あくびは素直に口から飛び出た。隠すそぶりもなく、シンは大きく口を開ける。そろそろ授業の開始を告げるチャイムが鳴るはずで、周りの生徒たちはぱらぱらと教室の中へと入っていく。うしろから小走りに誰かに追い抜かれても、シンは特別気にとめることもなく、のんびりした足取りのままだった。正直眠すぎて急ぐ気になれないのが本音だ。
「こおら、シン・アスカ!」
「うえ、」
突然の声にびくり、と肩を震わせて振り返った先には、にこにこしながら立っているしかいなかった。ちら、ちら、と一応左右に視線をはしらせて教官の姿がひとつもないのを確認すると、つめていた息を吐き出して眉を寄せる。
「おどかすなよ」
「だって、堂々とあくびなんかしてるから。ねむそうだね。夜更かし?」
が隣まで歩いてきて、肩を並べる。シンと同じくまったく急ぐ気配のない歩調だが、ふたりの目当ての教室はもうあとドア5つ分くらいだ。近くに教官はいなかったし、充分に間に合うだろう。に会ったことで余計に気が抜けてしまったのか、もう一度あくびが出た。「女の子の前でー」と口をとがらせる相手を適当にあしらってから、シンは目を細めてかるく睨んでみせた。
「・・・余裕だよな、は。そりゃ俺はあれだけど」
「なんの話?」
首をかしげる相手をすこし意外に思いながらも、自分との日頃の授業態度その他もろもろを考慮すればそれも当然かと思い直す。はレイみたいに優等生タイプではないのだけれど、シンのように得意科目と不得意科目との差がはげしいということもなく、ある意味平均的で、そのくせルナマリアみたいに要領のいいところがあって、なんだか抜け目がない。それでもレイについでザフトレッドに近いところにいるのではと、シンたちは思っていた。の顔の前へびしりと指を突きつけると、びっくりしたように目をまるくする。ちょっとかわいい。
「レポートだよ。次、提出じゃん。あれが終わらなくて、徹夜だったんだ。レイに助けてもらおうと思ったんだけど、昨日は全然つかまらなくて・・・レイ昨日なにしてたか知らない?」
「それは知らないけど・・・え、シン、あれ、知らなかったの?」
「は?」
「レポート提出、来週にのびたって、掲示出てたじゃない。ライム教官、急な出張なんだって。・・・シン?」
「・・・・・えええ!」
思わずぴたりと足をとめて、を見る。もシンに向き直って、あーあ・・・と同情するようなため息を漏らした。掲示・・・掲示?とうわごとのようにつぶやくシンの手元のレポート用紙にくしゃりとしわが寄っている。確かにシンにしてはがんばったみたいだな、とは思った。枚数がいつもより多くみえる。普段授業中に寝てしまうことが多々あるので、レポートで点数をと気合を入れていたのだろう。まあ、そのわりに、徹夜しなければならなかったわけだが。の考えをよそに、当のシンは身体全部で動揺の気持ちをあらわしていた。
「あれ、じゃあ、あれ、次の講義は?」
「休講。だからシュミレーションルーム行っちゃおうかなって。ホラ、先週使用許可出たばっかりじゃない?あ、じゃあ混んでるかなあ。シン、聞いてる?」
「休講!?」
シンが大声を上げて、は数回まばたきした。が授業前にもかかわらずのんびりしている理由がいまはっきりとわかった。そういわれればあのルナマリアも昨日会ったときにちっとも焦っていなかったような気がするけれど自分の余裕がなさすぎて深くは考えなかったのだ。せめて昨日のうちにレイと話せていればあんなに必死になって目をこすり頬をつねり髪の毛をひっぱりつつ泣きそうになりながらモニタに向かったりなんかしなかったのに、くそう!不機嫌そうにゆがむシンの顔をのぞきこんで、はちいさくふき出した。
「せっかく徹夜したのにね、ご愁傷さま。でもいいじゃない、がんばったぶん、今週はのんびりできるんだから」
「・・・なんかすっごい損した気分。あああ、今日提出日じゃないってわかればいろいろやりたいこともあったのに!なんだよレイのやつ、どこ行ってたんだよ!」
「そんな、レイのせいにしなくたって・・・。大丈夫、シンのがんばりはいつか必ず世に認められるのである」
「いつか、ってなんだよ・・・。ちーくーしょー。ああくそ、遊ぶ!遊ぶぞ!!」
「えっ、はい!」
とっさに返事をするのと、シンがその腕をつかんだのとはほぼ同時だった。えええ、とがうろたえる声をあげるのが聞こえてもいないようで、ぐいぐいとひっぱりながら今まで歩いていたのとは反対の方向へとずんずん進んでいく。シン、シンちょっと!と何度も呼びかけて、5回目でようやくシンは顔だけ振り返った。足は動いたまま。
「あ、遊ぶって、どこ行くの」
「シュミレーションルームだよ!行くんだろ?俺も行く。今日はハイスコアたたき出してやるからな!くっそー、こないだレイが出した記録抜いてやる、倍だ、倍だすんだ!」
燃えてる・・・。シンの横顔を見て、はこそりとため息をついた。もちろん気持ちはわからなくもないけれど、これの次にはまた授業があるわけだし、ヒートアップしているシンからきちんと解放してもらえるか心配だ。それに、
「・・・手」
「え?なに?」
「・・・手!」
「あー、なんで俺掲示見てなかったんだろう、ていうか誰か教えてくれたっていいじゃん、ルナとかさ。・・・あいつもしかして知っててわざと教えなかったとかじゃ・・・あ、で?なに?」
「・・・なんでもないです!」
どうせ気付いてうわわわわごめんホントごめん俺べつにそういうつもりじゃ・・・!とかなんとか慌てるのはシンのほうなんだ。もうなにも言うまい。でもやっぱりシンに握られた腕が熱くて、手をひかれたまま、はちいさくため息をつくのだった。
赤!
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(2007.7.13)