スザクが日課である早朝のトレーニングを終えて離宮の中へと戻ってくると、玄関を開けた途端に慌ただしく走り回る使用人たちの姿が目に飛び込んできた。主人には失礼だが、他と比べて非常にのんびりしたこの宮で、未だかつてこんなに朝早くから皆が忙しくしていることがあったろうか。あまりのせわしなさに、ぽかんとしたまま突っ立っているスザクにすぐには誰も気が付かなかったようだが、やがて通りがかったメイド長がようやく声をかけてきた。

「おはようございます、枢木卿」
「あっ、お、おはようございます。あの、どうしたんですか、この騒ぎ」
「まあ、枢木卿までご存じないのですね。先ほどユーフェミア様から、ナナリー様もご一緒にお昼にでもこちらへいらっしゃるとのご連絡が。様とお食事のお約束をされていたらしいのですけど、様ったら、なにも仰らないのですもの。お部屋もお食事の用意も何一つしていませんから、こうして一同、慌てて準備しているところです」

 メイド長が語るそばから、玄関先には今朝庭で咲いたばかりのバラの花が、スザクの見たこともないような花瓶に飾られていく。それ以外にも、普段目にしたことのない豪華な調度品が次々と置かれていき、この宮にこんなものがあったのかと内心で驚いた。

「あー・・・、はい、よく分かりました。ですがいらっしゃるのがあのお二人なら、そこまで神経質になることもないのでは?いえ、お二人は様ととても仲がお宜しいですし、部屋のことだとか、食事のことにいちいち文句をつけるような方でもないかと」
「ええ、それはもちろん分かっていますけどね。けれどこういう時でないと、この花瓶ですとか、飾れないじゃありませんか。食器だって、枢木卿もまだご覧になっていないような美しいものがたくさんあるんですよ。料理長もお食事の作りがいがあるって張り切っておりますし・・・。最高の状態でお迎えしたいんです、様の大切なご兄弟ですから」

 そう言うのを聞いて、スザクも納得した。この宮に皇族の客人が訪れるなんて滅多にないことだ。彼女らが日ごろの手入れを怠っているわけではないが、主であるが豪華絢爛よりもいくらか素朴でやわらかなものを好む傾向にあり、ここまで本格的に飾り立てる機会がない。忙しくはしつつもどの顔も楽しそうで、スザクの頬も自然とゆるんだ。

「でしたら、よろしくお願いします」
「はい。それで枢木卿、私からもひとつお願いが」









 緊張の面持ちで足を踏み入れた部屋の中。薄暗く、物音ひとつしないそこは、目当ての人物が未だ夢の中であることをスザクに伝えていた。どうしてこんなことに、とため息をつきたくなる気持ちを抑え、とりあえずは陽射しを入れるべく窓際へ向かった。

「そろそろ様をお起こしする時間なのですけど、生憎、誰も手が放せなくて・・・申し訳ないのですが枢木卿、お願いできますか?」
「・・・・・・え?え、ええっ、自分がですか!?で、でもあの、」
「あ、時間です。お願いしますね」

 メイド長の一方的なお願いに負けてここまで来てしまったが、いくら自分がの騎士とはいえ、皇女の寝室に男性が入って良いものだろうか。騎士となってまだ日が浅いスザクはそもそも昼間にだっての寝室に足を踏み入れたことはない。どうすればいいのか勝手が分からず、一秒でも早くが目覚めてくれることを祈りながら、彼女が眠っているベッドのほうは見ないようにして、一番近い窓のカーテンをゆっくりと開けた。

、朝だよ。そろそろ、」

 言いながらを見たのが間違いだった。光が差し込んだことではっきりと見えるようになったベッドの上には、端のほうまで身を寄せ、こちらに顔を向けながら寝ているの姿がある。の寝顔なんてまともに見たことのないスザクの心臓は跳ね、目は釘付けになった。

(て、どうしてこんなに大きなベッドなのに、端っこで寝てるんだ。本当にこの人は・・・、あ、動いた!)

 陽射しのまぶしさに顔をしかめたらしいはううんと身じろぎしたが、スザクの期待もむなしくさらに掛け布団にくるまるとすぐにまた寝息を立てはじめた。陽射し作戦は失敗だ。スザクは困ったように頭を掻きながら軽く息をすいこむと、先ほどよりもいくらか大きな声を出した。

、時間だよ、起きて。
「・・・う・・・、スザ・・・?」
「そうだよ。ほら起きて、今日はお客さんが来るんだろう」
「・・・・・・」
?」

 一瞬スザクの名前を呼んだかに思えたはしかし、目を閉じて完全に眠っている。どうやらスザクの声にわずかに反応しただけだったようだ。ああ困ったな、と本格的に頭を悩ませた。こうなったらもう揺り起こすしかないだろうが、寝室に入ったのだってどこか後ろめたいのに触ってもいいものかどうか。けれど起きてもらわなくては困るのも確かなので、誰もいないからいいだろうとベッドの端に腰掛けて、傍らにあるの肩にそっと手を置いた。寝間着からつたわる体温の心地よさに目を細めていると、の唇がもぞもぞと動いて何事かつぶやいている。

(また寝言かな)

 思わず苦笑しての顔を見た。飾り立てなくたって朝露に濡れるバラのような唇と、故郷の桜を思わせる頬。安心しきった顔で眠るを起こしてしまわないでいつまでも見ていたいとも思うけれど、その長い睫毛にふちどられた瞳に早く自分を映してほしいとも思う。ゆっくりとを揺さぶった。

。もう起きてくれないと、僕がメイド長に怒られるよ。ほら」
「・・・ん・・・」

「・・・・・・スザク?」

 ようやくが目を開いた。しばらくまぶたを半分閉じたままでぼうっとスザクを見ていたが、やがてぱしぱしと瞬きをすると、突然に目を丸くした。

「えっ、スザク!?」
「うん。おはよう、
「あ、お、おはよう。・・・どうしてスザク、が」
「みんな忙しいんだ、だから代わりに僕が。今日、二人も大事なお客さんが来るんだって?朝、急に連絡が来たって、みんな慌てて準備してるよ」
「・・・ああ・・・、そういえば言ってなかった・・・かも」
「かも、じゃないよ。僕も初耳だ」
「え?・・・あ、そっか、スザクが出てるときに決まったんだ。ごめんなさい、言ったつもりになってた」

 言いながら起き上がるの鎖骨が目に飛び込んできて、スザクは慌ててあたりを見回すと、椅子の背にかけたままになっていたガウンを引き寄せて肩にかけてやった。ありがとう、と微笑んだはベッドから立ち上がり、窓から庭を見下ろす。にしたがってスザクも窓際に近づいた。

「わあホント、みんな走り回ってる。・・・困らせるつもりじゃなかったんだけどな」
「うん。なんだかんだ言って楽しんでるみたいだよ。普段お客さんをお迎えすることって無いだろう」
「そうだけど、でも、いつもどおりでも良いと思って。みんないつもちゃんときれいにしてくれてるし」
「メイド長が最高の状態にしたいって言ってたよ。そういうのってそのままの評価につながるんだろ?だからあんなに張り切ってるんだ、みんなのことが好きなんだよ」

 みんな、の中にもちろん自分も入っていて、好きどころか大好きだな、なんて思うのは今はまだには言えない。スザクの愛らしい皇女が「ありがとう」と心底嬉しそうにはにかんでから、着替えもスザクが手伝ってくれるの?などと仰るので、その騎士は慌てて人を呼びに行かなければならなかった。





愛の言葉は制限中






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(2008.9.9)