尾は口ほどに、物を言う
  相合楽楽、いついつまでも愛共に。




昼下がり、甘味処、対面席。テーブルの上、頬杖。緑色の炭酸水をストローでクルクルと掻き混ぜれば、角の取れた氷がグラスにぶつかりカランと小気味いい音を聞く。

「沖田さんと恋仲なんて羨ましいな」

ウットリとした顔つきで呟いた友人に「羨ましい?」と、そう首を捻る自分であったりする。

「そっかなー…、相手の娘が可哀相じゃない。魔手にかかっちゃったワケだし」

だいたいあんな男と係わって幸せになれるものか。意地悪で無愛想で、薄情な男だ。少なくとも自分にはそんな印象しかない男だ。"沖田総悟"、なんて如何にも整った顔立ちにぴったりのフルネームだが、"意地悪悪男"、とでも改名したらいい。そう思えるほどに、ヤツは意地悪の代名詞だ。そのうち辞書には"意地悪"という単語が消え"沖田総悟"と載る日がやって来てもおかしくないだろう。

咥えたストローでグラスの中身を吸い上げる。微かな刺激を飲み下すと同時に正面の友人を見遣る。その顔がウットリから怪訝なものに変わっている。「どうしたの?」口にはまだストローを咥えたままだ。だからそう、目で問い掛けた。

「相手の娘って…、何言ってんの?のコトでしょ」
「なっ!?」

思わず噴き出した。ストローを逆流した盛大な吐息がグラスの中、緑色の炭酸水を噴き上げる。鼻腔のツンとした痛みに顔を顰めた。「なにやってんの」差し出された懐紙を受け取る。濡れた鼻と口周りを拭いして、ゴホゴホと咽せこけた。
「大丈夫?」呆れとも心配とも受け取れる声で訊ねられれば、ウンウンと頷くだけをして返す。
ちなみにこの頷き、咽せこけるは大丈夫の意味だ。今聞かされた話に大丈夫と、冷静に受け止めましたと、そういう意味では決してない。だから咽せるさえ落ち着いてしまえばすかさずに問うた。

「てかちょ、あのさ。待って、今言ったコトだけど、ソレ何?何の話?」
「何って、と沖田さん付き合ってんでしょ?噂だよー、みんな知ってる」
「みんなって、わ、私知らないんだけど」
「アレ?だって沖田さんが言ってたの聞いたって人も居るよ」

今度は首を捻るどころの話じゃない。なにソレ?と聞き返すにも開いた口が閉じれなければ、もちろん喋れるはずがない。ただの間抜け面だ。「隠さなくてもいいよ」「ホント羨ましい」そんな私をよそにして喋るを再開した友人の顔はふたたびウットリとしたものに戻っている。
何言ってるの。羨ましいもなにもそれ以前の問題だ。
恋仲?何の話だ。恋仲とはそもそも二人の気持ちを通じ合わせてこそ成り立つものではないのか。
総悟が言っている?なんで。噂の片割れである私には何一つとて身に覚えがないというのに。どういうつもりだろう。
テーブルの端、新しい懐紙に手を伸ばす。口は何とか閉じられた。顰めた顔はそのままにまだ不快感の残る鼻をかむ。

「いや、それ誤解だよ。総悟と?あはは、とか笑えないー。手の悪い冗談だわ」

羨ましがられても嬉しくない。あんなのと噂になるなんて、むしろ残念賞だ。のし紙で包んで望む誰かに差し上げたいくらい、迷惑な話だ。

「そうなの?」
「そうだよっ!!」

語気強くそう言えば鼻汁に湿った懐紙をクシャリと丸めた。
自分の知らないところで何かが起きているのだと知れば、なんだか怖いような気がした。総悟が絡んでいるならなお更だ。いや、あの男が噂の出所で諸悪の根源に違いないだろう。意地悪を通り越して、これはいったいなんの嫌がらせだ。
ムキになり完全否定する私の必死の形相を見ても友人はあまり信じてはいないようだ。ふーんなんて呟いて、飲み物に口をつける。

「ねー、私より総悟のたてた噂を信じるの?友達甲斐なくない?」
「そういうわけじゃないって。けどほら、噂なんてなくても仲良く見えてたから自然とした流れでそうなってても別に可笑しくないかなって思ってたんだよ」
「ヤダよ!言葉なく気持ち通じ合ったと思ってたらなに?何も付き合ってたわけじゃないよね、なーんてうまくかわされたりとか?アレ?そうなの、勘違いっ!?とか?そういうはっきりしないのは絶対イヤなのっ」

そう、形にはならないものだ。目には見えないものだ。想いなんてそんなものだから。だからこそ口にしてもらわなければ、言葉にしてもらわなければ、わからない。信じていいのかわからない。周りがいくらあの二人はと思おうが思うまいが、そんなものは関係ない。場の雰囲気や噂に流されてなんてのは勘弁だ。

「そうかな?それは今までの相手が悪いんじゃない?」
「そうかもしれないけどさ、総悟だって同じだよ。所詮男だし」

丸めた懐紙をポイと抛る。店の戸が開く音がした。暖簾を潜り覗いた顔に、はっと口を噤む。向こうもこちらの存在に気づいたようで、目がかち合う。向こうのそれが細められた。瞬間ムッとして頬を膨らませる。私の視線を辿りした友人が呟く。
「噂をすればなんとやら」
本当に。偶然と言えどもよくもまあぬけ抜けと、こう人の前に顔を出せたものだ。

