「・・・おい。いい加減、あれ、なんとか、しろ。こっちはイライラしてんだ」
「ご、ごめんなさい」


 低くぼそりと、心の底から迷惑だと感じているような獄寺の言葉に、それを言われたは謝るしかなかった。なんとかできるのは確かに自分だけなのだけれど、その自分がどうがんばったところで、残念ながら、どうにもならないのだった。だからそれをよく分かっている綱吉が(獄寺だって分かってはいるが、分かっているのと受け入れられるのとはまた違う)、間に入ってまあまあとなだめてくれるのだった。


ちゃんに言ったって仕方ないよ。・・・ディーノさんに直接、言わないと」


 ちらりと視線を後ろに向けると、別に身を隠すでもなく、堂々と下校途中の綱吉たちのあとをついているスーツ姿の男性数名が目に入った。中には綱吉にも見覚えのある顔もある。だって彼らはなにを隠そう、キャバッローネファミリーの一員、正真正銘ディーノの部下なのだ。


「じゃあ跳ね馬を呼びつけてください!こう毎日毎日監視されちゃあ、気分悪りィっす」
「て言ってもさ、俺たちのこと見てるわけじゃないし。ディーノさんだってちゃんのことが心配で・・・」
「だからといって過保護すぎですよ、なんなんですか、10代目のお家にだってご迷惑を」
「ウチはいいんだけどね、母さん賑やかなの好きだし」


 二人の会話を首を縮めながら聞いていたは、誰にも気付かれないようにこっそりとため息をついた。こんなふうに皆に迷惑をかけるなら、日本に行きたいなんて言い出さなければよかったのだろうか。けれどディーノが日本から帰ってくるたびにしてもらえる土産話はどれもとても魅力的で、どうしても自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の手でさわってみたかったのだ。それも観光ではなくて、しばらくそこで過ごすつもりで。


「なに言ってんだ、俺が行くときに一緒に連れてくんじゃダメなのか?」
「でもディーノさんたちはお仕事で行くのに、わたしだけが観光気分ではいられません。それに、ええと、一時的に行くときにだけ見るものじゃなくて、もっと、・・・本質、を、見てみたいのです」


 の保護者代わりであるディーノに反対されることは容易に想像できたので、前日から考えていた説得文句をぶつけてみた。ディーノは多少いぶかしげな表情を浮かべたが、の真剣な視線を受けると、腕を組んで、ううんとうなって、天井を見て、それからしぶしぶといった感じでまたに顔を向ける。


「・・・留学、てことかな」
「! そ、そう、そんな感じ!」
「正直すっげえ心配だし、気は進まねえけど・・・。でもがそうやってなにかを知りたがってるのを、邪魔しちゃいけないよな、うん」
「それじゃあ・・・!」
「ああ、いいよ、行って来い。そんでいっぱい楽しんだらいい。ただし、条件をつけるぜ」


 びしりと顔の前に指を突きつけられて、でもそのときは許可をもらえた嬉しさのあまりに全部にはいはいと頷いてしまった。居候先に綱吉の家が選ばれたのは良いとして(たしかに誰も知り合いのいないところでは逆に不安で楽しむどころではない)、並森中学校に通わせてもらえることにはなったものの、その登下校の道のりや、休日に外出するときには、かならずファミリーの誰かがすぐ近くにいるのだった。授業中だって、さすがに校舎内までには入ってこないものの、学校近くの喫茶店でコーヒーを飲んでいたり、校門前あたりにぼうっと突っ立っていたりと、どこかしらで待機している。正確にいえばファミリーではないだが、キャバッローネと関係があることは確かで、対抗勢力に狙われないとは言い切れない。ディーノはそうやって言い訳していたけれど、要するに信用してもらえていないんだろうなとは解釈している。


 こうしてキャバッローネを、というよりディーノのもとを離れて日本でしばらく生活したいと考えたのだって、自立したいという気持ちがあったからだ。ファミリーの皆がよくしてくれるキャバッローネでの毎日は大好きだが、あまりに頼りすぎているのではないかと。そんなことを思ってやってきたのに、結局はファミリーの皆に守られているこの状況。ディーノにとって、やっぱり自分は危なっかしいという意味で、目を離せない存在を抜け出せないのかもしれない。


 ずんむりと黙り込んでいるに気付いた綱吉は、話題を変えようと「えええっと、」と声を明るくして口を開いた。


ちゃん、もう、日本に来て・・・そろそろ一ヶ月?だけど、どう?慣れた?」
「・・・えっ、あ、うん!綱吉くんも奈々さんもすごく優しいし、会う人みんな良くしてくれるから。・・・ご、獄寺くんも」
「・・・悪かったな、良くしてなくて」
「ええっ、い、いやその」


