「あ、いまの、流れ星」
空に向けて指をさす、屯所への帰り道。の声につられた総悟も同じように暗く沈む夜空を見上げたが、すぐに肩をすくめ、呆れたように口を開いた。
「気のせいだろィ。千鳥足じゃねェか、お前」
「え〜、それはぁ・・・そんなことない、よ?スキップだって・・・できるし、ほら!」
「それ跳ねてるだけでさァ。やめとけって、転ぶから」
いつも通りに歩く総悟の傍らで、の足取りはおぼつかなかった。小さな石にだって躓きそうだし、電柱にもぶつかりかねない。こんなになる前にさっさと出てくるんだった、と総悟はちいさくため息をついた。
松平の行きつけの高級料亭に足を踏み入れた時点で、のテンションは妙なものになっていた。定期的に彼と食事をしている近藤が、「たまにはお前達もどうだ」と言ってきたことに始まった今夜の会食を、彼を「松平のおじさん」と呼び慕うはひどく楽しみにしていたのだ。
「そしたらねぇ、渋滞の原因はぁ、伊東さん、・・・のぉ、乗った車のせいだったん、ですよぉ」
厠にと席を立った総悟が部屋に戻ってくると、呂律の回っていないの声がした。普段から酒に強いほうではないが、滅多に会えない松平に会えた嬉しさと、滅多に来られない高級料亭への緊張が、より一層彼女を酔わせてしまったらしい。とはいえ、そんなの隣で話を聞いている近藤と松平も、彼女に負けず劣らずの赤い顔をしていた。
「そりゃァオジさん、感心しねぇよォ。警察官がそんなんじゃさァ、アレだよ、示しがつかねぇじゃァん?」
「そうなんだけど、そーなんだけどっ!でもとっつぁん、それはさぁ、それは仕方なかったの!なっ、!」
「はい!なぜならぁ、伊東さんはぁ、・・・愛のために!」
「、そのへんにしとけ」
わりと酔いやすい土方も、近藤たちのお守りという役割を意識しているのか、今日は酔わないというよりも酔えないようだ。こぶしを振り上げながら腰を浮かすの腕を引き無理やり座らせるを繰り返していた土方は、襖を開けた総悟に気が付くと、ようやく一息つけるとばかりに大きくため息をついた。
「俺がちょっと目ェ離した隙にコレですかィ」
自分の席に戻りつつそう言うと、土方がそうだよ、と投げやりに言って舌打ちした。
「酔っ払い三人の面倒なんざ見てられねェ。総悟、お前コイツつれて先に帰れ」
「ぇええっ、どうしてですか土方さんっ」
帰れ、の単語に反応したは振り返り、目付きの悪い副長を見上げた。その向こうからも「そうだよトシぃ〜」と抗議する声が聞こえる。
「酔っ払ってっからだ」
「よ・・・酔って、ません!酔ってません!」
「酔ってるやつは皆そう言うんだよ。べろんべろんじゃねェか」
珍しく総悟が土方の意見に同意してしまうくらい、の酔いが相当回っていることは明らかだった。いつもだったら適度に自分でセーブしながら飲む彼女が、今夜は松平が次々とすすめてしまうこともあり、普段のレベルをすっかり超えている。けれど酔ってしまっているには土方の心配も伝わらないので、子どものようにごねるのだった。
「だって、松平のおじさんと、まだたくさんお話したいのに」
「あんだよォ、ちゃんもう帰っちゃうの〜?」
「そうだよそうだよトシぃ、たまにはだってさぁ・・・」
「近藤さん。どうせあんた、この後行きたい店があんだろ。コイツ連れてちゃ行けねぇよ」
と同じようにごねだした近藤も、土方のその言葉にぴたりと動きをとめる。不思議そうに彼を振り向くをすまなそうに見ると、がばりと大げさに頭を下げた。
「、悪い!俺はここまでだ!」
「えええええ〜!ひ・・・ひどいです近藤さん!」
「だってお妙さんに会いたいもんっ!というわけで総悟、よろしく頼むな!」
あっさりとそう言って笑顔を見せる近藤に頷き、総悟は立ち上がった。やだやだと首を振るの腕をとり、「行くぜィ」と促す。は意地でも動くまいと思っていたようだが、酔って力の入らない身体が総悟に勝てるわけもなく、最終的には諦めておとなしく引きずられるままになっていた。名残惜しげに松平を振り返り、「おじさん、またね」とつぶやく。
「またねェ、ちゃん。サド小僧ォ、送り狼になるんじゃねぇよォ」
「へーい」
送りも何も、帰る場所は同じですけど。なんて言っても酔った頭には伝わらないだろう、適当に返事をして部屋を出た。
「楽しかったねぇ」
しみじみというにとりあえず頷いてやる。正直なところ、総悟はそうでもなかった。酒は好きだが、今夜のように酔えない酒の席などつまらない。原因は言うまでもなく、隣でふらふらしているこの幼馴染だ。
「お前、やけにとっつぁんに懐いてねェ?」
「ええ?そりゃあ、そうだよ。わたしたち、拾ってくれたの、おじさんだもん」
総悟の問いに、にこにこしながらが答える。「総悟もそうでしょ?」と首を傾けるのに、あいまいに返した。