約束でもしてたの?そう言って立ち上がろうとする友人の動きを制す。約束?そんなわけがない。財布から千円札を一枚取り出してテーブルの上へと置く。「ホントに違うからっ」立ち上がりざま鋭く念押すをする。ズカズカと歩き出した背後に「バイバイ」と声がした。それには後ろ手を振る。店内に入ってきたばかりの噂の片割れの脇をツンと顎を上向けて通過する。横目で見遣る視界にその目がジッとこちらを向いているのを覚る。けれど、知ったことじゃあない。無視だ。

暖簾を潜り店外へ。歩き出した背後に「心中穏やかじゃなさそうで」なんて暢気な声が掛かる。追ってきたのか。
誰のせいよと心中で愚痴る。足を止めるはしない。「無視かィ」そんな呟きが直ぐ後ろからした。グイと頭に攣れた感覚が走る。一つに結わえた髪の房を引かれたのだ。やめてとは言わない。言葉にせずに頭を振るで抵抗をする。けれど向こうも引きはしない。何度も何度も引っ張られては堪らずに足を止めた。ククッと噛み殺した笑いが真後ろでした。勢いよく振り返る。パッと髪の房を掴んでいた手が離れた。玩ぶ対象を失くし手持ち無沙汰となった右手を下ろした総悟の顔を見遣る。

「どういうつもり?」

髪を引いたことへの咎めるはしない。なぜかはわからない。が、総悟はどうやらこれをするのがお気に入りのようだった。初めこそ、やめて離せと突っ掛かりはしたものだが、今ではもうそれをする気にもならない。会うたび会うたびされていればいつの間にか慣れてしまったのだ。そんなことよりも今咎めるはこちらの方が重要だ。

「なんでィ、いきなり」
「いきなりィ?なにすっ呆けちゃってんの?心当たり、ないとか言わせないから」

その胸を指を指す。トントンと何度か指先で突いた後、ググっと力をこめて捩じ込んでやる。なんかあったかね。なんてわざとがましく顔を上向けた総悟のぼやきを聞く。「白々しいっ」先ほど聞かされたばかりの噂の真相とやらをこの場で直ぐに問質してやりたい気持ちはあった。が、激しくいがみ合うは目に見えている。それを人の目溢れる往来でするのはちょっとばかし気がひけた。

「ちょっと来てっ」

見た目に暑苦しい黒の隊服を脱ぎ肩に掛け、捲り上げられた白いシャツ、むき出したその腕をガシと掴む。自分より頑丈とした体躯を引きずり歩き出す。ここならば。人目の少ない場所まで来ればあとは思う存分に責めるをするのみだと掴んだ腕を解放する。
「スゲー力」ボソリと呟かれた。「うるさいな」そう愚痴て、そんなことよかと涼しい顔の総悟に詰め寄るをする。

「聞かせて下さいな、総悟くん」
「だからなんでィ?」
「なんでィじゃないからっ。あのさ、私と総悟くんはー、恋仲でもなんでもありませんよねっ?」

「ねっ」と強くもう一度。今度は疑問符ではなく感嘆符を語尾に添える。下から睨みを利かせた私に、黙って総悟は背を屈めた。向き合う目線が一緒になって、囁くように呟かれた名前。顰める眉根。なによ?と聞くをする前に近づいてきた薄い唇。迫り詰め寄りをしていたのはこちらの方なのに、逆にとんでもないもので迫り来る総悟の胸を咄嗟に両手で押す。

「待った、ちょっと待っ…、なに考えてん、のっ!!」

隊服、胴着の胸に触れた手にこれでもかと渾身の力を籠めて押す。眼前まで迫っていた端正な顔立ちが僅かに遠退く。チッと舌打つ音がした。驚き、見開いた目で総悟を見遣る。今度はそちらの眉根が寄っている。

「な、なんなの?何がしたいの?」
「何って、せっ、」
「わぁぁぁあ!やっぱいいっ。お願い!接吻とか絶対言わないでっ!!」
「自分で言ってんじゃねーか」

両の口角が上がっている。この男、こちらの動揺っぷりを見て愉しんでいるに違いない。悔しさに歯噛みしつつも、間一髪で危機から逃れられたことに安堵する。こんな現場誰かに見られでもしたらそれこそ噂が噂じゃなくなってしまう。人の噂も七十五日どころか、百日も千日も、いや下手をすれば一生涯消えやしないかもしれない。そんなのは嫌だ。
後ろへと片足を退く。一歩、もう片足。総悟から安全だと思える場所までしっかりと距離をとる。

「変な噂に迷惑してんの、犯人は総悟でしょ?言っときますけど、私好きな人居るからね」
「知ってまさァ」
「だよねー、」

だよねー…って、そんなの嘘だ。ちょっと口から出まかせを言ったまでだ。好きな人なんか居ない。居たとしても総悟になんか話すわけがない。迷惑しているのは事実、けれど好きな人が居るは虚構。すなわち、総悟の知っているという回答は誤まりだ。

「適当なコト言わないでよ。そんな人居ないもん」
「なーに言ってんでィ、ちゃんと居まさァ」
「居ないよ!本人居ないって言ってんだから居ないんですー。自分のコトみたく言わないでっ」
「なんでィ、気づいてねーのか?それとも気づかねーフリしてんのか?」

