「風邪ってマジですかィ」
断りもなく部屋の障子を開け顔を出した上司の姿に、布団に伏せっていたは慌てて起き上がった。急に動いたせいか咳が出たのに、相手は目を丸くして「マジっぽいなァ」とつぶやいた。
だるい身体を引きずり土方のところへ体調不良を訴えに行ったのは、ほんの十数分前のことだ。それは本来ならば真っ先に伝えるべき一番隊隊長の姿が見当たらなかったからなのだけれど、こうもすぐに聞きつけてやってくるとは、さっき探し回った5分間を返せ、と思う。
その総悟は起き上がろうとするを制すると、布団の傍らに座り込んだ。寝たままでその顔を見上げることになったは当然ながら落ち着かない。仕事をサボって寝ている総悟を見下ろしたことはあっても、自分が寝ているところを見られたことはない、のだ。
「熱は?」
「あ、ええと、すこしだけ。でも本当にすこしです。大したことありません」
「青白い顔してたって、土方さんが」
「・・・さっきは、ええ・・・まあ」
あなたをさんざん探し回っていたからです。
なんてことは言えるわけがないので思うにとどめ、あいまいに言葉を濁した。総悟は腑に落ちない表情をみせたが珍しくそれ以上の追及をせず、それを不思議に思うがぼう、と目を見続けていると、ふい、と、視線をそらせ、不自然に壁のほうに目を向けたままで口を開く。
「・・・休みの許可はもらったんだろィ?」
「はい。来週には大きな警備も入ってますし、下手に長引かせるよりはいいだろう、って。・・・すみません、今日の見廻り」
「あ〜、それは適当にやらしとくから問題ねェけど。・・・」
そこでちらりとと目線をあわせ、またすぐにそらす総悟の様子はやっぱりいつもと違う。普段のならば彼の部下として、もうすこし察してやることもできたかもしれないが、あいにくと今の彼女の頭は多少なりとも熱に浮かされていた。
それにきっと本調子だったところで、総悟の全部を知ることもできないだろう。彼の部下になってだいぶ経つが、いつもどこか分からない。傍に置いてくれていると思えば急に機嫌が悪くなってふらりとどこかへ行ったり、なら近寄らないようにしようとすれば「どこ行ってたんでィ」だとか言いながら向こうから小突いてくる。お前なんかもう真選組やめちまえと言われたこともあるけれど、居たいんなら居ればいいと言われたこともあって、触ってみたいなと思えば逃げられ、触らないで欲しいと思うときに限って
「熱ィ、・・・のかな?」
ぴたりと手のひらを額に当ててくる。ただでさえ上がっている体温はそれだけでさらに上昇してしまい、駆け出し始める心臓の鼓動が、額から彼の手のひらに伝わってしまうんじゃないかと心配になるくらいだった。
ずるいな、隊長は。
気づいてるのかな、隊長の一言とか、動作とか、そういうのだけで簡単に嬉しくなったり切なくなったりすることを。それでもちょうどいい総悟の体温の気持ちよさに目を細めながら、こちらを見ている瞳を眺めた。いつもいじわるするのにな、こういうときだけちょっぴり優しいんだもんな。こういうとき、といったって、総悟の前で病気をするのなんて今までなかったことだけれども。
「やっぱ熱、あんじゃねェ?もっぺん測りなせェ、体温計どこでィ」
たまに軽くなぜるように動かされていた額の上の手は、その言葉をきっかけにするりと横にずれた。指先がのこめかみのあたりにまで到達したときに、ぬくもりが消えていくのに思わず「あ、」と声を上げてしまう。ぴたり、と手の動きが止まった。
「・・・何」
「あ・・・すみません、隊長の手、気持ちよかったから。・・・離れるの嫌だなと、思って」
「・・・・・」
こめかみのところで総悟の指がぴくりと揺れたのが分かった。しばらくそのままで動かなくなったが、やがてはあ、とため息がもれる。いささか乱暴に、再び額の上に手が置かれた。すこしの痛みと共にぬくもりが戻ってくる。
「痛た、」
「お前ェが変なこと言うからだろィ、体温計っつってんだろうが」
「・・・あれ、隊長・・・顔ちょっと、赤くないですか?」
の言葉に総悟は目を丸くし、べちん。置いた手で額をはたかれた。「いたい!」今度は本気で声を上げて、非難の意を込め総悟を見上げる。なんで。思ったことを言っただけなのに。の視線に、それを見下ろす総悟は不機嫌そうに頭を揺さぶってきた。ぼんやりする頭がぐらぐらして気持ちが悪い。
「なんでィ何が言いたいっつーんでさァこの風邪っぴきが、」
「だ・・・だから隊長に・・・わたしの風邪・・・うつった・・・のかと・・・うう」
「・・・ああ、なんだ」
そっちか。に意味は分からなかったがぼそりとつぶやくと総悟は頭を揺さぶっていた手の動きを止め、「そりゃ、アレだ、気のせいでィ」なんて言いながらゆるゆると額のあたりをなで始めた。さっきはたいてきたのと同じ手とは思えない、それはまるで、親に頭を撫でられているみたいに温かい。不機嫌にしかめられていた顔はすっかり元に戻り、まだ納得しかねた様子のと目が合うと、その口元をゆるめた。
「俺はみたいにヤワじゃねえんで。そんなこと気にしなくていいからさっさと治しなせェ」
いつもよりずっとやわらかい声音も耳に心地よく、総悟のすべてがをひどく安心させた。春の陽気が部屋の中にも溶け込んでいるようで、まるで夢の中にいるような状況に、だんだんとまぶたが重たくなってくる。なんとか「は、い、」とだけ返事をすると、の眠気に気が付いたらしい総悟がわずかに苦笑した。
「寝りゃァすぐ治りやすぜ」
「・・・で、も・・・寝・・ら、隊長、仕事・・・行っちゃ・・・」
「は?」
