とにかく居心地が悪いと思った。やわらかな光がそうっと照らしているショーケースの内側には、ふわふわの生クリームや、ハチミツ色したシロップ、なめらかなチョコレートに真っ赤なイチゴ、そんなきらきらしたものたちで彩られているケーキがたくさん並んでいる。ケーキの名前の下にはすこしばかり高めの値段が書かれているし、さっきから横をすりぬけていくのも落ち着いた雰囲気の客ばかりだ。だからこんなところに自分みたいな男子中学生がいるのは明らかにおかしいことを、獄寺はよくわかっていた。
(・・・・・つーか、)
さっきから自分を興味深げに眺めてきている店員の視線を気にしないふりをしながら、獄寺はひとつひとつのケーキに目を向けた。隣でフランボワーズのムースがふたつ売れていく。
(ケーキってこんなに種類あんのな)
ほとんどが今日初めて目にする名前で、頭はすでに諦めに支配されかかっている。そもそもどうしてあまり考えずにこの店に入ってしまったのかといえば、いつだったか、がここのケーキを一度でいいから食べてみたいって、そう言っていたからだった。
高いから絶対買ってもらえないんだけど、でも、すっごくおいしそうじゃない?食べたら幸せになれるよ、絶対。
たまたま一緒に帰ったときに店の前を通りがかって、そのときがこぼした言葉をふっと思い出したのだ。ふうん、と、別に自分は惹かれないが、とかどうでもいいことを考えて聞き流していたのだけれど、それをいまさらながらに後悔する。あのときに、どんなケーキが好きなのかきちんと聞いていれば、彼女の希望通りのものをすぐに選べていただろうに。
今日はの誕生日だった。これもやっぱり、以前話の流れでなんとなく聞いていたのを当日である今日になって思い出して、とっさのことでどうすればいいのかなにも浮かばず、必死に頭をひねった結果、ここの店にまで辿りついたのだ。と、そこまで親しいといえるかはわからない。他の女子にくらべれば確かに一緒に帰ったりもするし、会えばあいさつするし、休み時間に話をしたりもするから、仲が良い、のだろうか。そんな彼女の誕生日に、わざわざなにか贈ろうと考える自分はいつもと違う、というのだけはよくわかる。なにかしないとと思ってしまったのだ。そしてここまで来てしまったのだから、いまさら引き下がれない。
(ショートケーキとチョコレートケーキとチーズケーキと・・・あとモンブランぐらいしかわっかんねえ)
がしがしと頭をかくと、ふうと深いため息をついて、獄寺はカウンターの向こうの店員をやっと見た。
「おら、これ」
「え、なに?」
突然獄寺に呼び出されて、何事かとおもったら、ずいと突き出されたのは真っ白な箱だった。さわさわと木々を揺らす風が自分の髪と頬をなでていくのを心地よくおもいながら、は首をかしげてそれを見る。
「・・・くれるの?」
「べ、べつにあれだぞ、たまたま知り合いからもらって・・・でも俺、食わねえし。女は甘いもん、好きだろ」
「えっ、てことは、・・・ああ!これ、あそこのケーキ?いいの?しかもこんなに!」
「だから、食わねえんだって」
なんとなくまともにの顔をみられない獄寺は、押し付けるように箱を手渡す。まっしろな四角い箱に、金色で店名とマークが描かれている外観をまずしげしげと眺めてから、箱をゆらしたり落としたりしないように、がそうっとふたを開ける。の反応が気になって仕方ない獄寺だったが、あえてそっぽをむいて、風が髪の毛をゆさぶっていくのをうっとうしげに払いのけていると、相手がうわあ、とため息にも似た声をもらすのがわかった。箱の中には色とりどりのケーキがいくつも入っている。花が咲くように口元をほころばせてたっぷり十数秒ケーキを眺めていただったが、なにかに気付いたように顔をあげて獄寺をみた。
「今日、わたし、誕生日なんだけど・・・もしかしてこれ、プレゼント?」
「ちっ、ちげえよ!あ、じゃなくて、そ、そうなのか、偶然だな。たーまーたーま、もらったのが今日でよかったな、うん」
「そっか・・・じゃあホントに、すごい偶然だね、どうもありがとう!大事に食べる。・・・・・ていうかこれ、沢田くんにあげなくっていいの?」
「え!?・・・おまえ、こんなときばっかり勘するどくするなよ・・・」
「ん?」
「いいい、いいんだよ、10代目にはだから・・・その・・・もっといいものを差し上げるからな!」
「あーそうか、そうだよね」
納得したようにうなずくに多少複雑な想いは抱いたけれど、そこはあまり考えないことにし、内心ひどく安堵の息をつきながら、獄寺はあらためてケーキの箱に目を向けた。の好みがわからないから、店員におすすめのものを適当につめてもらったのだ。それを訊ねるのだってひどく恥ずかしかったし、通常どおりにみえる店員の対応だって、実は腹の中ではおかしくて笑い転げてるんじゃないかとか、らしくない想像までしてしまった。それもこれもどれもあれも、全部こいつのせいだ。
でも。と、さっきからずっと頬がゆるみっぱなしのをみる。そんなふうに恥ずかしい思いはたしかにしたのだけれど、後悔する気持ちは一切わいてこない。むしろこんなふうにを笑顔にできたことに、誇りにも似たものさえ感じている自分がいるのだ。単純に、喜んでくれてうれしいと思っているのかもしれないけれど、それだけではないような、でもはっきりとはわからない、あいまいで、もやもやしていて、それから解放されたいような、もっとひたっていたいような、不思議な感覚に支配される。たぶん自分がの誕生日のためにケーキを用意してしまったのも、その感覚のせいなのだ。
どれから食べようかなあ、と心底うれしそうにつぶやくに(というか全部ひとりで食べる気なのだろうか)、ちいさく笑みがこぼれる。自分のもやもやはともかくとして、やっぱりが喜んでくれる姿は素直にうれしいのだ。今はそういうことでいい。これから先、どうなるかなんて、これっぽっちもわからないけれど。
「でも、とにかく、ありがとう獄寺くん。勝手にこれ、獄寺くんからの誕生日プレゼントだと思ってもいいよね?」
「えっ、な、なんでだよ。だから偶然もらったから、」
「うん、そうだけど。でも、前にわたしがここのケーキ食べてみたいって言ったから、わざわざくれたんでしょう?」
ぎくり、とも、どくん、ともつかぬ音が心臓のあたりから聞こえた気がした。突然、今自分をとりまえているすべての状況が恥ずかしいことのように思えて、獄寺はとっさにに背を向けてしまう。足が勝手にその場を離れだして、捨て台詞のような言葉が口をついて出た。ああだめだ、かっこわるい。
「そ、そう思いたいなら勝手に思ってろ、じゃあな!」
「あ、うん、ばいばい。また明日」
笑顔で手を振っているであろうが、もういちど大きな声で「ありがとう!」と言うのが聞こえて、まるで今までこらえていた熱が一気に耳元に集まってしまったように、かあっと赤くなるのが自分でもよくわかった。ほんのすこしも振り返らずにずかずかと歩き続け、もうすっかりの姿も声もとどかないところまで来てから、ようやく気付く。
おめでとうって、言い忘れた。
「緑」
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(2007.8.24)