何を言っているのか。怪訝な顔をする私をよそに総悟は抑揚なくポツリと呟いた。「あ、照れてんのか」と。
は?とこちらの怪訝の色は濃くなる一方だ。とんだ独り合点は止して欲しい。暫し顎に手をあてがい何かを思案する総悟の様子を窺う。その目がこちらを向けば逸らせずにびくと肩を揺らした。

「安心しなせェ、俺もが好きですぜィ」

"も"って、俺"も"ってなにソレ!?
呆気にとられて開いた口が塞がらないのはこの短時間に二度目のことだ。勘違いもいいところなんですケド。そう言ってやりたいのにやはり口も噂を聞かされた時同様に閉じれないのだ。言葉に出来るはずがない。

ザッと乾いた土の音がした。自分のもの?いや違う。コレは総悟があげたものだ。安全圏内へとせっかく避難したというのに。開いた距離が、ああ、また埋まっていく。こっち来るな。そう言ってやりたいのにやはり言えない。
先ほどされそうになった事への動揺もまだ残っていた。それに付け加えたった今言われた言葉が、要らない相乗効果を生み出した。動揺の針、その振れ幅は針が振り切れんばかりにより一層大きくなっている。
意味深に笑んだ総悟をジッと見てはジリと僅かに後ずさるをしてみる。が、残念なことに退路は塀で断たれた。目の前へとやって来た総悟のふたたび近づいてきたその顔に焦れば、慌ててまた胴着の胸に手を伸ばす。だが、上着を手にしていないもう一方の手であえなくパシと手首は掴まれる。片手だというのに強い圧だ。押し退けるは阻まれた。

「ダメダメ!ダメだって、ほんっと止めて、っか総悟勘違い!」
「照れるこたァねーって。それにダメッつわれたら余計にしたくなるもんでィ」
「照れてないっ!本気でイヤなの!って、イヤーちょ、ちょぉぉおっとおー…もうじゃいいよ。いいよいいよ!」
「了解、んじゃ遠慮なく」
「なっ、何言ってんの!ちょ、嘘つきっ」

顎をグッと引けば唇を内側に仕舞う。死守せねば。首を竦め、俯きしては全身を強張らせる。上目で見遣る総悟の顔、その目が私から上方へと向けられる。
「あ!あんなところに土方がっ」
そんなまさか。とは思っても反射的に顔を総悟の視線の先へと向けてしまった自分にしくじったと思ったその瞬間に。がっかりとしたその瞬間に。一寸の触れ合わせ。
ああ、なんだってこんな子供騙しに引っかかってしまうかな。とことん自分が情けない。
至近距離、身長差から目の前には上がった口角。笑い事じゃないだろう。
緩んだ手首の圧に総悟の手を振り解くをすれば強く胸を押し退けた。目一杯怒りに満ちた目で睨めつける。「詐欺師」そう吐き捨てて総悟の脇を通り過ぎる。

「待てやィ、なに怒ってんでさァ。自覚がねーから教えてやったまでだろ」
「なに自覚って?つか最低。勘違いだって言ってんでしょ。だいたい総悟のことなんか好きじゃないし」
「なんでィ。物分かり悪ィな。は疾うに前から俺のモンでさァ」
「誰がよっ!って、もうさ、女はみんな自分を好きだとか思ってるクチでしょ?わー、馬っ鹿じゃないの。ヤダヤダ最低だ、他はどうだか知らないけどね、私は違いますからねっ!!」

真後ろに靴音。段々と歩む速度を速め、問われたことには簡潔に答える。「どこ行くんでィ」「関係ないでしょ」こんな感じに。
追われるというのはあまりいい気がしない。焦燥だけが募る。「ついて来ないでよ!」早歩きが段々と小走りに変わり、そのあとは勢いよく駆け出した。というよりは逃げ出したが正解だ。






ダダダっと階段を駆け上がる。お邪魔しますの言葉もなく無遠慮に戸を引けば草履を脱ぎ散らかして室内に上がりこむ。廊下をやはり足音高々と駆けて進めば辿り着いた居間、デスクの椅子に腰掛けていた銀さんが読んでいた週刊少年誌から顔をあげた。
「助けてっ!」
側に行くと追っ手から身を匿ってもらおうとその背中側にまわる。事態が飲み込めずに「何々?」を繰り返す銀さんの両肩に縋りついた。それから、居間の入り口を恐る恐る見つめる。

「何コレ?何なワケ?ココぁガキの避難所じゃねーんですケドッ!」
「だって!」

首を捻り背後に居る私を見遣った銀さんの眉は面倒そうに攣りあがり、その口許は引き攣れている。事を説明しようと口を開きかけたその時、五感にとどまらず自分のすべてが敵を察知する。
「来たっ!」
足音なんて聞こえない。けれど間違いない、ヤツが来た。それを裏付けるかのように廊下の向こう、玄関引き戸が開く音がした。キュッと首を竦める私を見て銀さんは居間の入り口へと顔を向ける。何も言わずに"やって来た者"が廊下を踏む音はひっそりとした静かなもの。まるで何事もなかったかのように落ち着き払ったそれに、どうなのよ?このストーカーが。そう怒鳴りつけてやりたい衝動にかられる。
「邪魔しやすぜィ」
室内に顔を覗かせた総悟を見て留め、銀さんはお腹の底から深く、深く息を吐き出した。「おう」とやる気も歓迎の色もない声をあげたあと、軽く手を上げる。
あれから今の今まで、逃げる私への追走を総悟はやめやしなかった。

