「ああなんだ、いたんですねラビ。今朝から全然見かけなかったから、どうしたのかと思いましたよ」
カタン、とテーブルの上に銀色のトレイを置いたアレンは、向かいの席に頬杖をつく眼帯の青年に微笑みかけた。教団のそれは大きな食堂も、夕食の時間帯ということで席はだいぶ埋まっている。すこし遅めに顔を出したため、座る場所を確保できないかもと困惑したアレンだったが、一部不自然にぽかりと空いたテーブルを発見できたのだった。エクソシストのついたテーブルというのは、同じくエクソシストか、よほど親しい面々でないと座りづらい、というのはあるらしい。アレン自身はそのあたりの感覚がよくわからなかったけれど。
「ここいいですか」とあとから思い出したように付け加えたそれは、訊ねているというよりも「ここいいですね」と同義だった。ラビは目線だけアレンに向けて「おー」とだけちいさく声をかけると、またどこかそっぽを向いてしまう。普段と様子が違うなあとは思いつつ、アレンはまたカウンターへ戻っていった。彼の注文した品は、とても一度では運びきれない。
「はあいアレンくん、たぬきうどんとローストビーフとクラムチャウダー、できたわよ。ちょっと待ってね、オムライスも仕上げちゃうから」
「ありがとうございます。あ、チョコレートケーキ追加してもいいですか?これくらいのホールで。それであの、ラビ、なんにも食べてないみたいなんですけど、いつからあそこにいるんです?」
ちらりと後方を振り返ってから、アレンはジェリーに耳打ちするように訊ねる。同時に5つのフライパンの面倒をみながら、彼も器用にラビを視界に入れ込んだ。
「ああ・・・ううんと、ここが混んでくるよりもだいぶ前だったと思うけど。お茶一杯頼んだだけよ。ずっとぼうっとして、あんな感じ」
ちょい、と顎で指し示されたラビは先ほどからほとんど動かず、目線はどこか遠くへ放って、ときどき思い出したようにカップを手にして口に運んでいる。けれどさっきアレンが覗き込んだかぎりでは、あのカップは空だった。ううーん、とアレンもうなって、トレイに完成する料理たちを器用に並べていく。
「普段から変なとこありますけど、さすがにあれは腑抜けすぎですよね・・・。朝から僕、ラビのこと見てなくて。なにかあったのかな?」
「さあね、そこまではわかんないわ。・・・はい、チョコレートケーキは食後にできあがるように用意しておくから」
「さすがジェリーさん、ありがとうございました。いただきます」
ぐらぐらと端から見れば非常に不安定なトレイを軽々と持ちながらジェリーに頭を下げると、アレンは再びラビのいるテーブルへと戻っていく。ラビの目の前に新しくお茶の入ったカップを置いてやると、相手は不思議そうにそれを見た。
「空っぽですよ、そっち」
「え、・・・・・ああ、ホントだ」
「どうしたんですか。らしくないですよ、ぼけっとしちゃって。なにか食べないんですか?」
僕のはあげないですけど。付け加えつつアレンが訊ねると、ラビは数回まばたきをして、やっと理解したかのようにこくこくと頷いた。「そーだ俺、なにも食べてないんさ」。それは知ってる。ラビはキッチンに向かって大きく手を振って、「なんかからーいヤツたのむー」と適当な注文をした。相手がうなずくのを確認すると、またもとの体勢に戻って、ふうう、と深く息をつく。
「・・・はあ・・・」
「・・・目の前でため息なんかつかないでくださいよ。食事はおいしくいただきたいんです。心配事でも?」
「え?あー・・・いいや、心配とか、そういうんじゃない」
「じゃあ嫌なこと?」
「いーや」
ゆるゆると首を振ると、ラビは完全にテーブルの上につっぷした。さすがにアレンも心配そうに眉を寄せ、ずず、と中途半端だったうどんを吸い上げてから箸をおく。「ラビ?」と呼びかけた。
「んー?」
「いやその・・・ホントに変ですね。具合が悪いんじゃないですか?救護室行きます?」
「いらねえって。どっこも悪くないし。ただ、ええと、調子は悪い」
「・・・・・どのへんが違うんですか」
急を要するようではなかったので、アレンは次にオムライスに手をのばした。たまごの焼き具合が抜群だ。デミグラスソースもいいけどやっぱりケチャップでも食べたい。もういちど頼みに行こうかとわずかに首を調理場のほうへ向けかけたところで、ラビがごくごくちいさく、ぽつりと「あのさあ、」と話し出した。
「え?」
「俺さあ・・・俺、そんなヘンにみえる?いま」
「はい。すごく」
