普段あまりブリタニア本殿に赴くことのないルルーシュが、次兄であるシュナイゼルと(どうしてか)チェスに興ずるというので付き添いを命じられ、久しぶりに訪れた広い広い王宮。静かに白熱する二人の対決を初めは興味津々で見守っていたが、元々チェスのルールをろくに知らないスザクは(非常に不謹慎なことではあるが)いささか退屈し、それに気が付いたカノンが助け舟を出してくれたのは、ゲームが始まってからおよそ一時間ののちだった。
「ここは私が付いてるから、あなたは王宮の見学でもして来たら」
「えっ、あ、いえ、自分はルルーシュ殿下の」
「どうせあなたが居ようが居まいが、ルルーシュ様はお変わりないと思うけど。ここはまだまだかかりそうだし、そうね、一時間後にまたいらっしゃい。その頃には勝負も付いて、お茶の時間にでもなってるはずだから」
「・・・でも・・・」
「構わないぞ、行って来いスザク」
集中していると思っていたが意外にも話を聞いていたルルーシュが口を挟み、シュナイゼルも許可を出してくれたのでスザクはその場を退出した。多少後ろめたいものの、解放感のあることも確かだった。
何度か訪れたことがあるとはいえ、カノンが見学と称するにふさわしい大きさのある本殿をスザクもすべて見て回ったわけではないが、しかし一人で目的もなくぶらぶらするのも気が引ける。どうしたものかと考えながら廊下を歩くスザクにそのとき、背後から声がかけられた。
「おーい、スザクじゃないか!」
「え?」
振り返るよりも先にがばりと肩に手が回される。こんなことをしてくるのはスザクの知り合いの中で一人しか思い当たらない。
「ジノ、ちょっと、重い」
「ああ、悪い悪い。それよりどうしたんだ、こんなところで会うなんて珍しいな。一人か?」
「いや、今日はルルーシュの付き添いで、」
そこまで言って気が付いた。自分と同じように、ジノがここにいるということはやはり、彼が騎士を務めている彼女も今、この本殿にいるのではないかと。そう思う途端に緊張が伝わったのか、グローブをした手のひらにじわりと汗がにじんでくるのが分かった。それを悟られないように冷静さを装って、口を開く。
「・・・ジノは、君こそ、一人なの?」
「いいや?私も今日は殿下の」
「ジノ!どうしてあなたはいつもそうさっさと先に行っちゃうの」
声を聴いた瞬間にスザクが振り返れば、の、の口のままでぽかんとして立ち止まった少女の姿があった。ジノ・ヴァインベルグの主であり、スザクの幼なじみの皇女でもある、今まさに会えないだろうかと期待した彼女、。突然の登場にスザクはもちろん、もスザクを見とめて数秒そのまま固まり、しかしすぐにぱっと笑顔になって駆け寄ってきた。
「スザク!スザク久しぶりね、どうしたの?」
「る、るーしゅが来てて、それの付き添いで・・・。・・・久しぶり、だね、」
以前アリエス宮で開かれたささやかなティーパーティで顔を合わせてから、ひと月が経とうとしている。ひと月ぶりの笑顔が変わらないことに安堵し、スザクの頬も自然とゆるんだ。と会う時間を作るのはあのルルーシュが頭を悩ませるくらいに難しいものだが、会えない時間は簡単に過ぎ去ってしまう。今自分がここにいることを、ルルーシュとシュナイゼル、そしてカノンに心から感謝した。
「本当に。あ、ならルルーシュも今、ここにいるのね?何してるの?」
「シュナイゼル様とチェスを。僕もさっきまでそこにいたんだけど、・・・まあ、ちょっと、こっちに」
「そっかあ。わたしも今日、お姉さまにお話があってね。さっき終わったばかりで、もう戻ろうかと思ってたの」
そこで一度言葉を切ってから、ためらいがちに横にいるジノに目を向ける。スザクは、わずかな時間とはいえ、を見た瞬間に彼の存在が頭の中からすっかり抜け落ちていたことを内心で恥じるのだった。・・・どれだけに会いたいと思っていたか、自覚せざるを得ない。
がおずおずとした様子でジノを見上げ、彼は彼女の言いたいことがすでに分かっているのか、軽く肩をすくめた。
「・・・ジノ、ええと」
「ユーフェミア様とのお約束があるだろう。日本のお土産をやっと渡せるんだって意気込んでたじゃないか」
「そ、そうなんだけど、それちょっと遅れますって連絡、を・・・。だってせっかくスザクに会えたのに、このままお別れしたくない」