銀さんの背に縋り肩越しに僅かに顔を覗かせる。総悟に部屋のあちこちを見回す素振りはない。自分の"探し者"がどこに居るかは分かっているようだ。頭隠して尻隠さずな状態であるのは自分でもよく解っている。だとしたら当たり前に、総悟がそれを見逃す筈が無い。
目が合いそうになれば素早く銀さんの背にまた顔を埋める。床板を踏む音がする。それは廊下からしたものと同じ、相変わらず落ち着いたもの。自分の真側まで来てそれはピタと止まり、代わりに「おい」と声がする。縋る手に力が籠もる。暑さからではない、冷や汗が掌に滲んだ。その呼びかけは無視をする。だが次に語気強く「」と名を呼ばれれば、その鋭さにビクと肩が跳ねた。
「そ、そんな人居ないアルッ」
ここには居ない神楽ちゃんの口調を真似る。銀さんの肩が小刻みに震えた。馬鹿にしてる。笑ってないで助けてよ。心中でそう叫ぶ。
そっと銀さんの背中から顔をあげた。そうして上目で敵を見遣れば直ぐに目が合った。ひゃっと首を亀のように竦めればまた縋りついたままの広い背に顔を埋めた。

「なにしてんでィ」
「なにって、銀さんのスタンド」

即答した声はくぐもる。銀さんの小刻みだった震えは肩だけにとどまらず顔を埋めた背中までにもおよんだ。

「だ、そうですがダンナ。コイツァホントにダンナのスタンドで間違いねーですかィ?」
「いやいや、俺ァ知らねーよ。こんな先祖心当たりもねーって」

ヒドイ。そう叫んだ。やはり心の中でだけ。ぐっと着物の襟を後ろから引かれる。どんなに縋る手に力を籠めてもあっけなく銀さんの背から引き剥がされた。逃げようともがく。「除霊完了」総悟はただ一言、そう呟いた。
つき物が取れたと謂わんばかりに銀さんが大きく肩を回した。

「すいやせんね、ダンナ」
「ホントだぜェ、沖田くん。俺ァスタンドはもう懲り懲りなんだって。しっかり手前の背中に背負っといてくんねーと」
「いやマジすいやせん。今度は鎖で括りつけとくんで」

鎖?なにソレ、絶対嫌だ!摘まれたままで総悟を睨めつける。何度体を揺すっても逃れることを総悟は許してはくれない。その顔は涼しげな表情をしているのに、実際襟を掴む手力は結構なものだ。物言いたげな目を向ける私に総悟はスッと下目使い。まるで文句があるのは自分だと謂わんばかりの目だ。

「待ってよ!なにその目ッ!!」

返事はない。ただジッと見下ろされたままだ。目つきも変わらない。「銀さんっ」今度はそう声を荒げた。懇願の域だ。形相は壮絶で、必死だ。銀さんは総悟から私へと視線を移す。「あんだよ?」こちらも総悟の目つき同様に先程から変わらないやる気のない気だるげな調子で訊ねてくる。

「銀さん助けてっ!!私総悟のスタンドじゃないからっ!銀さんのスタンドになりたい派所属だからっ!!」
「だーかーらァ、俺ァもうスタンドは懲り懲りだっつってんだろ」
「じゃあスタンドじゃなくていーからッ!お父さんっ!お父さんでいいっ!!私お父さんの背中大好きだからっ!!」
「よーしおいで高い高いしてあげようっておまっ、何言ってんの!テメェの歳と俺の歳、勘定してみ?オカシイだろ?可笑しいよねっ!?だいたい俺のはそん頃まだかーわいいポークビッツだぜ、ガキなんかこさえられるワケねーだろ」

そんなのは分かっている。物のたとえに決まっているじゃないか。「じゃあ今はなんなのよ?」そう食い下がれば「フランクフルトがモジャっとした感じ」なんて得意げな声が返ってくる。なにを思ったか銀さんは丈を測るように親指と人差し指を広げる。「もうちょっとあっか?」なんて首を捻りだす。そんなのどうでもいいのに。今は銀さんのサイズ云々よりも総悟から自分を助けて欲しいのだ。
「銀さんっ!」
窘める声音で呼べば広げた指をぐっと面前に向けられた。「こんくれェな」まだそんな事を考えていたのか。渋い顔して何言ってんのよ。そう思う。盛大な溜め息を吐こうとすれば私の襟首を掴んで離さない総悟が今度は口を割り入れた。

「あ、俺の勝ちでさァ」
「マジでかっ!?なに?沖田くんそんなデカいの!?」

ああ、もう。こんな話どうでもいいんですけど。摘まれたまま項垂れて、吐き損ねた溜め息を今度こそ吐いた。長い長い、溜め息だ。
見栄を張るな、見栄じゃないの言葉の攻防を暫くそんな状態で聞いていた。が、だんだんと苛々してくる。いや、もとから苛々していたのだから、勢いだけが増したといった感じだ。
大きく大きく、強く体を揺する。結わえた髪が左右に大きく揺れる。その毛先が頬にチクチクとあたる。摘み上げられた状態から逃れるは成功した。外れた枷。勢いあまりよろめいて、足を踏ん張る。背後へと振り返れば総悟を睨みつけた。銀さんへも同じようにして鋭い目を向ける。が、それでもどうだろう。二人ときたらそんな私は無視だ。見せますかィ?見たかねェ。そんな問答に夢中だ。
助けを請うて来た自分。追って来た総悟。事態のまったく飲み込めていない銀さん。何をしているんだろう。そんなことを思えば今度もまた深く息を吐いた。馬鹿馬鹿しい。今のうちに帰ろう。
こそりと一歩を踏み出す。が、直ぐに銀さんに名前を呼ばれてはそれ以上進むを止めた。

