スカーレットの子守歌







 携帯のアドレス帳に、ひとつ名前が増えた。
 昨日の放課後、昇降口を出たところでたまたまと会い、途中まで一緒に帰ることになった。今日のフラガ先生は夫婦喧嘩でマリュー先生にボッコボコにされたから休みなんだとか、昼にヴィーノが購買部人気ナンバーワンのカツサンドを自慢げに食べててちょっと悔しかっただとか、普段なかなかゆっくり話す機会のないが相手だからシンはめずらしく饒舌になって、別れ際になってもまだ話し足りなく、そんなシンに笑ってが言ったのだった。「じゃあその続き、あとでメールして」と。

「え、・・・でも俺、その、先輩のアドレス知らないです」
「あれ?そうだったっけ、シンちゃんは知ってる気でいた。ちょっと待ってね、じゃあいま教えるから」
「いいんですか!?」
「うん。いつでもメールしてね。あ、でも授業中はダメだよ」
「はい!」

 力強く頷きつつ、の情報が手の中の携帯に書き込まれていくのを見て、そうだ、自分たちに足りなかったものは連絡手段だ。とシンは心の底から思った。電話番号もメールアドレスも知らないから休日のお誘いだってろくに出来なかったけれど、今後は違う。この距離をこれからどんどん近づけていって、最終的にはものすごくお近づきになるのだ。そんなことを、家に帰ってからとメールを交わすたびには考えて、とにかく顔がにやつくのが止まらなくて、妹にも「お兄ちゃん今日なんか気持ち悪い」と言われてしまったがそんなことはと自由に連絡できることに比べれば何の障害でもない。




『授業が早く終わったんで、今日は俺もカツサンド買えました。先輩の昼はなんですか?』

 購買部の袋をぶらぶらさせながら、携帯の画面をのぞきこんでにメールを送った。とにかくなんでもいいからとやりとりをしたくて、休み時間のたびになにかしら送っているのだ。自分でもちょっとやりすぎかなと思うが、は全部にきちんと返してくれている。それに勇気付けられて、今もこうして昼休みに入ったばかりの時間にまたメールしていた。せっかくお誘いがしやすくなったのだから、一緒に昼休みをすごしたり、してみたい。そんな気持ちをこめてのメールでもあった。

 そわそわしながら歩いていると、教室近くになってやっと、ポケットに入れていた携帯が振動するのを感じすぐにメールを開いてみる。待ちわびていた、でも未だに照れくさい「先輩」という名前の下に、本文が表示された。

『委員会の集まりがあって、まだ何も食べてないの。カツサンドよかったね!わたしも食べたいな〜』

 ぴたりと足が止まった。数秒じい、と画面を眺めて、開きかけた教室のドアの前できびすを返し、廊下を走り出す。ドアの隙間から「シンお帰りー」と手を振っていたヴィーノは、その姿があっという間に消えてしまったのに目を丸くしていた。

「・・・買えなかったのかな、カツサンド」






、先、輩っ!」

 シンが数分後にたどり着いたのは自分のクラスではなく、のいる2年生の教室だった。ドアからよく見える位置にいたはシンの声にすぐに気づくと、ぱっと立ち上がって驚いたように駆け寄ってくる。

「わ、シンちゃん、どうしたの。走ったの?」

 肩で息をするシンを見て気遣うように顔を覗き込んでくる。だいぶ疲れていたが、シンは笑顔を見せた。

「ハァ、先輩、買ってきましたよ、・・・ふう、・・・カツサンド」
「え?」
「食べたい、て、言ったから・・・」
「カツサンドを?あれ、言ったっけ?」
「・・・え?と」

 どうも会話がかみ合わないことに違和感を感じながら、「言ったっけ、て」と携帯のメール画面を呼び出しての目の前に差し出す。

「さっきのメール見て、それで俺」
「メール?・・・でもわたし、さっき戻ってきたんだよ。委員会のほうに携帯持って行くの忘れたし」
「へ!?」
「ん、ちょっと待って。・・・まさか」

 がそう言って教室の中を振り返るのと、その後ろに人影が立つのとはほぼ同時だった。人影はにこりと笑みを浮かべて、やあ、とかるく手をあげてみせた。

「シン君、カツサンド買って来てくれた?」
「・・・え?」
「やっぱり。キラ、わたしの携帯で勝手にシンちゃんにメールしたんでしょ」
「ええ!?」

 の言葉に大声を上げて、侵入者の顔を見た。キラは「ばれちゃった?」と悪びれもなく言うと、あまりよく理解していない様子のシンの手からカツサンド入りの袋を受け取ってしまう。

「ごめんごめん、が携帯忘れてるの見つけてさ、いじってたらシン君からメール来て。僕ほんの冗談のつもりで返事したんだよ。あわよくばカツサンドを買ってきてもらえないかなあ、って」
「な、・・・にいいい!」
「キラ・・・ひとの携帯で勝手にシンちゃんのこと使わないでよ。ごめんねシンちゃん、お金はちゃんと払うから」
「やっ、そんな!先輩は悪くないんだから!ていうか、アンタはなんで先輩宛のメールを読んでんだよ!」
「そんな今さら。僕との仲だし」
「その言い方やめろって言ってるだろ!」

 噛み付くシンにも全くひるんだ様子を見せないキラは、ただ「はいはい」と言いながら笑うだけ。それが余計にシンの怒りを煽り、その空気を察知したが先手を打ってシンをなだめた。

「シンちゃんほんとにごめん、キラにはよく言い聞かせておくから!ほら、キラも謝って!」
「うん。ごめんねシン君」
「・・・嘘くさい・・・」

 キラの態度にはこれっぽっちも納得がいかなかったが、がシンの背中を押して廊下へと連れ出すのでそれ以上の追及はできなかった。は教室の前からすこし離れたところまで来ると、息をついてシンに向き直る。

「キラってたまにああいうことするの、ごめんね。でも他のメールは見たりしてないはずだから。お金もちゃんと返すよ」
「いいですよ、それはほんとに!もともと先輩にあげようと思って買ったんだし」
「うーん、でも・・・。・・・なら今度なにかおごるね。そうしないとわたしの気が済まない!」
「あー・・・はい、じゃあ」

 本当にいいのにな、と思いつつ、がそれまで気にかけてくれるのが嬉しかった。けれどキラのことも思い起こされてなんだか憂鬱な気分になる。うまいこと彼の思い通りに動いてしまった自分がとてつもなく情けなくてはあ、とため息をつくと、が困ったように眉を寄せた。

「シンちゃん、えーと」
「や、その・・・なんか俺今日調子に乗って先輩にいっぱいメールしてたけど、もしこれから先にまた同じようなことあったら、て思うと、メールしづらいなって。ほんと、なんていうか、・・・すみません」

 ある意味これで良かったのかも知れない。ただただ舞い上がって一方的にメールするんじゃ、もしかして相手の迷惑になることだってあるのだから。不本意ではあるが、ある意味キラに気づかされたようなものだ。今日のところは引き下がっておこう。
 けれど、それじゃあ、と教室へ戻るつもりでシンが身体の向きを変えようとするところを呼び止めたは、

「そんなことないよ!シンちゃんがたくさんメールしてくれるの、次はなんて送ってくるんだろう、っていろいろ考えて楽しかったよ。わたし、シンちゃんとメールするの、好きみたい」

 「だからこれからもまた色々送ってほしいな」なんて言って笑うので、やっぱりシンは舞い上がって、結局はりきってメールしてしまうことになるのだ。










――――――――――
(2008.9.1)