 獄寺とは微妙だが、綱吉をはじめとする日本で出会った人々とは、ずいぶん打ち解けてきた。学校で体験したおもしろいことだとか、休日に出かけた先で見つけたおいしいアイスクリーム屋さんだとか、思い出はどんどん増えて、日本に来てから毎日つけるようにした日記のページはびっしりと文字でうまっている。けれどそんなふうに、毎日退屈する暇なんかこれっぽっちもないくらいなのに、なんだかすこし、物足りないのはなぜだろう。


「では10代目、俺はこれで」
「あ、うん。上がっていかないの?」
「そうしたいのは山々なんですが、すみません、今日は家でちょっとやらなきゃならないことが」


 沢田家の前まで来ると獄寺はそう言って帰り、綱吉とは二人して玄関のドアを開けた。そのころにはもう、後ろを歩いていた彼らの姿は見えない。が無事に家に帰るのを見届けると、アジトだか、ホテルだかに戻っていくのだ。だからはほとんど彼らと言葉を交わしてはいなかった。ディーノに、じゃまはしないように、とでも言い渡されているのだろう。ディーノさん。そうか、もう一ヶ月も会ってないんだ。


「・・・あれ?」


 玄関先を見た綱吉が声をあげて、も首をかしげる。彼の視線の先には、大き目の男性用の靴が置かれていた。「お客さんかな?」とつぶやく綱吉の声がどこか遠くにあるような気がする。その靴には見覚えがありすぎるくらいにあって、どくどくと騒ぎ始めた鼓動が耳の中にまで響いてきてうるさいくらいで、でもその耳は居間のほうから聞こえるその人の声をきちんと捉えていて。


 靴を脱ぐのももどかしく、どたどたと走って居間のドアをがちゃりと開けた。ちゃん!?、まだ玄関にいる綱吉が驚いたように名前を呼んだが、もう耳には入ってこなかった。「あら、お帰りなさい」振り返ってにこりと笑う奈々の向かいに座っているのは、やっぱり思い描いた人物。


「よお、。元気だったか」


 にかっと笑う金髪に思わず目を細めて、それからまんまるに見開いた。口元は勝手に笑みを作って、彼の名前を呼ぶ。


「ディーノさん・・・」
「やっと時間とれたから、様子見に来たぜ。お、制服似合ってんじゃんか」
「ディーノさん!」


 駆け寄って思わず飛びつくと、相手は椅子ごとバランスを崩して、咄嗟にテーブルの端を掴みすんでのところで踏みとどまった。そんなことはお構いなしにぎゅううと抱きつくに苦笑して、よしよしと頭を撫でてやる。


「お前、日本にいる間に力が強くなったな」
「あの、あのね!わたし、聞いてほしいことがいっぱいある!クラスの子のこととか、学校は違うけど友達になった子のこととか、」
「よーしわかった、明日の昼まではいるから、今日はなんでも聞いてやる。なんなら夜中まで付き合うぜ」
「ほんと!?」


 自分の心がじわじわと満たされていくのを感じた。学校で起こったことは、同じ学校に通っている綱吉たちも知っているし、休日だって一緒に出かけるのは大抵彼らだから、帰ってきてからわざわざ話すこともない。奈々は家事で忙しいし、ランボたちは幼すぎるし、ビアンキもいつだって家にいるわけではないし、見守るファミリーの彼らも話し相手として来ているわけではなかった。
 そうか、きっと、誰かに聞いてほしかったんだ。
 楽しかったこと、自分が楽しいと思ったこと、日々に感じたこと体験したことを、笑って聞いてくれるひと。喜びを同じように感じてくれるひと。イタリアにいるとき、ディーノは自分が仕事をしながらも、の話に耳を傾けて、一緒に笑ってくれていたのだ。
 やっぱりディーノさんがいないとだめだ。自立なんて、ぜんぜんできてない。
 やっと居間に入ってきた綱吉は、そこにディーノがいることにすこし驚いて、けれど嬉しそうにさっそく目を輝かせているを見ると、安心したようにほほえんだ。














「・・・、ま、まだあるのか」
「まだだよ!まだ10日分しか読んでないもん。3分の2も残ってるんだから、ちゃんと聞いて!」
「だってまさか、毎日そんなに細かく日記つけてるなんて思わないだろ・・・めちゃくちゃ眠い」
「ディーノさん!」














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(2008.1.22)