「ようし、そこまで言うならよ、だったらに聞こうじゃねーか」
「なんで私っ!?」
「なんでってお前ェよォ、知ってんだろ?見たことくれェあんだろ?つか会うたび会うたび見てんだろ?若ェーんだから」
「はあ!?な、なにをっ?」
「なにって、沖田のナ…」

小指で耳の穴を弄りして引き抜く。その先にフッと息を吹きかけながら椅子にだらしなく背をあずけた銀さんの口に向かい咄嗟に手を伸ばす。身を乗り出し、椅子に座る銀さんに覆いかぶさるようにしてそれ以上の言葉を続けさせないようにと掌で開いた口を塞ぐ。うぐと息を詰まらせた銀さんは一寸だけ目を丸くし、けれど直ぐにこちらにもの言いたげな目を向けた。"何すんだよ"多分、こんな類の言葉を言いたいに違いない。だが物言いをつけたいのはこちらの方だ。なんで私が総悟のそんなものを見たことがなければならないのか。あるわけないだろう。先ほど自分のうかつさに唇を触れ合わせたばかりだ。それ以上なんてあるわけない。そもそも自分達は特別な関係でもなんでもないのだ。

「ないから」

低く、低く、よく言って聞かせるようにして呟く。続けて凄みを利かせた目で「わかりましたか?」と問う。白銀色のふわりとした髪が何度か小さく縦に揺れた。「よろしい」銀さんの吐息に湿った掌を引き剥がす。覆いかぶさるようにしていた状態を起こしあげれば、すかさず結わえた髪が引かれる。結構な強い引きに「痛っ」と目を瞑る。後ろへと顔を振り向けた。

「さっさと離れなせェ」

不機嫌な総悟の顔を見て留める。離れなせェ。なんて言っておきながらこちらが自ら離れるをする前に髪だけにとどまらず腕まで引いているではないか。トンと背中に総悟の胸があたる。髪は解かれたが腕は掴まれたままだ。離す気配は一向に感じられない。なんだってこんなに執着されなくてはならないのか。
「ちょっと離してよっ」その手を振り払いながら顔を顰める。同じく顔を顰めた銀さんがそんな総悟と私とを交互に見遣りして口を開いた。

「お前等なに、そういう関係じゃねェの?」

俺ァてっきりそうなのかと思ってたんだがねェ。
ああ、銀さんの耳にまで総悟の流した噂が届いてしまっているのか。だとしたらもう、知り合いのみならず道行く人皆の耳にも届いてしまっているのだろう。勘違いされているのだろう。

「その通りですぜ、ダンナ」

違うと否定しようと開いた口、けれど総悟の方が先に声を発する。「なんでよっ!」そう息巻いて、直ぐに銀さんへ、違うと、それは総悟が流した悪い噂なのだと訴える。「噂?」そう銀さんが呟いて怪訝な顔をした。大きく頷いた。けれどまた、先刻聞かされたあの言葉が総悟の口から語られれば、どうしようもないやりきれなさに泣きたくなった。

「何でも何もありゃしねェ。好いてるもん同士、だとすりゃは俺のモン。俺のモンっつったら俺のモンなんでィ」
「もー…なにソレ子供っ?駄々っ子ですかっ!?てかいつ?いつからっ?私が誰の何だって?勘違いだって言ってんじゃないっ!!」
「しつけーな。は俺のモンだっつってんでィ」

さも当然といったように返ってきた言葉に開いた口が塞がらない。今日三度目だ。いい加減顎が外れてしまうんじゃないか。それだけ盛大に口が開いている。ここまで言われてしまえば洗脳の域だ。まるで間違っているのは自分なのかといった錯覚に陥りそうになる。が、意思はしっかりと持たねば。こんなありもしないものに呑まれてしまってはいけない。そう、これは錯覚だ。何かとんでもない誤解が総悟と私との間に生じているのだ。解かなければ。一刻も早く解かなければ。
二人ではかみ合わずな話もきっと第三者、銀さんが介入してくれることによって、うまく解決するに違いない。それにここは幸いにも万事屋だ。解決したのちにはお金さえ払えばきっと銀さんが総悟の流したありもしない噂を否定してくれるに違いない。好機は今しかない。

「違うっ、絶対違うもんっ!ちょ、銀さんお願いっ!!何とかしてよォ…」

訴えるをする目は本気で涙目だ。助けを請う必死の声を聞けば、総悟はギロリと私を見下ろした。違うものを違うと言って何が悪いのか。全然悪くなんてないでしょう。
訴えるは最早総悟にではない、銀さんのみだ。藁にも縋る思い。普段はぐうたら、けれどいざという時、銀さんはとても心強い存在になってくれるのは、よく知っている。
勢いよく総悟の側を離れして、銀さんの着流しの胸を掴めば縋りつく。完全にそこへと顔を埋めれば「助けて」の連呼だ。「私総悟のモノじゃないよ」「誰のモノでもないよ」布地にくぐもる声はぐずぐずともちろん涙声だ。「だとよォ、沖田くん」大きな嘆息混じりに、そんな声が頭上でした。