生真面目にうなずいて、ラビを見る。そうかあ、とため息のようにつぶやく青年は、つっぷしたまま動かない。表情がよくわからないので黙っていると、ラビがひとり言のように続けた。
「うん・・・ヘンなんだよなあ、最近。・・・・・・ダメなの俺、のことばっか考えてて」
「へ?」
「もう、任務出て3日じゃん。なんかもう、なんての?このへんがぎゅっとなって、ぐるぐるして、がんがんして、なにか食べないといけないのはわかってんのになんも喉通らなくて、寝るまででいっぱいで、寝ててもいっぱいで、・・・たぶん俺に会いたくて仕方ないんだ」
ひといきにそれだけ言ってしまうと、ラビはまた大きく息を吸って吐いた。アレンはスプーンからオムライスが全部こぼれているのにも気付かずに数回まばたきをして、はああ?と驚きの声をあげた。
「あの、ちょっとすみません。・・・聞き違いじゃないですよね?って僕らの仲間のエクソシストの彼女のことで良いんですよね」
「あたりまえじゃん。他に誰かいたっけ?」
「いませんけど。・・・初耳ですよ、それ・・・。え、もう付き合ってるってことですか?」
「ううん。だってには言えないもん」
「え、ラビなのに?」
「・・・俺をなんだと思ってんさ」
いくらか拗ねたようにアレンを見てようやくラビが身体を起こしたところへ、調理場から担々麺がとどけられた。ラビは笑顔を向けてそれを受け取ったものの、箸でつつくだけで食べる気配をみせない。まったく予測していなかった話の展開に多少なりとも混乱しているアレンは、さすがに手を動かして料理を口に運んではいるものの、あまり味がわかっていなかった。よく考えれば非常にもったいない話だった。
「・・・アレン食べる?これ。俺、やっぱり入んねえや。ぜんぜん食欲ない」
「え?・・・ああ・・・じゃあ、いただきます。・・・ならラビ、チョコレートケーキ食べます?デザートに頼んだんですけど」
「チョコレートかあ」
すす、と器をアレンのほうへ押しやりながらくり返して、ラビは腕をテーブルの上で組むとそこにあごを乗せた。アレンはさっそく担々麺に箸をつけ相手をうかがう。ラビはくるくるとテーブルの端の塩のビンをいじりだした。
「なあ、ってチョコレートみたいだと思わん?硬くって、でも口に入れればとけちゃうし、甘ったるいんだけど、ちょっと苦くて」
憂い顔とはこういうものを言うのだろうか。アレンはのことをそんなふうに考えたことはなかったので「そうかもしれないですね」と当たり障りのない返事をしあいまいにうなずいておいて、内心でラビの様子に舌を巻いていた。日頃から多少ほれっぽいところはあったが、今回はどうもそれとは違う。本当にのことを思っているからこそ、きっとただ目をハートマークにするのではなくて、なにか彼なりの心配事のようなものもあり、不安があり、息苦しさがあり、それでも思うことをやめられないという、そんなふうに誰かを好きになる姿を、アレンは微笑ましくおもった。憧れとも、羨ましさともとれる感情。きっとそのうち自分にも、チョコレートみたいだと思える存在ができるのだろう。まあ、それはちょっと恥ずかしそうだけれど。
「アレン君、ラビ、ここ、いい?」
「リナリー。どうぞ」
黒髪の少女がそばへやってきて、アレンの隣の席につく。「その担々麺おいしそうね」とちいさくつぶやいてから、二人に笑顔を向けた。
「そうだ、ねえ、聞いた?さっきね、、帰ってきたんだって。いま兄さんのところに報告に行ってるから、きっともうすぐここに、」
リナリーがそう言い終わるか終わらないかのうちに、ラビが突然がたんと席を立った。目を丸くするリナリーに「教えてくれてありがと!」と声をかけると、出口のほうへ歩いていく。予想はできたものの、アレンはその背中に向かって訊ねた。
「どこ行くんですか?」
「出迎え!お帰りって言わなきゃ。あと、そうだ、ケーキはの分も残しといてな、あいつ絶対喜ぶと思うから」
んじゃ!と去っていくラビは、今日見たかぎりやっといつもの彼らしかった。あの様子だと、食欲は充分に回復するな。すでに半分近くは食べてしまったが、担々麺はいちおう残しておこう。リナリーはぱちぱちと目を瞬かせながら見送っていた視線をようやくアレンへと戻して、当然の疑問を口にする。
「どうしたの?あんなに嬉しそうにして」
「すぐにわかりますよ。ホント、いい笑顔ですよね」
“orange”
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(2007.7.28)