「せ・・・かく、たいちょ、今日、優し・・・のに」
夢の世界に引きずり込まれそうな意識をかろうじて保ちながら言い総悟を見ると、やっぱりその頬が赤くなったような気がした。でもさっき気のせいって言われたばっかりだしなあ、眠気と闘いながらそう考えていれば、また総悟が小さくため息をつく。ついでに一度舌打ちまでして、す、との額の上から手を引いたかと思うと、背後の障子を振り返り、そちらを見ながら立ち上がった。
「、あ」
が引きとめる間もなく、総悟は障子へと近寄っていく。「たいちょう、」なぜだか泣きたいような気持ちになって相手を呼んだ。
本来ならばは今日も平常通りの業務内容だったわけで、それは総悟もまた然りである。彼はおそらく土方からの具合を聞き、様子を見るついでに見舞いに立ち寄っただけで、すぐにでも仕事を始めなければならないはずだ。それはたとえ今のが熱に浮かされていようが、考える間もなく分かることで、そして何かとさぼりがちな彼が仕事をしようとするのを決してじゃましてはならない、というのは、一番隊隊士の間では暗黙の了解なのだった。
だから、よく分かっている。これ以上総悟を引きとめてしまうのは、部下として失格なのだということも。
それでも風邪のせいなのかひどく人恋しくて、他の誰でもない総悟にそばにいてもらいたかった。気まぐれな彼がこうしてなでてくるのも、眼差しも体温も全部が優しいのは今までになかったことで、それを一秒でもいいから長く感じていたいと思うのはたぶん、仕方のないことなのだ。
布団の中から手をのばしても、もう総悟の裾には届かなかった。「隊長」すこし強めに呼べばようやく振り返った総悟が、のばされた手と情けないの表情を見、あきれたように、なだめるように、小さく笑った。
「ちょっと待ってろィ」
それだけ言うと、障子を開ける。まぶしさに目を細めるの耳に、総悟の声が流れてきた。
「おう山崎さっきからそこで何してんでさァ、盗み聞きとは良い度胸じゃねェか」
「ええっ、ちがっ、俺はたまたま、や、その、そうです、の具合が悪いって聞いて薬を!」
「なんでィ気が利くなァ。じゃあそれ置いて土方さんに伝えて来い、俺今日仕事休む」
「は!?」
廊下にいるらしい山崎同様、も驚きに目を丸くした。眠気が一瞬で吹き飛び、山崎の焦っている様子が見なくても充分に想像できる。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、もしかして沖田さんも具合悪いんですか?」
「まさか。コイツの看病してやろうかと思って」
「ええええ!だってもう他の隊士、出ちゃいましたよ!手の空いてるやつなら誰かいるはずだし、俺呼んで来ます」
「や、いいって」
障子に手をかけ廊下を覗き込むようにしていた総悟の視線が、一度ちらりとへと戻される。ぽかんとしている部下の顔を見て口元をゆるめると、再び廊下に目を向けた。
「が俺と離れたくないって聞かないんでさァ」
ぼんやりとしていた頭がクリアになって冷静さを取り戻しつつあったは、熱のせいでなく、その言葉で一気に顔を真っ赤にした。そう言われると確かに、確かにそんなようなことを言ってしまったような気がしなくもないけれども!障子の向こうで山崎がなにやら言っている声が聞こえるが、そんなことよりも今さらながらに自分の言動が恥ずかしくて仕方なく、思わず布団を頭の上までひっぱりあげた。一度冷静になってしまえばさっきまでの自分は恥以外の何物でもない。
やがて布団越しに障子が静かに閉じられる音と、傍らに誰かが座る気配がした。のろのろと布団を目元までさげると、当然ながら総悟だった。
「・・・あの・・・」
「粥もあるから、食ったら薬飲んで寝なせェ。・・・いつまで布団かぶってんだよ」
「う、だって・・・。・・・隊長、仕事・・・」
布団を顎の辺りまでさげながら聞くと、総悟は目を合わせ、にやと笑った。それにまた体温が上がる。
「俺が仕事行くから寝たくないって駄々こねたヤツの台詞とは思えねェや」
「だ・・・っ、さっきはその、ぼうっとしてたっていうか、ぼけっとしてたっていうか・・・!・・・す、すみませんでした」
「大体、お前が寝たからって、俺がさっさと仕事に行くほどやる気あるヤツに見えますかィ」
「・・・ええっと」
「そーゆーことでィ。ほら、早く食っちまえって」
言いながら、畳に置かれた盆の上の器を差し出すので、起き上がりそれを受け取った。山崎が作ってくれたのだろうか、あまり普段食べることのないお粥はおいしく、しばらく食べるのに無心になっていると、隣で不意に総悟がぽつりと言った。本当に小さかったその声は、普段だったら聞き逃していたかもしれなくて、けれどたった二人しかいないこの空間、の耳にもしっかりと届いた。
「あんま心配かけんじゃねェや」
ぴた、と手を止め総悟に目を向ける。すでにこちらを見ていない総悟と目が合うことはなかったが、その耳元がうっすらと赤いのに、そうか、とようやく思い当たった。わたしと同じですね。風邪をうつしてしまったわけじゃなくて、照れてたんですね、隊長。心配、してくれてるんですね。
「俺もここで昼寝するかァ」
ごまかすようにそうつぶやく総悟に、は口元がほころぶのを隠せなかった。伺うようにちらと見てきた総悟と今度は目が合い、それに微笑んでみせる。
「はい」
はやく元気になろう、と思った。
は じ め て
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(ソノエ/2009.1.29)