「いやいやダンナ、ソイツぁ俺んでさァ。さっさと返してくだせェ」
「俺んだって、はそうは思ってねーみてェだけど?」
「すいやせんねダンナ。あとは俺らのコトなんで口出しは無用でさァ」

離してくだせェ。
低い呟きだ。踏み出しただけだろうにダンと強く床板が鳴ったのに驚けば思わずビクリと体が振れた。それを覚った銀さんが強く私の体に両の腕を回す。あとで報酬額をどれくらいせびられるのだろうとは思ったがこの際、そんなのはどうでもいい。私を総悟から救って!それだけの思いに必死だ。ぎゅっと銀さんの背に廻した腕、両の掌で強く強く着物を掴む。ギュッと目を瞑る。既に真後に総悟の気配を感じたからだ。高い足音が止めば、室内はシンと静まり返った。先ほどとは違い、今度は総悟の冷静な声音を聞く。

「ソイツの髪、ダンナいっつも見てやすかィ?」
の髪?髪って、コイツか?」

いや、見ちゃいねーよ。
顔を埋めている為よくは解らない。が、総悟の言う髪はきっと私がいつも結わえているその一房を、総悟がいつも触れるをするそれを指しているのだろう。そん なふうに思ったのが間違いじゃないと気づくのに時間は要らない。頭皮に攣ったような感覚を覚えているのだから。
銀さんの体温と自分の吐息で籠もる熱に火照る顔を上げることができぬまま、黙って二人のやり取りに聞き耳を立てる。

「知ってますかィ。のコイツァ俺と居るといっつも楽しそうに揺れんでさァ」

へー、と銀さんが間延びした声をあげる。寄せた頬、縋った胸を伝わり直に響いてくる声の振動はちょっと笑いを含んでいるような、そんなものだ。総悟はどうやら摘み上げた髪の房で遊んでいるようだ。普通は垂れた髪、その毛先が今は項にあたらない。頭が軽い。
いつものように引っ張るをされるわけではないので、別に嫌な気はしない。だから振り払うはしない。

「目ェ逸らしたり、顔背けたりするワリにはよーく振れんでさァ。口は素直じゃねーし、まったく可愛げねェんだがね。マジで千切れちまうって程よく振れんでね、この尾っぽ。自覚あんのかと思ったんですがそうでもなかったみてェで。仕方ねーからどっかのヤロウの前でソイツをしょぼくれさせちまう前に俺が飼い主だって江戸中に吹聴して歩いたんでさァ」

そんな理由で?また自己解釈極まりない。たかだか結わえた髪が揺れる振れるだの、それだけで私が総悟を好きだという証明になると思っているあたり勝手すぎやしなだろうか。しかも、一言どころか二言も三言も余計だ。
思わず埋めたままの顔、その頬を膨らませる。クスと頭上に銀さんの吐息が降ってくる。

「沖田くんはに本気で惚れてるわけだ」
「惚れてるもなにもダンナに言うコトじゃねェんでね」
「ま、確かにな」
「分かったらダンナ、さっさとソイツを返してくだせェ」

喧嘩するほど仲がいいってな。「はいよ」のあとに銀さんはそんなことを呟いた。そうして私の体に廻していた腕を解く。匿うはもうお終いだと謂わんばかりの行動だ。それでも私は銀さんに廻した腕を放せずだ。

よォ、沖田の話聞いてたんだろ?」

胸にうずめたままの顔、頭をただコクコクと二度ほど縦に振る。だったらと無理矢理にでも引き剥がされては銀さんの顔を見据えるしかない。「教えてくれよ」鼻で笑いつつそう言われては「なにが?」と素直に訊ねるも「ナニのサイズ」と続けて言われ、即行で赤面する。

「や、ヤダよそんなのっ!てかなに?既に私が総悟を好きですみたいな雰囲気、耐えられないんですけどっ!!」

確かめずとも銀さんは私が総悟のものになるは確実だと踏んでいるようで。でもそれは納得がいかなくて。だって、それはオカシイでしょう。ちょっと待って欲しい。総悟の言い分だけを聞いて、何故にこちらの言い分は聞かずにこんな結論に達してしまっているのか。腑に落ちなさすぎる。
結わえた髪が揺れる。そんなのは歩いてれば当たり前に揺れるだろうし、振れるだろう。誰と話していたって、今こうして銀さんと向き合っている最中にだって揺れているだろう。そんなものだろう。もし総悟の言うとおり、これが私の感情の指標になるものだと。だとしたって…。

「楽しいと好きは違うでしょ」

楽しいは楽しい。こんなに気兼ねせずなんでも言える相手なんてなかなかに居ない。それにいいところだけでなく悪いところも見える。それで言い合うもする。けれど、二、三日もすればけろっとして元通りだ。楽しいというより一緒に居て楽な相手だ。私にとって総悟とはそういう存在だ。それだけの存在だ。

「ドキドキってさ、総悟には、しない…」

声は小さめ、尻切れて、語尾は濁る。銀さんにそそがれる細目、その視線が痛い。
一緒に居て、側に居て、胸高鳴るが恋でしょう。切なくて、苦しくて。泣けちゃって。きっとそれが恋でしょう。好きという想いでしょう。