いつになく強気なにスザクは目をわずかに見開いた。鼓動が早くなるのが分かる。
ジノが困惑したように頭をかくのにぴくりと肩を震わせたは、スザクの隣に寄ってマントの端をきゅっと掴んだ。その指先のせいでマントに皺が寄るのが、スザクにはひどく懐かしくて愛おしかった。幼い日、枢木神社を訪れた彼女は、神社を覆う鬱蒼とした林がひどく恐ろしかったらしく、その近くを通るときにはこうしてスザクの服を握り締めていたのだ。その小さな手を守ってやろうと、柄にもなくそう思ったあの頃。そのために自分は今ここにいるのだと、改めて気づかされる。
「そう言われても・・・。このままを送り届けてから、その足で別件の用を済ませに行こうと思ってたんだ。時間も伝えてあるから、そちらも変更するとなると」
「だったら僕が、」
とっさにジノの言葉を遮って発言したスザクに、二人が振り返って彼を見る。自分でも思わず口を挟んでしまったことに驚きながらも、その勢いに乗ってジノに告げた。
「・・・僕が、をユーフェミア様のところまで送るよ。だから君は、その・・・用事を済ませて・・・僕はほら、時間もあるから」
「私の代わりに、についていてくれるってことか?」
「、ああ」
先ほど以上に緊張していた。手のひらにかいた汗の量も増えている。気配でがこちらを見たのが分かったが、今のスザクには彼女を見返す余裕がなかった。がどんな表情をしているのかを見るのが怖い。けれど今は、がそれを望んでいるかいないかに関わらず、スザクが、そうしたいと思ったから。ジノはしばらく黙ってスザクを見ていたが、ふ、とひとつ息をつくとを見た。
「がそれでいいなら、私は構わないよ。?」
「えっ、あ・・・わ、わたしも、それでいい」
の言葉にようやくスザクが隣の少女を見下ろす。表情は伺えなかったが、髪の毛の隙間から垣間見える耳の先がわずかに赤くなっていることに気づくと、ぱっとそこから目をそらした。妙に恥ずかしい。今さらだけれど、自分はとんでもなく大胆なことを言ってしまったのではないかと、スザクの顔もじわじわと赤くなった。
かつんとジノのブーツが音を鳴らすのに、スザクは我に返って彼を見た。ジノはぽんとスザクの肩を叩いて口を開く。
「ならスザク、のことを頼むよ。なにかとムチャしやすいお姫様だから、目を離さないでくれよな」
「あ、ああ、もちろん。・・・ジノ、・・・ごめん」
どうして謝るのか、自分でもよく分からない。ジノはすこしだけ驚いたようだったが、に、と口角を上げた。
「いいんだよ、私はの騎士だから」
そう言い残して立ち去るジノは、本当に笑っていたのだろうか。金髪が見えなくなるまでじっとその背を見送っていたが、マントがくいと引かれるのにを振り返った。皇女はスザクを見上げて、わずかに眉を下げた。
「スザク、ごめんね?なんだか無理やり付き合わせちゃったでしょう」
「えっ、そんなことないよ!時間があるのは本当だし・・・それに僕のほうこそ、ジノを勝手に、その、行かせたりして」
「ううん、ジノもたまには、息抜きしたいと思う。いつもわたしの側につきっきりだから」
ごくごく当たり前のようにはそう言ったが、その言葉はちくりとスザクの胸を刺した。こんなに誰かを羨ましいと思ったことがかつてあっただろうか。ジノはスザクがと居られる何十、何百倍もの時間を彼女と過ごしているのだ。どうしてそこにいるのが自分ではなくて彼なのだろう、そう思ったのは初めてではないが、改めて目にしたり、の口からそんな言葉が出ると、どうしようもなくどろどろしたものがスザクの中を渦まく。去り際にジノが残していった言葉も、自分を牽制してのものだろう。おそらくは彼もスザクと同じように、の側にいられる立場をこれ以上ないくらいに大切にしているに違いない。そう思えば無意識に眉を寄せていた。それに気づいたがスザク?と不安げに名前を呼ぶのにすぐに表情を戻して、笑顔を見せる。「すこし歩こうか」と言うと、も笑顔になってうなずいた。今のこの時間を大切にしなくては。
ちょうど庭園の花が咲いたばかりだというので王宮の外に出て、色鮮やかな花々の中を二人でゆっくりと歩いた。会わなかった一ヶ月の間になにをしていたか、ルルーシュはどうしているか、ナナリーは元気か。話は尽きず、白い柱に囲まれた東屋の中で休みながらにしようとが提案した。
「お茶があったほうが話しやすいかなあ。ねえスザク、誰かに持ってきてもらっ、わ!」