嫌いではない。裏表なく大胆なあの性格はむしろ好きかもしれない。けれどがあまりに「おじさん、おじさん」と笑顔を見せるのに、複雑な思いを抱いているのも確かだった。自分だって彼に感謝しているが、それにしたっての懐きようは行きすぎじゃないか。今夜みたいに松平がいると、自分をほっぽって彼にばかり構うのも気に食わない。自分のほうが彼よりもずっと、昔から一緒にいるというのに。
「痛たっ!」
不意にの声がして、総悟は考え込みながら歩いていた足を止めた。振り返れば、電柱の前で額を押さえる彼女の姿がある。
「・・・だから言ったじゃねェですかィさん千鳥足だって」
「い、・・・たあ・・・」
電柱に正面からぶつかりしゃがみこんでしまったが総悟を見上げると、その目にじんわりと滲んだ涙が街灯の光を反射した。まったく、と総悟はため息をつきながら口を開く。
「歩けるかィ」
「・・・またぶつかるからイヤ」
「んなこと言ってたら帰れねェだろ」
「おぶってよ」
「はああァ?お前なァ、」
「じゃあ、総ちゃん」
懐かしいその呼び方に、総悟の言葉がぴたりと止まった。武州にいる頃は毎日聞いていたのに、江戸に出てきてからは口にしなくなった、その呼び名。動きも止まった総悟に、しゃがんだままでが腕を伸ばした。
「手、つないで」
いつもだったら聞いてやらないようなワガママなのに、総悟の手がためらって揺れる。あたりに視線をさまよわせ、もう一度それを向けたの顔は、不満げに口が尖っていた。
「総ちゃん」
大きく息を吐き出すと、素直に手を出してやった。
手をつなぐというよりは、の手を引いて歩いてやっているような状態。先ほどに比べればずっと足取りのしっかりしたは、それでも空を見上げたりしてのんびりと歩いている。そして総悟の口数は、極端に少なくなっていた。
「総ちゃんの手ってあったかいね」
握った手を振りながらのの言葉は、遥か昔にも聞き覚えがあった。同年代の少年たちにからかわれるのを助けてやるたび、迷子になった彼女をさんざん探し回って見つけてやるたび、総悟はの手を引いて家まで連れて行った。ぐずぐず泣いているは、歩いているうちに泣き止んで、やがて嬉しそうにそう言うのだ。毎回。
そのの声が、好きだった。
「総ちゃんの手は、いつもあったかいよね」
総悟と同じように、もまた昔を思い出しているのがその言い方で分かった。久しぶりに、一体何年ぶりだろう、本当に久しぶりに総悟が感じるの手の温度も、酔っているためかだいぶ温かくはあるが、それもまた昔と変わらないように思えた。総悟はなにも返事をしなかったが、は一人で話し続ける。
「心があったかい人は、手が冷たいって、言うけど。総ちゃんはどっちも、あったかいもんね」
憶えているだろうか、陽が沈みそうなぎりぎりの夕暮れの中、それもは何度も口にした。総悟は優しい子だと、姉や近藤にはよく言われていたのだが、にそう言ってもらえることがあの頃の自分には一番に響いて、だからコイツのことはいつでも助けてやろうと思ったし、姉の前だけで見せていた素直な自分をすこしずつ出すようにもなっていた。
「・・・そんなん、ただの迷信だろィ。確証も何もねェよ」
そして、こういうときは相変わらず、嬉しいくせに自分は生意気な言葉ばかりを返すのだった。あの頃の夕暮れの道と、今のこの街灯と月の光が照らす道の様子はだいぶ違うけれど、人通りのないことと、総悟の態度と、がそれにくすくすと笑うのは変わらない。つないだ手がちいさく上下した。
「照れるといっつもそれ」
にはそんな総悟の態度もお見通しで、これっぽっちも通用しない。言われればさらに照れくさくなってしまう総悟は、引いてやる手を離してやろうかとも思ったが、のぬくもりはその考えをあっさりと溶かしてしまった。そんな総悟の葛藤を知ってか知らずか、がしばらく笑って上下にゆすってくる手の動きはだんだんに大きくなり、しまいには「総ちゃーん」、と呼んでくる。まるで甘えるように、優しい声。
「なんだよ」
「総ちゃん、ずーっと一緒にいようねえ」
酔っ払ったはいつもよりもふわふわしていて、なのにその言葉はまっすぐ総悟の一番奥まで届いた。なにいきなりそんなこと言ってんだとか、どうせ明日になったら憶えてないくせにとか、いろいろ思うことはあったけれど、それよりなにより、言われなくても、という気持ちが強かった。
それに、そんなの、まるで。
「・・・うるっせェや、酔っ払い」
「あ〜〜〜、ひどいなあ」
それでもぎゅうと強くなる手の力に、はもっと笑顔を浮かべた。
手を繋ぐ
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(ソノエ/2009.3.6)