「楽しいよ、総悟と一緒に居ると楽しいよ、けど…」

楽しいかどうかなんて、きっと二の次だって思うんだ。多少話が合わないことも、同じものを見て同じく笑えなくても、それでも好きだから、好きなら、考えや価値観の相違に違和を感じても、それは仕方のないことだろう。そう、仕方のないことだ…って。それでも胸高鳴るならば、それが本当の"好き"という気持ちなんだろうと、思うんだ。

ゆっくりと総悟へと顔を振り向ければ、漸くつままれていた髪の房が手放されて、ふぁさと項に触れる毛先。その目を見据えては話すを続けられない自分がいる。

「何でも言えるよ、総悟には。気兼ねしないし、楽。楽だけど…」

でも、いつかはそんな背伸びした恋につま先が震えだす日がやってくる。限界を感じる日がやってくる。必死な自分、好きだからの理由だけで、良かれとやっていることが、合わせられた相手にしたら面白くもなんともなくて。思い通じして一緒に居れたとしても、やっぱり好きだから、好きなんだから、とすべてをすべて許し続けて、我慢する毎日を過ごしていく日々。楽ではない日々。わかっている。それが楽しいか楽しくないかなんてわかっている。それが恋なのだとしても、全然楽しくないのなんか分かっている。けれど好きという想いは、自分が知る、皆の話によく聞きしてきた恋とは、胸高鳴りし、切なくて、苦しくて。その人の一言に涙して。そうでしかないから。だから…。

「ドキドキ一丁っ!沖田くん」
「そんなんいつだってやれまさァ」
「い、要らないって。てか総悟相手じゃドキドキじゃなくてハラハラみたいな感じにしかなんないし。それか苛々」

小さな吐息を総悟が吐き出す。続けて銀さんも同じようにして吐息をついた。二人を交互に見遣り、私は口を噤む。その溜め息に自分も便乗していいものかと、悩む。が、「ドキドキってのはなんでィ?」総悟のそんな言葉にそれをするのは許されない。

「胸高鳴るだけが恋だと限りゃしねェ。いい加減、気づけやィ」

馬鹿にされたような強気な言葉にムッとする。まあ、確かにそうなのだけど。もし、私が総悟を好きだとして、それを肯定したとして。でも、友達だからうまくいってるんだってコト、あるじゃない。素直じゃない私と、総悟と。お互いきちんとそうした意味で向き合ってしまったら、今までどおり楽しくて、楽で、うまくいくなんて保障、どこにもないじゃない。束縛だ、醜い嫉妬だ。今まで見えていてもさして気にも留めなかった嫌なところ、それだけじゃない、良い所までもがきっと、私だけのものじゃないことに苛とするんだ。そんなのイヤだ。だったら今までどおりの方がいいじゃない。総悟を、失いたくない存在であるのはたしかなのだから。

「なんだちゃんよォ、お前ェ結構臆病なのか?」
「臆病?」
「そう、臆病者。沖田と真正面から向き合うのが怖ェんだろ?だよなぁ、無駄に男前だもんな。新八とは比べ物にもなんねェってくれェ男前だもんな。永遠に自分だけだなんざ信じられやしねーんだろ?」
「そういう話じゃないし、てか新八くん優しいじゃん!私好きだよ!!」
「そう、ぱっつぁんは沖田と違って優しいわな。優しいんだわ。けどよ、じゃあお前ェ、新八に女ができたらどう思うよ?」

投げやりな態度。軽口を叩くように銀さんが問う。私に問う。その設問は容易に答えが出せるものだと言う。もちろん私も即答だ。

「よかったなって、幸せになってねって、そう思うよ」
「だろ?」

銀さんは言う。続けて言う。ならば総悟が他の誰かのものになったらどう思う?と、そう問うてくる。妬かねーか?胸苦しくならねーか?そう立て続けに問うてくる。そんなこと無い。同じだよ。と、そう思う反面、今度は容易に答えを口に出せない自分が居る。
総悟の視線を感じる。その方を見遣る。
この人が、この人がもし、自分以外の女を隣にして歩いている姿を見たら。この人が、もし自分以外の名を呼び捨てにしているのを聞いてしまったら。愛しげに呼ぶ声を聞いてしまったら。いつものように話をしている最中、鳴る携帯。私より優先するべき相手の元へと向うその背を見て、その手が、自分以外の髪に触れる瞬間、その腕が、自分以外の女を抱きしめるのを見てしまったら。そしたら…。

「そ、そんなの決まってる…」

総悟には何だって言える。遠慮なしに何だって。自分の今までの想い人にはなかなかに言えなかったことも、言っても眉を顰められてしまえば、「そんなことないよねぇ」と、本心なんか打ち砕くをしてしまっていたことも、何だって言える。ここまで気心を曝せる人がこの先自分の人生で現れるだろうか。考えろ。いや、なかなかに会えやしないだろう。なかなか?違う。もう二度と会えやしないかもしれない。
胸高鳴らずとも恋。そんなものが本当にあるのだとしたら、それは…。

銀さんが促がす。「何が決まってんの?」と、「言ってみ?」と。投げやりな態度ではなく、意外に真摯な目を私に向けて、そう先を促がす。総悟へと振り返る。その目を見据える。いつもの意地悪い笑みはそこにはない。

「そんなの…」

ああ、この目に自分が映らなくなる日が来たら、この人が自分の側に、隣に、存在しなくなる日が来たら。私に背を向け先を行く日が来たら。そんな日が来たら、私は。きっと、きっと。

