなく迷惑そうに眉を寄せる総悟は、ちいさく息をついてから口を開く。
「つーか、眠れねェんなら布団入って目つぶってりゃ良いだろィ。俺もそうするし。じゃ」
言いながら立ち上がる総悟の着物の裾を慌てて掴み、引き寄せる。あまり大きな声を出すと他の誰かを起こしてしまうかもしれないから、そこは抑え目に、けれど強い口調で言った。
「ま、まって、ちょっとだって、わたし総悟に聞きたいことがあるんだもん!」
「明日でいーじゃねェか」
「だってそう・・・そうしたら結局聞けなくなっちゃう気がする、から」
同じ屋根の下とはいえそれなりに人数のいる屯所内で、総悟と二人きりになれることは意外と少ない。だから今は絶好の機会なのだ。今を逃せばきっと、次はずっと先になってしまう。
「なにをそんなに気にしてんでさァ」
ため息をつきながらそう問うてくる総悟に、はなんと答えてよいかわからず、ええっと、だから、と言いよどんだ。自分の中でもまだきちんとした言葉になっていないそれだから、うまい言い方が見つからない。
「それは、だから・・・最近、総悟の様子がちょっと、変かなって、思って」
言いながら総悟を見上げると、わずかに目をまるくした彼がいた。その表情に、あ、やっぱり、との「なんとなく」が確信に変わる。
「やっぱり、そうだよね?元気がないっていうか・・・なにか悩みがある?」
「・・・・・」
「違うの?そういうのじゃない?」
「・・・・・」
「・・・ちなみに、言うまでここから出ちゃだめだからね」
きぱりとが言うと、総悟はようやく観念したように腰を下ろした。が用意した座布団の上に座るが、相変わらず目を見ようとはしない。このままではおそらくなにも言わずにただ時が過ぎるだけだろうと悟ったは、慎重に口を開いた。
「・・・とりあえず、わたしが思ったことを言うと・・・」
「・・・ん」
「ちょっと前から、総悟、なんか、元気がないっていうか、覇気がないっていうか・・・そんな感じがするのね」
「気のせいじゃねェ?べつにいつも通りに見廻りだってしてるし。近藤さんあたりにでも聞いたらどうでィ」
「うーん・・・」
そう言われてしまうと、もちょっとばかり自信がなくなる。たしかに仕事をしているときの総悟は今までと変わらないように見えなくもない、のだ。けれど総悟の態度に違和感をおぼえるのも本当で、考えがまとまらないままに、とにかく言葉をつむいだ。
「そんなこと言われても、だって、そう思うんだから・・・うまく言えないけど・・・」
「じゃあやっぱ、の勘違いってことで。もう戻っていーだろィ、明日の見廻り、俺、早ェし」
言ってまた立ち上がる総悟を見ながら、も焦って腰を浮かす。「な、え、ちょ、だって、」意味のない声を出しながら、もう一度裾を掴もうとした。
ちがうちがう、勘違いなんかじゃない。だってむしろ、明日早いんじゃないの?って、そう先に切り出すのはいつも自分のはずなのに。まるでこの話はしたくないとばかりに、一秒でも早くにここを出ようとする総悟は、たとえば近藤さんたちの前だったら、彼の言うように今までと変わらない態度をとっているのだろう。けれどすくなくとも、の前では、
「・・・!」
そこまで考えて、は総悟に向かってのばしていた手をぴたりと止めた。腕だけではなく、全身が強張ったみたいに一瞬動かなくなる。背後のの気配を不自然に感じた総悟が振り返ると、彼女はまるで怯えたような表情をむけた。
「・・・わたし?」
「は?」
「わたし、にだけ?わたしのこと、避けてるの?」
そうつぶやく声は震えていて、総悟をひどく驚かせた。けれどにはそんな自分の状態に気付く余裕なんて一切ない。一度止まった腕が、ゆっくりとまた総悟にのばされる。
まったく、ぜんぜん、これっぽっちも、考えなかったのだ。総悟がよそよそしいのが自分に対してだけで、自分だけが彼に避けられているのかもしれない、そんな可能性に。
だって自分たちは幼いころからのかけがえのない友人で、ケンカをすることもあるけれど、それはお互いに遠慮も隠し事もしないからで、だから、自分に何か非があるのなら、総悟は避けたりなんかする前にそれを伝えてくれるはずなのだ。
なのに、それなのに、にはなにも言ってくれないで、ただ急になんだか態度を変えられて、しかもそれがもしかして自分のせいなのかもしれないと思えば、は怖くて仕方がなかった。彼に嫌われたのかもしれないと考えると、突然心臓が激しく鳴り始めて、喉がしめつけられるみたいに苦しい。今までに一度だって、こんな気持ちになったことがあっただろうか。
「総悟、」
どうしてさっきからずっと、わたしの目を見ないの。
きゅ、と弱弱しく袖をつかんできたの手の震えを見た総悟は、目をわずかに細めてから、ちいさく息をついた。そんな動きにだってびくりと反応してしまうの耳に、静かな声が聞こえる。
「・・・なに考えてんのか大体分かるけど」
総悟の手がそ、との手にふれる。
「嫌うわけねェだろィ」
そこでやっと、ようやく、総悟との目があった。思いがけずひどく真剣な眼差しに、の心臓はさっきとは違ったように跳ね上がる。
「大体、俺だってまだ自分でもよく分かってねェっつーのに、お前にどういう態度とればいいかなんて決めらんねェっての」
「な、・・・にが?」
「こっちの話」
ばつの悪そうな顔になりながら、総悟はがりがりと頭をかく。その表情に動作がの見慣れたものだったので、ほんのすこし緊張がとけた気がした。
の顔にわずかながらも笑顔が戻ったのを見て、総悟も内心で安堵した。まさかが自分のはっきりしない態度をここまで気にしていたなんて、これっぽっちも思っていなかったのだ。いつもだったらにあれこれ悩ませる前に手を打っているのだけれど、今回ばかりはそう出来なかったのも仕方ない。自分だってに対するこの感情にまだまだとまどっていて、どうすればいいのか分からないのだから。
「・・・とにかく」
「え、わっ」
不意に総悟がぐしゃりとの髪の毛をつかむようにして頭をなでる。なになに、とが抗議するのにはかまわず、どこか明るい声で言った。
「今はまだ言わねェけど、そのうちたぶん、言えるようにならァ。それまで待ってろィ」
「・・・いつまで待つの?」
「・・・・・春くらい」
「えー、まだ12月だよ」
これから冬なのに、とが唇を尖らせる。そんくらいかかるんでィワガママ言うな、とその頭をかるくはたいてやってから、ようやく総悟はから手を離した。
「じゃ、もう行くぜィ。もういーだろ」
「うん。・・・総悟、おやすみ」
「・・・ん」
静かに襖が閉められるのを見ながら、は心が晴れていくのを感じた。理由が分かったわけではないけれど、総悟は嫌わないとはっきり言ってくれた。今はそれで充分だったし、いずれ総悟が教えてくれるというそれも、きっととても良いことのような、そんな気が、する。わずかに逸る心臓のリズムが、なんだかひどく心地よい。
冷えた廊下を歩きながら、そういえばと久しぶりにまともに話したなと気付いた。突然わきあがった感情に頭がついていかなくて、それがなんなのか見極めるため、彼女の言うとおり、ここしばらくは確かに距離を置いていた。けれど結局それは、こうしての目を見て話すことで、ようやくなんなのかが理解できたように思う。
春、と言ったけれど、それよりも前に、言えるかもしれない。
春になったら
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(2010.3.14/ソノエ)