「!」
東屋の段差を踏み外しわずかにバランスを崩したの腕をとっさに掴んで、後ろから手をあてて背も支えてやった。それに安心したように深呼吸したの身体の動きが手のひらから直に伝わってくるのが温かく、もっとよく感じられるようにそっと力を込める。顔を上げたは「ありがとう」と笑って、けれどすぐにまた顔を俯けちいさくつぶやいた。
「・・・スザク、なんだかわたしの騎士みたい」
の声が耳に届いた瞬間に、体中の血液が逆流してしまいそうだった。自分の愚かな嫉妬や執着を見抜かれたのかと瞬時にスザクに緊張が走ったが、そんな彼の態度に気づいた様子はなく、は視線を相手に向けることなくぽつりと言った。
「スザクは、ルルーシュの騎士になるの?」
「え?」
全くの予想外の問いかけにスザクが目を丸くすると、はようやく顔を上げてわずかに笑う。
「それともナナリー、かな」
「ちょっと待って、どうしてそんな」
「・・・だって今日もルルーシュの付き添いで来てるんでしょう?よくアリエス宮からのお遣いでもスザクが来るし・・・。あとは正式な任命を待つだけで、事実上はそうなのかなって」
「違うよ、いや、確かにルルーシュとナナリーにはすごくお世話になってるけど、そういう話をルルーシュたちとしたことはないしそれに、」
言いかけて一度口をつぐんだ。が不思議そうにこちらを見てくる。これを言っても良いのか、言わないほうが良いのか、状況をうまく読むことが得意ではないスザクにはすぐに判断ができなかったが、ひとつだけ、これだけは誤解してほしくないと思うことがある。
「・・・それに、僕が一番守りたい人は昔から、一人だけだ」
の背中にあてていた手を身体の横に滑らせると、抱きしめているような錯覚に陥った。ふと感じる花のような、果実のような香りのありかを確かめようとわずかに屈んでの髪の毛に顔を寄せれば、相手はびくりと肩を揺らして身を硬くした。その反応にスザクの頭が警鐘を鳴らす。だめだ、これ以上は。これ以上近づいたらきっと、自分を止められなくなる。そう思うのに、勝手に身体が動いていた。後ろから掴んでいたの腕をそうっと持ち上げて、顔の横までもってくる。こちらを向いた彼女の手の甲に一度口付けた。
こんなの、もう、君だって言っているようなものだ。
「・・・わ、たし、は、」
緊張した声音を隠しきれずにがちいさく口を開いた。その先に続くのがどんな言葉でもいいように、スザクは黙って目を閉じる。唇をよせた手の甲からダイレクトに彼女の震えが伝わってきて、ほんのわずかに自嘲的な笑みをもらした。こんなに震えるまで困らせている時点でもう、そんな資格なんてない。
「わたし、も、ずっと前から、一緒にいてほしいひとが、いる」
だからの手がスザクの手にためらいながらも触れてきて、その手と同じようにちいさく震えながらの声での言葉に、スザクは思わず目を見開いた。すこし身体を離して見下ろしたの耳の先はまた、さっきみたいに赤くなっている。途端にスザクの心臓が早鐘のように鳴り出した。脈打つ鼓動は先ほどの、嫌な緊張感からのものとはまるで違う。今まで押さえ込んでいた期待や希望が一気にあふれ出しそうで、振り返りかけたを後ろから、本当に抱きしめた。「!」、今度こそが完全に停止するのにかまわず、その首筋に顔をうずめる。でないと赤くなった顔をに見られてしまう。それはちょっと、格好悪いので。
「スザク、ええ、と、スザク?」
「・・・・・」
「す、すざく!」
の声がもう泣いてしまいそうで、内心で苦笑しながらスザクはようやく顔を上げた。名残惜しかったがから身体を離して、正面に向き直る。焦らなくても、と思えた。を慕う気持ちが一方的ではないのだと、それが分かっただけで今日はもう充分だ。顔を赤くしたままでスザクを見上げるに笑顔をみせて、手を差し出した。
「・・・ルルーシュのところに、行こうか。を送ってくるって言っておかないと」
「・・・・・・、うん」
スザクの手にのそれが重ねられる。すぐではなくとも、いつかきっと、この娘の一番近くにいこう。手を握るだけでは満足できないところに、とっくに自分は来てしまっているのだから。
この感情を手にとって
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(2008.8.7)