「イヤ…、かな」

銀さんに縋りしていた手をようやっと離せば、身形を整え体勢ごと総悟へと向き直る。そっと手を伸ばす。すかさずに伸びてきた自分よりも大きな手、無骨な指。感じる、伝わる、温かな熱。キュッと握られた瞬間に、自分の胸もキュっと鳴る。
ときめかずとも恋。違うな。私はちゃんと、この人に、総悟に。…恋を、してるのかもしれない。

あーあ、なんて伸びをしながら銀さんが椅子の背もたれに深く体重を預けた。

「スタンド?ペットの間違いだろ沖田くんよォ。背負うじゃなくてしっかりリードで繋いどけよ」
「言われなくてもわかってまさァ」

真顔で返した総悟の顔を見遣る。口許がほころんでいるじゃないか。意外にカワイイところもあるじゃないか。なんてことを思ったけれど、だけど、そこはあえてツッコまないでおこう。

「世話になりやした」

銀さんにそう告げた総悟に差し出した手は握られたまま。行くと促がされれば急に歩き出したそれについていけずにつま先からつんのめる。ドンと鼻がその背にぶつかる。「いだっ」咄嗟に口から飛び出た声。足を止め振り返りした総悟は言う。珍しくも言う。「大丈夫か?」と。いつもならこの場合「なにやってんでィ」が普通なのだ。調子が狂うな。でも、どことなく嬉しくて。「大丈夫」そう頷きして答えた。けれど直ぐにムッとする。結局はそれかと、返ってきた言葉を聞いて思う。

「語尾はワンだろ」
「なにソレ?いったい何様のつもりよっ」

詰め寄るをすれば、数時間前の既視感。背を屈めた総悟は確信犯。ここがどこで、誰が居るかも分かっていながら近づいてくる顔、寄せられたその唇を「ちょっと待って!」とまた拒む。「なんでィ」眼前と迫った唇がツイと尖ったのを見れば、当たり前でしょとごちるをする。親しき仲にも礼儀あり。行きは忘れた挨拶も、帰りはきちんと忘れずに。

「じゃ、じゃあ銀さん、お邪魔しましたっ」

向けた視線。デスクの椅子は後ろ向き。軽く振られた掌と、背凭れから覗く頭のてっ辺、白銀色の髪がふわりと揺れている。思わずほうっとする。

「ちょっとカッコよくない?今の銀さん」

こぼれた心の声。傍らの総悟の腕をパシパシと何度か叩けば、ガシと、しっかりと取られた手首。カシャンという金属音にハッとする。冷たい感触。もしやと慌てて顔を向ければそこには捕らわれた片手首。鎖付きだ。黙って繋がっとけなんて、向けられる下目使い。黙って?そんなのできるわけがないでしょう。

「ちょとぉぉおおお!!」

大声あげれば何事かとクルリと椅子を回転させた銀さんが私の惨状を見て笑う。「ソイツァいいや」とクックと声をあげて笑う。あとで俺にも一個くれよ。なんて、そんなこと言ってる場合じゃないでしょう。

ふたたび行くぜと歩き出した総悟に鎖で引かれては突っ張る片腕。痛いと愚痴り行く廊下。しっかりついてきなせェと尻目で言われては、外してよを繰り返す。三和土に脱ぎ、揃えられた靴へと足を滑らせた総悟は私へと体を向き直らせた。僅かな段差に同じ高さとなった目線。しっかりとかちあう視線。

「刑の重さからいってま、軽く三十日はこのまんまかね」
「なにが刑っ!?私なんにもしてないし!あーやっぱ無理っ、まだ好きって言ってないもん、無効っ無効っ!!」

大きく頭を振れば指された頭。「なによ」と問えば「振ってんぜ」の一言。そりゃ振れるもするでしょう。
キッと睨むをすれば呟いた。もう結わない。
だってな、あながち間違いじゃなかったりするから。今だって正直、ちょっとは愉しんでたりするから。

手鎖に繋がれていない方の手を頭に伸ばす。結わえたゴム紐を外そうとする私を制して、総悟は怪訝な顔で言う。そいつァ駄目でさァ、と。何言ってんのよ。もう絶対しない。だって、これから先もコレが揺れるたんびにいつも総悟に好きって言ってるみたいで、なんか恥ずかしいじゃない。それに。こんなものじゃなくて伝えたい想いがある。きちんと言葉で伝えたいんだよ。

結わえた髪を解くをしようと頭上に伸ばした手。制された掌は金属の冷たさではなくあたたかな骨ばった指に捕らわれる。掲げられたままの腕。一方は鎖付きで下向きだ。不貞腐れては頬を膨らませる。

「結構気に入ってんでィ」

ちょっと、そんなこと優しい声音で囁くなんて、この男、どこまでもズルくて意地悪い男だ。

形にならないものだ。目には見えないものだ。人の想いなんてそんなものだと思っていた。けれど、違ったようだ。
見ようとしなかっただけ。形にしていても気づいていなかっただけ。
たとえば私の結わえた髪で総悟がこちらの想いを悟れるように。物が悪いが填められたこの手鎖で私もまた、総悟の想いを悟れるように。
言葉よりも大事なものって、あるんじゃないのかな。でもやっぱり言葉も欲しいな、あげたいな。なんてそんな矛盾したことを考えつつ閉じる瞼。今度こそと近づくをしてきたその顔を、薄い唇を。待ってとはもう、拒まない。





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愛南さん、本当に本当に本当に本当に本当にどうもありがとうございました!!!!!!!!